あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

戦争させない1000人委が結成準備集会

2014-08-05 01:06:40 | 日記

自分は戦わないと宣言しても相手は図に乗って侵略してくるのです。

チベットやウイグル地区が侵略されていることを証明しています。

歴史を学ばない人達の視野の狭い叫びです。

 

理想国家日本の条件  さんより転載です。

 

戦争させない1000人委が結成準備集会 

http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1402745081

佐賀新聞 2014年06月14日 18時08分 

安倍政権が憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を今国会中に閣議決 
定しようとする中、「戦争をさせない佐賀県1000人委員会」の結成準備集 
会が14日、佐賀市で開かれた。市民約400人が集まり、「国民に判断の機 
会がないまま、憲法9条が空文化されようとしている」と危機感をあらわにし 
た。 

 県平和運動センターなどが賛同者を募る目的で開き、舟越耿一(ふなこえこ 
ういち)・長崎大学名誉教授が「安倍政権の暴走を検証する」と題し講演した。 

 舟越教授は「公明党が寄り切られ(集団的自衛権の行使を容認し)ようとし 
ているが、自公2党だけで決めていい話ではない。安倍政権は国民をトリック 
にかけ、憲法をハイジャックしようとしている」と指摘。「戦後70年、ノー 
モア広島、ノーモア長崎と言って平和憲法を守ってきた私たちが、今声を上げ 
なくてどうするのか」と呼び掛けた。 

 委員会は、集団的自衛権の行使に反対する作家や学者らでつくる「1000 
人委員会」の佐賀県版で、8月16日に佐賀市で結成集会を開く。 


記事全文

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/74188

http://www.shinmai.co.jp/news/20140804/KT140803FTI090007000.php

 

 

「集団的自衛権」は必要!!!

 

「集団的自衛権」はなぜ必要なのか スプレッド・セミナーのお知らせ

0809Seminar

 

 

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平和主義が戦争を招く

2014-08-05 01:00:14 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

平和主義が戦争を招く

2014年8月2日土曜日

宇宙の兄弟たちへ」転載  http://japan-spiritual.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html
 


第二次大戦では「平和主義が戦争を引き起こした」といわれます

平和を望めば平和が来ると思っている人にはショックでしょうが、
実際に平和主義が戦争の惨禍を大きくしてしまったのは歴史的な事実としてあります

それは何故なのかを述べてみます

第1次世界大戦を経験したヨーロッパの国々は「もう戦争はこりごりだ」という
反戦ムードに包まれ、平和主義が広がっていました

そうした中で、戦争に敗れて荒廃したドイツでは、1933年にヒトラー率いるナチスが政権を取ります

そして1936年にはフランスとの間で、非武装と定められていたラインラントへヒトラーは武力進駐します

しかし平和主義の広がったイギリスとフランスでは、事なかれ主義をとって、
ドイツとの衝突を恐れて反撃することはありませんでした

のちにヒトラーはこう語っています「ラインラントへ兵を進めた後の48時間は私の人生で最も不安なときであった。
もし、フランス軍がラインラントに進軍してきたら、貧弱な軍備のドイツ軍部隊は、反撃できずに
、尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった。」

歴史は後に戻すことは出来ませんが、もしも、この時のヒトラーの初期の挑発に、毅然として
態度を取っていたなら、あの第二次大戦での酷い惨禍は無かったかもしれません

結局イギリスとフランス両政府は、ヒトラーとの平和機構を樹立させようとする妥協的な方法をとります

これがヒトラーに自身を持たせました「強気で押していけば相手は妥協する。何処までも押していくべきだ」
という間違った認識を持たせてしまったのかもしれません

その後のドイツは、1937年スペイン内乱介入、38年オーストリアの併合、39年春チェコ併合など
次々と周りの国々を侵略していきました

こうした事態にあっても英仏は平和主義をかかげ、他の国々が悲惨な目に合っている姿を見ても、
自分たちの平和だけを望んでいるかのようでした。まるで現代の何処かの国のように

そして1939年9月1日、ドイツがポーランドへと侵略すると、ようやくそこでイギリス、
フランスはヒトラーには平和的に当たっても無駄なことを知り、開戦を決意します

ですがドイツはラインラントへと進駐した頃と違って、軍事力と国力を充実させており、
ポーランドを三週間で占領してしまいます

1940年ドイツは連合軍を破って、フランスを六週間で降伏させてしまいました

第一次大戦では勝利したフランスが、このようにあっけなく敗れた原因は、先の戦争の後遺症で、
あらゆる戦争に無条件に反対するという平和主義が台頭していたこと
(まるで現在のどこかの国のことのようですが)

急速に軍備を増強するドイツを見ても、ドイツが本気で戦争を始めるわけがないという根拠の無い
楽観論が広がっていました(こちらも中国や北朝鮮が軍備の増強に励んでいるのに
楽観論に浸っているある国にそっくりです)

