あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

老害・村山富市が訪韓へ…韓国で「村山談話」意義を強調し「河野談話検証」の無意味さを講演

2014-08-16 09:23:22 | 日記

草といわれるスパイ。それはその国になじみとけ込んでいる存在です。

総理にまでなったのですからその影響力は大変なものです。

従軍慰安婦を捏造した国にしてみれば、同朋その者であり大歓迎の人物です。

国益に反する人物=売国奴を出獄させる政府や外務省も手が出せない存在でなっています。

だらしない主権のない日本です。

はやく幸福実現党が政権を取らないと、さらに食い物にされる時代が続きます。

保守への覚醒  さんより転載です。




★村山元首相が訪韓へ 講演で「村山談話」意義強調

社民党の村山富市元首相が21~23日の日程で韓国を訪問し、歴史認識問題をめぐって講演することが分かった。首相在任中の平成7年に発表した、過去の植民地支配と侵略を認めた「村山談話」の意義をあらためて強調する方針だ。政府要人や韓国の国会議員との会談は予定していないという。関係者が14日、明らかにした。
 
関係者によると、韓国政府系の「東北アジア歴史財団」の招待。

村山氏は22日にソウルの同財団施設内で講演する。日本政府が、慰安婦問題に関する5年の河野洋平官房長官談話の作成経緯を検証した報告書を公表したことには「検証自体、意味がないことだった」と懸念を示す意向だ。
 
村山氏はこれまでの講演などで、村山談話について「過去の歴史に対するけじめがついた。ある意味で国際的な定説になっている」と説明している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140814/stt14081417030003-n1.htm






この極左のご老体にまだあの世からのお迎えは来ないのか。

その代わりに韓国政府の反日団体からお迎えが来た。

それにに応えて「河野談話の検証自体、意味がないことだった」と発言し韓国側のプロパガンダに協力するいつもの売国行為を展開する予定だと言う。

韓国政府が、村山富市のような売国奴を韓国に招きプロパガンダに協力させたい意図は分かるが、反政府的な反日発言を行う事が分かっていながら、村山のような人物を簡単に出国させる日本独特の“国益を害する自由さ”が何故か当たり前のように繰り返されているのだ。

韓国では、親日家と言うレッテルを貼られた者は糾弾され言論の自由すら与えられていない。更に出入国も厳格に制限されている。

主要先進国のほぼすべての国で、一定の影響力のある人物が海外を訪れ、その国のプロパガンダに協力したり、反政府的な活動をする人物の行動はそれぞれの国で厳しく制限されている。

更に、国を売るような国賊的な行動を見せた者は、帰国後は情報当局に徹底的に監視され、場合によっては当局に拘束され、警告や出国停止処置を受けることもしばしばある。

日本だけが、韓国が好んで招待する村山富市や、支那が喜んで招待する鳩山由紀夫などのような札付きの売国奴が、勝手気ままに行動できる摩訶不思議な国なのである。

これは至急に何とかしなくてはいけませんね。今後のためにも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人肉食」も…旧日本軍のインド人捕虜への残虐行為

2014-08-16 00:37:50 | 日記

インド独立の気概を持たせ、独立できたのは日本軍のおかげです。

なぜ今頃こんな捏造記事がまかり通るのか、、、

だまっているばかりの日本政府!!ばかの集まりです。

理想国家日本の条件 さんより転載です。

「人肉食」も…旧日本軍のインド人捕虜への残虐行為

 

           


日本を守る!ニュース速報 第353号

インド最大手新聞「タイムズ・オブ・インディア」に、第二次世界大戦で、日本人兵士たちが、

当時、英国軍として戦ったインド人兵士40000人を捕虜にし、その内、処刑したインド人兵士19人を、

身体をバラバラにして「食べた」という記事が、かなり大きく掲載されました。

━━━━━━━━━━━
◆Japanese ate Indian PoWs, used them as live targets in WWII(The Times of India)
http://bit.ly/1pm5YJ8