フランスのみならず当時のイギリスも同じで、イギリス首相チェンバレンは平和主義をかかげて
ドイツに譲歩し続け、イギリス国民もそれを支持しました

チェンバレンのおかげで戦争が回避されたと絶賛され彼の名前を街に冠する運動まで起きたと言います

一時的な平和は得られたでしょうが、それによって後に大きな災いをもたらすこととなってしまいました

チェンバレンの政策は後に「平和主義が戦争を引き起こした」と批判されています

現在の日本の平和主義を見ていても、このチェンバレンと同じ過ちを犯そうとしているのが分かります

独裁国家の隣国が軍備の増強を進め、次々と強硬な姿勢を打ち出しているのに、
平和主義と称して、安易な妥協を続けていると、後には取り返しのつかない事態を招いてしまいます

ヒトラーの台頭を許したのは、まさに戦争反対を唱える平和主義者達だったことを歴史の教訓として
私たちは知らなくてはいけません

国家として慢心しすぎると他国への侵略を犯して戦争を起こしますが、
 
同時に自虐的に平和のみ唱えていても、他国から侵略を招いて、これもまた戦争を招いてしまいます


真に平和を求めるなら、他国へ侵略しないのはもちろんのこと、
他国からの侵略も防ぐ備えをしなければなりません

中道から離れて、どちらかに偏ると災いを呼ぶのは、国家でも個人でも同じことでしょう

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学校に宗教カウンセラーの導入を!~佐世保・高1同級生殺害事件を受けて~

2014-08-05 00:52:16 | 日記

理想国家日本の条件  さんより転載です。

学校に宗教カウンセラーの導入を!

~佐世保・高1同級生殺害事件を受けて~

2014年8月3日

 

宗教なしには命の大切さは十分に伝わらない

7月27日、長崎県の佐世保市で高校1年の少女が同級生を殺害するという、痛ましい事件が発覚しました。

 県内の長崎市では11年前に中学1年の少年が4歳の男児を誘拐・殺害する事件が起き、翌年には

佐世保市で小学6年の女児が同級生を切り付けて殺害する事件が起きています。

 以来、現在に至るまで、命の大切さを学ぶ教育に力が注がれていただけに、地元の教育関係者にとっても

今回の事件の衝撃は如何ばかりかと推察されます。

 

 逮捕された少女は、警察の調べに対し「人体に興味があり、殺してバラバラにしてみたかった」などと

供述しており、「命の教育」が結果として女子生徒の心に届いていなかったという残念な事実を確認させられました。

 少女を殺人に走らせた家庭内の出来事としては、少女の母親が昨年秋に亡くなったことや、父親が

今年の春に再婚したことなどが指摘されています。

 

 しかし、少女は小学6年の頃にクラスメートの給食に漂白剤や洗剤を混入させるという事件を起こしていたことや、

今回の事件後の調べでも「中学生のころから人を殺したいという欲求があった」という趣旨のことを述べて

いることから、最近の家庭環境の急激な変化に対する不満ばかりでなく、もともと精神面、情緒面で少女は

重大な問題を抱えていたと考えるべきでしょう。

 このように精神面で問題を抱えた少女に対し、学校側はどのように対応していたかと言えば、

母親の死をきっかけに不登校に陥り、今年春からはマンションで一人暮らしを始めた少女を

中学時代の担任教諭らが週1回程度訪問し、相談に乗っていたとされています。

 

 残念ながら、結果論としては、そのような対応では十分でなかったと言わざるを得ません。

 ただ、では訪問回数を増やせばよかったのかといえば、それだけで事件を止められたかは疑問です。

「人を殺したい欲求」を持っていた少女の内面を変えるには、それ相応の精神的な指導が

必要だったであろうと思われるからです。

 

本来であれば、ここで宗教者が何らかの役割を受け持たなければならなかったのです。

 命の尊さを教えるのであれば、単に「命は尊い」と言うだけでなく、

「命は神仏から与えられたものであるから尊いのだ」ということを、信念をもって宣べ伝えなければなりません。

 神の愛や仏の慈悲を実感している人であればこそ、その愛や慈悲ゆえに神仏は「殺すなかれ」と

命じておられることを生徒たちに伝えることができるのではないでしょうか。

 少女の場合、望むらくは小6時の事件を受けて、その後、個別に適切な宗教的指導を受け続けていれば、

今回のように道を過たずに済んだ可能性が十分にあったといえそうです。

 このように考えると、生徒を宗教的に指導し得る者が、いわば「宗教カウンセラー」として、各学校に

配置されるか、あるいは人員が足りないのであれば、求めに応じて派遣されるかする仕組みを作る必要があります。

 生徒が問題行動を起こし、将来の行く末が懸念される場合、個別に継続的に宗教的な指導を行える体制を

築き上げれば、少年の凶悪犯罪を防止する上で一定の効果が見込めるでしょう。

 

刑務所での教誨活動が是とされるなら、学校での宗教カウンセリングも是とすべし

 ここで考えなければならないのが、憲法や教育基本法との兼ね合いです。

 憲法20条3項では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とありますし、

教育基本法15条2項では「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育

その他宗教的活動をしてはならない」と定められています。

 宗教カウンセラーの仕事は、これらの条文でいうところの「宗教教育」ではないかと思われるかもしれませんが、

これはあくまで「カウンセリング」の一種と位置付けられます。

 つまり、教科内容を一定のカリキュラムに基いて教授したり、試験をして成績を評価したりするものでは

ないため、いわゆる「教育」には当たらないと考えられるのです。

 そうはいっても、宗教カウンセリングは「宗教的活動」に相当するのではないかといわれれば、

それはその通りと認めざるを得ません。

 しかしながら、憲法で「いかなる宗教的活動もしてはならない」と定められているにも拘わらず、

実際には国の機関でも宗教的活動を行っています。

 その最たる例は、刑務所における教誨活動です。

 もちろん刑務所勤務の公務員が直接宗教を教えているわけではなく、民間の宗教家がボランティア

として教えているのですが、その活動は刑務所内で受刑者らの矯正教育(すなわち国の行政活動)の

一環として行われています。

 すでに、憲法の規定に拘わらず、受刑者の更生や社会復帰に必要と判断して、国及びその機関は

既に宗教的活動を展開しているのですから、同様に、憲法の規定に拘わらず、生徒の善悪観念を涵養し、

健全な人格を築いていくためには必要と判断して、学校で一定の宗教的活動を行うことは

不可能ではないはずです。

 長らく教誨活動が継続されていることから、宗教には人を立ち直らせる力があることについては一定の

理解があると思われますが、それであれば犯罪を犯した後だけでなく、犯罪を犯す前にも宗教の力を活用することを考えるべきです。

 宗教の力によって、人を殺してから更生がなされるのも大切ですが、むしろ人を殺す前に、

その更生がなされた方がより望ましいのは言うまでもないことです。

 不幸な事件で命を失う人の数を減らすことができるのですから、宗教の力を活用することを躊躇すべきではありません。

 犯罪を減らすために使えるものは全て使うべきです。憲法の究極的な目的も個人の尊厳を守ることに

あるのですから、宗教を用いて犯罪者や犯罪被害者を減らす取り組みも、その目的にしっかり適っているといえます。

 憲法や法律で公立学校で宗教教育が禁じられているのは、宗教そのものが有害だからでは当然なく、

国民の信教の自由を侵さないための方便に過ぎないのです。

 したがって、学校に宗教カウンセラーを導入するに当たっては、信教の自由を確保するため、

カウンセラーの教派や宗派は基本的に生徒や親の希望に沿うようにするなどの工夫を行えばよいでしょう。

 生徒や親が自分たちの信ずる宗派以外のカウンセラーは受け入れず、学校側がその宗派のカウンセラー

を手配できないという場合には、家庭とその宗派の間で直接やりとりをしてもらって、

生徒にその宗派の教師によるカウンセリングを継続的に受けるよう促すというやり方もあり得ます。

 

無神論・無宗教の家庭に対しては、もちろん宗教カウンセラーを押しつけることはできませんが、

それでも悲惨な事件を極力未然に防ぐための対策の一つとして積極的に推奨されてしかるべきです。

 

 なお、具体的な立法措置としては、憲法の改正までは行かなくとも、教育基本法は改正しておくべきでしょう。

 例えば、15条2項から「その他宗教的活動」という文言を削除して、「国及び地方公共団体が

設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育をしてはならない」と改正することで、

公立学校で一定の宗教的活動が可能となり、宗教カウンセラーを導入することもできるようになります。

 

再発防止に向けて学校に新たなイノベーションを

 今回の事件を受けて、地元の教育現場ではこれ以上の追加対策は「こなせない」という声が上がる一方、

マスコミは「命の大切さを実感させる努力」を繰り返せと主張しています。

 

 しかし、なぜ命が大切なのかについて宗教的な説明を伴わず、ただ「命は大切なのだ」と繰り返すだけでは、

もはや十分な対策とはいえないでしょう。

 

とりわけ精神面で問題を抱えた生徒の更生を図ることは難しいため、特にそのような生徒に絞って

宗教的アプローチを取り入れて、今後同様の事件が発生しないよう工夫を凝らしていくべきです。

 今や、公立学校に宗教を持ち込んではならないという、これまでの「常識」を乗り越えて、若い命を

守り育んでいくための発想の転換と新たなイノベーションが学校や教育行政に求められているといえます。

 少女は今年春に父親を金属バットで殴打する事件を引き起こして以降、2つの精神科ないしは

心療内科に通院しており、事件直前の6月にはそのいずれかの医師から児童相談所に

「このままでは少女は人を殺しかねない」という相談があったとの報道がなされています。

 

 この時の児童相談所の対応が適切だったかという論点は別途あるにしても、精神科治療も

少女の更生や事件防止の決定打にはなり得なかった事実は踏まえておく必要があります。

 もちろん、宗教カウンセリングさえ行えば万事解決というほど、生易しい問題ではありませんが、

今回の事件を受けて少しでも改善を進めなければ、今後も、加害少年は人生の重荷を背負い、

被害者両親は最愛の息子・娘を失うという悲劇が繰り返される恐れが少なくなることはありません。

 被害者のご冥福をお祈りするとともに、再発防止の取り組みが一歩でも二歩でも前進することを切に願います。

 