「人肉食」も…旧日本軍のインド人捕虜への残虐行為、

印紙報道 その背景とは

更新日:2014年8月15日 転載、させていただいた記事です

 http://newsphere.jp/world-report/20140815-2/

日本インドは、長らく友好関係を築いている。しかし、第2次世界大戦当時、インドはイギリスの植民地であり、

連合国側に属していた。このインドの軍隊と、枢軸国であった日本とが、戦火を交えたこともあった。

このとき、日本軍が捕虜として捉えた、インド軍将兵に対して行った残虐行為を、インドの英字日刊紙

『タイムズ・オブ・インディア』が詳しく伝えている。

 

【日本軍が捕虜としたインド軍将兵に対する非人道的行為】


 1942年2月15日、日本は、当時イギリス領だったシンガポールを陥落させた。

このとき、英領インド軍(英印軍)の将兵4万人が日本軍の捕虜となった。そのうち約3万人は、イギリス支配に

抗しインドの独立を目指すインド国民軍に入隊した。この軍の設立にあたっては、日本軍が中心となって動いた。

 しかし、入隊を拒んだ1万人は、日本軍の強制収容所での拷問を運命づけられた、と

『タイムズ・オブ・インディア』は語る。収容所でのインド人捕虜の扱いは、非人道的なものだった。

過重な労働、乏しい食料、絶え間ない暴行。そして捕虜が、生きたまま射撃訓練の標的とされることが、

何度もあった、と記事は語る。

 船で移送される際にも、寝る場所もないほど船室にすし詰めにされ、水や食料を満足に与えられず、

目的地にたどり着く前に多くの者が死んだ、と記事は語っている。

 

【英印軍の将校らによる、日本軍の人肉食の証言】

「しかし、日本軍が行ったあらゆる残虐行為の中で、最も戦慄を覚えさせるものは、

彼らが人肉食を行ったことである」と記事は伝える。

 英印軍のある将校はこのように告発にする。「Suaidという村で、日本軍の軍医が、周期的に

インド人捕虜収容所を訪れて、毎回、最も健康な者たちを選び出した。その者たちは、表向きは

任務を果たすためということで連れ去られたが、彼らは決して戻ることはなかった」。

さらに日本軍は、インド人捕虜ばかりでなく、ニューギニアの現地人さえも殺害し、食していたと主張する。

 他の将校はこのように告発している。「自分と一緒にウェワク(の収容所)に行った300人のうち、

50人だけがそこから出ることができた。19人は食べられた。日本人の医師――ツミサ中尉は、

3、4人の小部隊を作り、インド人1人を何かの用事で収容所の外に遣わすのだった。

日本人たちはすぐさま彼を殺害し、彼の体の肉を食べるのだった。肝臓、臀部の筋肉、大腿部、下肢、腕が

切り取られ、調理されるのだった」。

 

【その他にも証言、証拠があるという】

記事では、これらの告発内容についての裏付けは伝えられていないが、この他にもさまざまな証言が

あるという。しかもそれらは、連合国が設置した戦争犯罪調査委員会に対する、宣誓証言として

行われたと伝えている。その証言に基づき、何人かの日本人将校とその部下が裁判にかけられた。

人肉食によって有罪が宣告され、絞首刑に処された将校の名前を、記事は挙げている。

訴えられた日本人は、これらの告発を常に否認したそうだ。

 1992年、田中利幸氏という日本人歴史家が、インド人や他の連合国側捕虜に対する、

人肉食を含む、日本軍の残虐行為の明白な証拠を発見した、と記事は伝える

(氏は現在、広島市立大学広島平和研究所教授)。その証拠がどのようなものかについて、

記事は触れていない。

氏は、1997年に『隠された惨事――第2次世界大戦における日本人の戦争犯罪』という本を英語で

発表した。その本では、日本軍は食料の貯えが次第になくなったときに人肉食という手段に訴えた、

という連合国側の下した判決が反論されているという。人肉食は上級将校の監督下で行われ、

権力を表象化する手段として認識されていた、との主張だそうだ。

 