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朝日新聞が慰安婦記事の誤りに「反省特集」するも、強制連行の有無については的外れな「弁解」

2014-08-05 00:00:10 | 日記

ザ・リバティーweb  より

朝日新聞は、5日付朝刊で「従軍慰安婦」についての社説と特集記事を掲載した。

従来、同紙は「日本軍が慰安婦を強制連行した」という趣旨の記事を書き続けてきたが、その内容について事実と異なる点があると批判が高まっているためだ。

 

社説では、「私たちは元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことがわかりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します」と書かれている。

 

「事実関係の誤り」というのは何か。一つは、同紙が82年から記事にした、「自ら朝鮮人女性を拉致した」という吉田清治氏の証言が虚偽だったこと。もう一つが、90年代始めに記事に掲載した、「朝鮮半島出身の女性が『女子挺身隊』の名で戦場に動員された」という表現の誤りだ。「挺身隊」とは、軍需工場に動員された人々のことで、「慰安婦」とは全く異なる。上の文には、多少言い訳がましさを感じるが、同紙は共に、「取り消します」「誤用しました」としている。

 

しかし同紙は、これらの誤りを謝罪した上で、"従軍"慰安婦問題を盛んに取り上げてきた立場だけは守るためか、以下のように弁解している。

 

「日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、『強制連行はなかった』として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた。(中略)だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある」

 

慰安婦問題でしばしば論点となっているのが、「軍が強制連行を指示した」のか、「有給の慰安婦募集を行っていた業者が、強制的に女性を拉致するという不法を働いた」のかということだ。上の「弁解文」を見る限り、朝日新聞はその違いの重要さをまったく理解していない。

 

当時、戦場の将校の相手をする女性を、有給で募集していた業者があった。その中には、悪質な業者もあり「軍とつながりがある」と嘘をついて女性を集めた例や、女性を騙したり、誘拐したりして売り飛ばす、「強制性」のあるケースもあったようだ。しかし、当局はこうした業者を取り締まる通達を出している。

 

それにも関わらず、日本が「国家ぐるみで慰安婦を強制連行した」という認識が、国内外で広がればどうなるか。これにより、日本が「組織的にユダヤ人を迫害したナチス」と同列視され、周辺国による日本への攻撃が正当化され、日本人も「戦前の日本は全てが狂っていた」と考えることにつながっていく。実際は、一部業者の犯罪であったにも関わらずだ。

 

確かに、悪徳業者などの被害にあった方々にとっては、相手が誰であれ悲劇であることに変わりがない。だからといって「日本軍の方針であったかどうか」を曖昧にしたままこの問題が議論され、中韓に政治利用されてよいわけはない。

 

朝日新聞の報道が批判されてきたのは、そうした誤解を広げることに多かれ少なかれ加担してきたことが大きい。その「国益への害」をこそ反省しなければならない。(光)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『神に誓って「従軍慰安婦」は実在したか』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=957

 

幸福の科学出版 『天に誓って「南京大虐殺」はあったのか 『ザ・レイプ・オブ・南京』著者 アイリス・チャンの霊言』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1183

 

【関連記事】

2014年9月号記事 日本とドイツもう謝罪は要らない - 日独は「誇り」を取り戻せ

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8170

 

2014年6月号記事 アメリカ人が語る「日本の戦争は正しかった」欧米こそ歴史の見直しが必要だ 【ネットインタビュー】YouTubeで話題のテキサス親父「従軍慰安婦」はお金目当ての虚構である 

http://the-liberty.com/article.php?item_id=7729

 

2013年9月号記事 河野・村山談話は無効である 歴史問題を永遠に葬り去る 大川談話ー私案ー

http://the-liberty.com/article.php?item_id=6391

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戦前日本の教育と精神

2014-08-05 00:00:10 | 日記

さくらの花びらの日本人よ誇りを持とう さんより転載です。

イメージ 1 
 
 
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戦前日本の教育と精神
「がんばれ、相手の奴等に負けるな、やっつけろ」
日本の村の男の子は、声を張り上げて跳び回っていた。
昭和の初め、村の男の子供の遊びは棒切れを振り回しての「戦争ごっこ」であり、集団で隣村の子供たちと戦うのであった。その子供たちの中で、洗濯をほとんどせず、食べかすや鼻水でガスガスした着物を着、一番上の兄の太った赤ん坊を背負って走り回っている子供は私の祖父であった。
 
祖父は大正九年に七番目の男の子として生まれた。八人兄弟全て男である。
私の祖父は非常に頑健である。そういえば私がまだ小学校の頃、妹を背にして馬となり暴れまわった。茶の間のそこら中暴れ回って、疲れたと言って休んだ時、「元気をつける」と言って、いきなり冷蔵庫から生卵を出して小皿に割り、一気に飲み込んで「これで元気になった」と言ってまた馬になり妹を乗せて暴れ回っていた。まるで生卵が栄養ドリンクのようであった。
 
今でも農業を続け、二十代半ばの私もやっとついていけるくらい、よく働く。しかし、医学的には昔マラリアを患ったせいか肺が悪く、生きていることさえ知り合いの医者は不思議に思っているのである。
また、この前は心臓の大手術をしたが、退院して一週間後にはもう、三脚という三本足の農業用梯子に乗って働いているのである。当時、祖父は八十二歳であった。
また手術をした原因は心臓の神経が切れたためであるらしく、手術前は脈拍一分間に三十五で一カ月医者にも行かず、苦しそうに顔をしかめながらも農作業をしているのであった。一カ月経つと、どうにもこうにも苦しく我慢できなくなって自動車を運転して自分で病院に行き、緊急入院となり手術となったのである。実に頑健としか言いようがない。
 
その祖父は、日本の陸軍兵として支那大陸、ベトナム(仏印支那)、タイ(シャム)に出兵し、捕虜となった時期を含めて戦地に六年居た経験を持つ。「戦地に六年」とは、私が物事に挫けそうになった時よく祖父が私を励ますために使う言葉である。
食うや食わず生きるか死ぬかの戦地に居た祖父の苦労に比べれば、平和で豊かな現代に生きる私の苦労などは小さなものなのであった。
 
祖父の子供の時もまた貧しかった。学校へ持っていく弁当は、漬物とご飯で肉や魚は正月か祝日に口に出来る程度であった。ある日、小学校の祖父が弁当を開けると黄色い卵焼きが入っている。「やった」と思って喜んで頬張ると実は奈良漬けであってがっかりしたという話をよく聞いた。
 
祖父の通う小学校でも同じように祝日には「君が代」を皆で歌い、校長が「教育勅語」を読み上げていた。紀元節(二月十一日)ともなれば兄のお下がりの袴をはいて式に出席した。
 
私の家の近くの神社に小さな建物がある。その白い建物は常に扉が閉まっている。子供の頃から、私はこの建物が何であるか、不思議に思っていた。神様を祀るならば常に格子から中が見えるはずであるが見えない。しかも神社の境内の不自然な所にある。しかし、厳かに祀られている。
 
実は、この建物は奉安殿という。戦前の小学校には奉安殿と忠魂碑が置かれていた。奉安殿の中には天皇陛下の御写真が飾られ、教育勅語が大切に収められている。忠魂碑には、その小学校の地区出身の戦死した方の名前が彫られている。戦前の児童はこの二つの前を通る度に、深く頭を下げるのであった。奉安殿に対しては、天皇陛下と、己を正しい道へ導く教育勅語への敬意を込め、忠魂碑に対しては、日本と日本人の為に命を犠牲にした方に敬意を込めて頭を下げるのであった。
 
この奉安殿は戦後、勝った連合軍の罪を全て日本人のせいにして、日本を骨抜きにする政策に出たアメリカの方針により取り壊されることになったのである。祖父の通った小学校もその例外ではなかった。しかし、取り壊すことに忍びない村人たちにより、現在の神社に移されたのである。この奉安殿に対して、どれほどの児童が心を込めて頭を下げただろうか。改めてこの奉安殿を眺めて、壊されなくてよかったと思うのである。
 
さて、祖父は高校を卒業すると、田舎から遠い神奈川県横須賀の海軍軍需工場に事務職として採用されることとなり勤め始めた。勤務して一年ほど経つと急な電報が実家から届いた。「帰宅すべし」と電報にある。何であろうと思い、兎に角、荷造りをして帰ることにした。汽車に乗り帰る途中、もうすぐ目的の駅という所で親戚のおじさんが汽車に乗ってきた。そのおじさんに急に帰れと言われた理由を尋ねたところ、「馬鹿、お前は△△の家にもらわれるんだ」と言われ、初めて自分が養子になることを知ったのであった。その祖父が二十歳の時養子として入った家が現在の我が家であった。
 
私の曾祖父母は子供がなく、祖父はこの家に養子として迎えられ、農業を営むこととなったのである。しかし、養子として迎えられたのも束の間、祖父はその年の暮れ、大日本帝国陸軍兵として戦地へ向かうことになったのであった。
 
祖父が二十歳の五月、村中の二十歳の男子が徴兵検査を受け、見事「甲種合格」となった。検査結果は上から「甲種」、「乙種」、「丙種」であり、一番良い甲種は四十人中六人くらいしかいない。甲種合格となった者は直ちに兵隊として戦地に赴くこととなる名誉なことであった。そしてその年、昭和十五年の十二月、祖父は出兵することとなった。
 
村の神社で祖父及び他の二人の出兵の壮行会が盛大に行われた。村長が励ましに言葉を述べ、祖父が三人を代表して答礼の辞を述べ三人は出発する。神社から一番近くの駅まで約一里(四キロ)ある。それは今でも変わらない。三人はその駅まで徒歩で向かう。そして村の元気な者は皆、この三人を囲んで駅まで共に歩いた。
歩きながら、様々なことを話す。父と幼い時の話、母との思い出、友人との思い出、残された家族のことなど話すことは沢山あった。いくら名誉あることといっても戦場へ向かうのである。生きて帰ることが出来る保証はない。
 