【英印軍の再評価の試みとも】


 このように、日本軍が英印軍の捕虜に対して行った残虐行為の数々が、記事では列挙されている。

しかし、記事の狙いは、日本軍の非道ぶりを暴くことだけではないようだ。

 インドでは、インド国民軍は、イギリスからの独立に寄与した存在として、特別視されている。

戦後、イギリスがインド国民軍将兵を裁判で裁こうとしたため、イギリスへの反感が爆発し、

独立への機運が一気に高まった。その後、1947年8月15日にインドは独立を果たした。

 反面、英印軍に対する評価は芳しくないようだ。記事によると、インドのナショナリストが

第2次世界大戦を語るときには、ずっと、インド国民軍と邪悪な大英帝国の衝突として描かれてきた

という。その構図では、英印軍はイギリスの手先の悪役だ。しかし、英印軍将兵が、日本軍の捕虜となり

拷問を受けた際にも、忠誠を守り続けたことは、注目に値する勇敢さだと、記事は語る。

記事は、この勇敢さ、不屈の精神を、英印軍だけのものでなく、インド人一般のものとして捉えようとしている。

英印軍将兵の示した忠誠心も、実はイギリスに対する忠誠心ではなく、同胞や上官、自分の所属する

部隊に対してのものだった。そして、この忠誠心と、インド国民としての強いアイデンティティーとが

結び付いて、彼らをあらゆる種類の困難に耐え抜かせていたのかもしれない、と語る。

そしてこのアイデンティティーこそが、英国による支配を揺り動かしたのだろうと、

英印軍の中にも、独立に寄与するところがあったとほのめかしている。

 この記事を引用するかたちで、国際ビジネスニュースサイト

『インターナショナル・ビジネス・タイムズ』(英国版)と、バングラデシュの『デイリー・スター』が

取り上げている。前者は、人肉食を中心に、日本軍が行った戦争犯罪の非人道性に着目して、

抜粋して伝えている。後者は、ほぼ人肉食のことだけを伝えている。

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫) [amazon]

 一部抜粋

◆Japanese ate Indian PoWs, used them as live targets in WWII(The Times of India)


http://bit.ly/1pm5YJ8


Indian Army PoWs made live targets for new Japanese infantry recruits



An emaciated Indian PoW from Hong Kong onboard the medical ship Oxfordshire (Getty Images)

.






Soldiers who didn't die in the firing being bayoneted to death

Different historians have come up with different explanations for this. Some say it was because the men, at least the officers, were highly Anglicised Sandhurst-trained men who also came from families that had a history of generations of loyal service to the British. But in the words of Claude Auchinleck, these men didn't have any particular loyalty towards Britain.

The men were loyal to each other, to their regiments, to their officers. It was this loyalty that cemented such a diverse army like the Indian Army together. This loyalty, coupled with a strong sense of Indian identity, which had become stronger due to the ongoing National Movement back home, may have made the men endure all sorts of hardship. And it is this strong sense of Indian identity in the army that would shake up the Raj.

When India became independent in 1947, these same British-trained officers and men inherited a colonial army and transformed it into a national army that became the muse of patriots of all ages almost overnight.

Write to this correspondent at manimugdha.sharma@timesgroup.com


 
腹立たしい!これは!!!!おぞましすぎる捏造!

それも、この英霊の戻られるお盆の時期に!!(; ・`д・´)


政府が、コメント出さないと駄目でしょ!!