やがて、駅に着き、汽車が来た。汽車に乗ると、他の地方から乗ってきた出兵の若者で車内は込み合っていた。祖父の戦友となる人たちである。
 汽車は出発すると祖父たちは窓から乗り出して手を振り、見送りの父母兄弟友人親戚はちぎれんばかりに手を振った。今生の別れかもしれない、そう思う母たちは涙をこらえるのに精一杯であっただろう。そして駅に万歳の声は木霊(こだま)するのである。
 
戦場へ我が子を送り出す父母の心はいかほどであったであろうか。しかしその悲しみに堪えなければならない時があるのである。国が危機に直面していた当時、国は若者の力を必要としていたのであった。そして、私の祖父たち、当時の日本の若者の背中には、日本の子供たちの笑顔、平和の内に暮らす日本の老人、そして我等戦後日本人の運命が乗っていたのである。
それを知っていればこそ、若者は勇気を出して命を犠牲にし、守られた日本の児童はその犠牲に感謝し小学校の忠魂碑に深々と頭を下げるのであった。
 
そして私は、ある感動を抑えられないのである。玉子焼きと奈良漬けを間違え、ガスガスのボロ着物を着、一番上の兄の子を背負いながら遊んだ、貧しい祖父たち日本人が国の為に命をかけて、裕福な欧米人と戦い、当時世界中を覆っていた理不尽なる秩序を打ち破ったのである。
実に尊いことではないか。欧米人は恥であるから、その事実から目をそらすが、これは事実であり歴史なのである。
我等日本人はこの事実を正しく理解せねばならない。祖父たちが命をかけて戦った戦争は一体、何であったのか、そして、日本人の精神は正しかったのか。歴史は厳然と事実を語っているのである。『祖父母たちの大東亜戦争』より)
-------------------
 
集団的自衛権で「戦争する国にするのか」と言う人がいます。世界中が戦争をする国です。戦争をしないということは究極的には国家・国民を守らないということにもなるのです。戦争は嫌だから国を守らない。そういう人は家族が襲われても助けずに見捨てるのでしょう。
 
上のお話を読んで私は日本人として誇りに思う。戦争はすべきではありません。しかし、やむなく貧しいながらも国を守るために命をかけて戦争をしたのです。
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NASAが「ワープ航法」設計画像を公開 「スター・トレック」は未来予知?

2014-08-05 00:00:10 | 日記

ザ・リバティーより

米航空宇宙局(NASA)はこのほど、光速を超える速さで宇宙空間を移動する「ワープ航法」の性能をもった宇宙船の設計画像を公開した。CNNが報じている。

 

ワープ航法とは、宇宙空間を移動する際に、時空を歪めて宇宙空間の2点間の距離を縮め、移動時間を大幅に短縮するという航法だ。この方法ならば、何千光年も離れた星にでも短時間で移動できることになる。NASAによると、ワープ航法の存在はまだ実証されていないものの、その理論は物理学の法則には反していないという。

 

名古屋大学太陽地球環境研究所の阿部文雄准教授は、ワープ航法につながるとされる時空の抜け道「ワームホール」が、実在するかどうか検証する方法に関する論文を2010年に発表した。近年、ワープ航法は科学者によって、積極的に研究されている。ワープ航法を行うには膨大なエネルギーを必要とするため実現は不可能という意見もあるが、果たしてどうなのだろうか。

 

大川隆法・幸福の科学総裁の霊査によると、地球には他の惑星から移住してきた宇宙人が数多く存在していることが分かっている。今は地球人として転生輪廻している彼らの魂をリーディングして、宇宙人だった頃の意識で話をさせることで、様々な事実が明らかになっている。「白鳥座」から地球に来た、ヤギのような顔をした宇宙人は、ワープ航法の可能性に関して、以下のように指摘している。「『宇宙の時空間のなかで、光の速度を超える技術』を開発することは、意外に、それほど難しいことではなく、核燃料に次ぐ燃料を開発することができれば、おそらく可能になるはずです」(『宇宙人リーディング「多様なる創造の姿」』 )

 

今回の設計画像は、ワープ航法の原理の下、NASAの物理学者であるハロルド・ホワイト氏が設計を考え、そのイメージ図がSF映画「スター・トレック」に登場する宇宙船を参考にしたそうだが、NASAが宇宙船の設計画像を考えても、映画に登場する宇宙船に近いものになるのは面白い。映画には霊界からのインスピレーションを受けているものもあるために、一概に空想の世界とは言えない。

 

NASAは現時点でワープ航法が実現できる保証はないと言っているが、宇宙にはすでに存在している技術であり、この研究は将来、実を結ぶと思って間違いないだろう。(冨)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『「宇宙の法」入門』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=99

 

【関連記事】

2014年3月20日付本欄 国際宇宙ステーションがUFOを撮影? ワームホールを通って来たのか

http://the-liberty.com/article.php?item_id=7539

 

2013年10月号記事 そもそモグラの宇宙人入門 - 世界の常識に日本は遅れるな!

http://the-liberty.com/article.php?item_id=6536

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戦後の自虐史観を創った米国の情報操作

2014-08-05 00:00:10 | 日記

理想国家日本の条件   さんより転載です。

戦後の自虐史観を創った米国の情報操作

[HRPニュースファイル1083]

http://hrp-newsfile.jp/2014/1619/

 文/幸福実現党 政務調査会チーフ 小鮒将人氏



 ◆「日本の復活」を心の底から恐れた欧米諸国

大東亜戦争は、最終的に日本が敗北しましたが、欧米諸国も大きな打撃を受け、

日本軍の強さは、彼らにとって大きな脅威となりました。

真珠湾攻撃は、米国のルーズベルト大統領があらかじめ知っていたという説が有力ですが、

日本の攻撃がすさまじく、大統領は最後まで山本五十六長官を許さなかったといわれています。

また、硫黄島の戦いでは米軍の兵力11万人の中で、死傷者が2万8千人に上り、予想以上の被害となりました。

そして、ゼロ戦などの「特攻」によって、米海軍も甚大な被害を受けました。

さらに、英国では、国の誇りでもあった最新鋭艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が日本航空機の攻撃だけで

撃沈し、チャーチル首相も「大戦の中で最も衝撃を受けた事」と著書に記載しています。

当時のインドの方々には、この事件は大きな衝撃を与え、独立するための主要な動機になったとも言われています。

このような戦争の初期、日本は欧米に対して徹底的な勝利をおさめ、アジアの植民地支配を実質的に

終了させた事は、欧米にとっては、全く予想ができない事でした。

そのため、連合国側は戦後、日本が再び立ち上がることを心の底から恐れを持ち、そしてそれが

現在にまで続いています。その恐れが、米国の占領下における徹底的な情報操作につながる事となりました。

現在は、重要な同盟国として東アジアの安全保障を担っている日米両国ですが、残念ながら、

当時はあまり相互の理解がありませんでした。



私たちが言う「自虐史観」とは、一つには、米国やソ連、中国などが、戦後、日本の国力をそぎおとし、

自国の国益の脅威とはならないことを意図して行われたものなのです。



 ◆「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」——日本人への洗脳工作

米国で、以上のような意図のもとに進められたのが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と言われるものです。

実は終戦直後、日本人には、自虐史観の考えは全くありませんでした。

1945年10月のGHQ月報では「日本人の間に、道徳的過失の感情はほとんどなかった。

敗れたのは、単に産業と科学の劣性と原爆のゆえであるという信念がいきわたっていた」と記載されています。

そのために、米国の宣伝のプロたちが集まって、徹底的な議論の末に、具体的な「プログラム」を作成して、

日本人の意識を自虐的に変える事を実行していったのです。

「ギルト」とは、「罪」と訳すことができるように、日本の「軍部」が国民の声を無視してアジアを侵略した、

という「罪」を徹底して問うものであります。そこには、人種差別的な考えもあったのかもしれません。

さて、この「プログラム」を進めるに当たり、当時の占領軍ダイク民間情報局長が、その目的を

記載したメモを見ると、より具体的に米側の考えが分かります。



1、日本人戦犯を処罰することは、倫理的に正当であり、日本の再建と世界の安全に必要であることを示す。
2、日本国民にも「軍国主義」を許した責任がある事を示す。
3、日本の経済界、教育者などにも戦争の責任がある事を示す。
4、戦犯は、「公正」かつ「開かれた」裁判を受ける。
5、日本国民に戦争犯罪及び、戦犯について議論させるように仕向ける。



 ◆その具体的な内容

これらの考えに基づき、占領軍のもとで、東京裁判が行われることになり、多くの軍・政府関係者が

「戦犯」として逮捕され、「裁判」を受け、「処罰」を受けました。

その他、書籍「太平洋戦争史」やラジオ番組「真相はこうだ」などを代表とする発信によって、

日本の軍隊による「南京大虐殺」などのねつ造された歴史観がマスコミを中心に、広がっていきました。

さらには、新聞や書籍については、占領軍による徹底的な検閲が行われ、戦争での大義であった

「アジアの解放」や「愛国心」「神道への尊崇の念」などについては、すべて削除されたほか、

発行停止処分も行われました。

映画などにも検閲が行われ、「敵討ち」をテーマとした「忠臣蔵」などは上映が禁止されていたという事もありました。

それらのねつ造された事柄は、あたかも「真実」として、いかに日本軍が残虐な軍隊であり、

恥ずべき事を行ってきたのかという事で、愛国心が薄れ、逆に国家に対する憎しみが増すように操作されていきました。

また、米国に対しては、一貫して「民主主義をもたらした」「男女平等を進めた」「暗い社会から明るい社会へ導いた」、

というイメージを徹底的に刷り込んでいきました。

その結果、欧米の軍隊を蹴散らし、アジア諸国を植民地から解放したという日本の偉業については

、完全に否定されることになりました。

そうして形つくられた、誤った歴史観が、現在に至るまで多くの日本人が持っているのです。



 ◆米中の洗脳から日本人としての誇りを取り戻そう

今、幸福実現党は「日本の誇りを取り戻す」活動を行っています。その一環として「南京大虐殺」については

ねつ造であり、中国政府によるユネスコ記憶遺産申請は許してはならない事であることを訴え、

署名活動を行っています。

今、必要なのは、私たち日本人が本来持っていた「愛国心」や「武士道精神」を取り戻す事です。

そうした意味で、私たちの活動は、単なる団体としての利益ではなく、日本にとって大切なものであります。

もし、私たちが黙ったままでいると、戦争で生命をかけて日本のために尽くした英霊に対して顔向けが

できません。また、現在の国際社会の中で、日本は、誤解を受けたままになってしまい、

今後の国益を大きく損ねる結果になり、繁栄の道が閉ざされたままになってしまいます。

私たちの活動にご理解をただき、ぜひ、署名活動へのご協力をお願いする次第です。



※中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、

日本政府に万全の措置を求める署名
http://info.hr-party.jp/2014/3159/


--------
◎幸福実現党公式サイト http://hr-party.jp/
◎HRPニュースファイルサイト(バックナンバーがご覧いただけます)

http://hrp-newsfile.jp/


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中国の食品汚染 国内では港でコメ食べたスズメが死んで騒動

2014-08-05 00:00:10 | 日記

理想国家日本の条件   さんより転載です。

中国の食品汚染 国内では港でコメ食べたスズメが死んで騒動

落ちたコメを食べた野生スズメが大量死 専門家「食べ過ぎだ」=湖北省宜昌市



 

中国の食品汚染 国内では港でコメ食べたスズメが死んで騒動

2014.08.03 16:00

http://www.news-postseven.com/archives/20140803_269556.html

 

再び世界を唖然とさせた中国の食品汚染問題。

中国の情勢に詳しい拓殖大学教授・富坂聰氏が指摘する。

 * * *


 上海福喜食品が期限切れの肉を混入したチキンナゲットを出荷し、

外資系ファーストフードチェーンを巻き込んだ騒ぎとなったのは7月のことだ。

きっかけは上海の衛星テレビ「東方衛視」の潜入取材だった。

 同じ7月、中国ではもう一つの大きな食品問題がネットを中心に盛り上がった。

こちらの問題の入り口となったのは、マスメディアではなく、中国版ツイッターと呼ばれる微博であった。

 

 健康専門紙の記者が語る。

「湖北省のユーザーが発した一報が大きな議論を巻き起こしたのです。その内容というのは

『港で貨物からこぼれたコメが散乱し、それに群がったスズメが大量死した。

この原因について当局は、スズメが食べ過ぎで死んだとの見解を示した』というものでした。

大量のスズメが一斉に食べ過ぎで死ぬなんてことがあるはずかありません。

ですから当然この説明に対して、納得できない人々が一斉に不満の書き込みを投じることとなり、

問題は一気に大きな騒ぎになっていったのです。

食品問題では多くの中国人が被害者意識を持ち神経質になっていますからね。

火に油を注いだということでしょう」

 事件は6月27日、宜昌市の明珠埠頭で起きたという。一隻の貨物船から大量のコメがこぼれ、

地面に散乱した。それに20羽前後のスズメが群がり、ほとんど死んでしまったというのだ。

「食べ過ぎ……」というのは、この現象に対する説明として流されたものであった。

 

 騒ぎが全国的な広がりを見せたことで新華社もこの問題を取り上げた。7月3日の記事によれば、

地元・宜昌市の政府が死亡したスズメを検査し、その結果として体内からカルポフランという

農薬(殺虫剤)が検出されたことを公表し、同時に

「食べ過ぎで死んだと答えた政府関係者については不明」と回答したという。

 

 食品衛生部門もこの問題を重く受け止めたのだろう。7月2日には食品薬品検験検測センターが

さらに詳しく現場に散乱したコメとその産地の土壌を検査している。

 その結果を踏まえて行った発表では、当然、「スズメは食べ過ぎで死んだのではない」ことが

明らかとなったのだが、それに加えて「すでに産地の農地は封鎖され、その一帯で生産されたコメが

市場に出回ることはない」ことも付け加えられた。

 それにしても不思議なのは、スズメを一瞬にして死に追いやってしまうほどの

強烈な汚染がある現実と、それとコントラストを描くような

当局の過剰ともいえる迅速な対応である。

 もちろん食の安全問題は中国でももう10年以上も重要なテーマであり続けているのだから、当

局が敏感になるのは当然だろう。

だが、その力の入れ具合に反して同じ問題がずっと続くのも、中国における食の問題の大きな特徴なのである。

 

事実、コメに関しては2013年春に広東省が業者に対して行った抜き打ち検査で、

全18サンプルのうち8件が国の基準を上回るカドミウムを含んでいたことが明らかにされたばかりだ。

中略

つまり、少なくとも2011年から今日まで、当局がどれほど厳しく取り締まっても実態は何も変わらなかった

ということなのだ。この点が、一度大騒ぎすると社会の価値観が大きく変わる日本社会との違いだろう。

 http://www.news-postseven.com/archives/20140803_269556.html?PAGE=2

 

 

 

  毎日、すずめに窓辺で、えさやってます   桜 咲久也

 ((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル


 

カエル『スズメウメェ!』カエルがスズメを捕食する衝撃的瞬間


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