「向こう」が、お金で記事を書くなら、広告でも出して・・

これが現代の闘いなら、攻撃されたら、ケチらないで、そのたびにやるのも国防。。。



関連記事



読売、産経新聞、全面広告 『天に誓って「南京大虐殺」はあったのか』(アイリス・チャンの霊言)




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大東亜戦争敗戦記念日を迎えて  【プレスリリース】終戦の日にあたって

2014-08-16 00:31:59 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

大東亜戦争敗戦記念日を迎えて

[HRPニュースファイル1094] http://hrp-newsfile.jp/2014/1641/

文/HS政経塾1期卒塾生 彦川太志氏



◆「大義に殉じた」先人に感謝を表そう

ちょうど69年前の8月15日正午、昭和天皇の玉音(肉声)を録音した一枚の

レコード盤が、日本全国のラジオで一斉に放送されました。

「朕、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、

時局を収拾せんと欲し・・・」という出だしで始まり、大東亜戦争の敗戦を全国民に

諭旨した「大東亜戦争終結の詔書」、通称「玉音放送」です。

当時、全国の諸先輩方がどのようなお気持ちでこの放送を拝聴していたか、

昭和60年生まれの筆者には想像するより他の手段はありませんが、

「欧米植民地政策からのアジア同胞の解放」という、自衛戦争・解放戦争としての

大義に命をかけておられた先人に対して、感謝と敬意を形に表す一日にしたいと

考える次第です。

◆安倍首相の靖国神社「不参拝」2つの理由

ところで一週間ほど前、安倍首相が8月15日の靖国参拝を見送る方針であるという

報道がありました。11月に北京で開かれるAPECで「日中首脳会談」を実現するための

配慮であると言われています。

確かに、昨年12月の靖国電撃参拝において、中韓はおろか、米・露・印・独から

批判的な反応が返ってきたことを鑑みれば、外交において「安全運転」を志向したいと

考えているとしても不思議ではありません。

しかし、政党政治家として無視できない最大の問題としては、「内閣支持率」と

「地方選への影響」を心配しているのではないでしょうか。国内を固めなければ、

外に打って出ることも難しいものです。

今回は、地方における保守回帰運動の必要性について、レポートしたいと思います。

◆地方自治体での「保守回帰」運動推進の必要性

まず安倍政権の支持率ですが、各報道機関でばらつきがあるものの50%前後。

不支持率については35.1%~41%と報道されており、支持率―不支持率の

逆転が近いことが印象付けられてしまいます。

次いで地方選、特に首長選挙では自民系候補の大敗が続いていることから、

現政権が地方において必ずしも安定勢力を確保し切れていない。

という実態が改めて浮き彫りとなりました。

これらのことから、安倍首相は来年の統一地方選を控え、「保守色を強めることが

必ずしも得策にならない」という判断を下している可能性もあります。

地方自治体において、十分に「保守回帰」が進んでいない現状が、安倍首相の

靖国参拝に二の足を踏ませているのならば、誰かが「保守回帰」運動を推進しなければなりません。


◆地方自治における革新勢力の現状とは

ところで、地方自治における革新勢力の影響力について、一つの指標となるのが、

「自治基本条例」の制定自治体数です。

自治基本条例とは、菅直人元首相が“師”と仰ぐ松下圭一氏による政治理論を基に

構想された地方自治理論ですが、その本質は「国家の否定」であり、

憲法の下における「地方自治制度の破壊」です。

同条例の制定をタテに、左翼勢力によって議会運営が混乱に陥れられるような

事態が現実に報告されています。

そのような危険性を持つ「自治基本条例」を制定する地方自治体数は、

全国1797の自治体のうち、その6分の1にあたる308もの自治体に上ります。

松下理論を背景に持つ条例が300以上の自治体で制定され、さらに多くの自治体で

審議の俎上に上っているということ自体、地方自治体の「保守回帰」を進める

必要性を示していると言えそうです。


◆明治以来の近代化を再評価し、地方から「保守の風」を起こそう

「保守回帰」とは明治以降の近代史の再評価であり、旧軍関連の歴史の再評価であると考えます。

具体的な例として、戦前から軍港として栄えてきた神奈川県横須賀市を挙げたいと思います。

横須賀市には、記念艦三笠や日米海軍の軍港と言ったスポットのみならず、日本最初の

総合工場として名高い「横須賀造船所」が造られたという歴史がありますが、

「軍事色が強くなるから」という理由から、観光資源として十分な活用がなされておりません。

実際、「市長が“軍港”のイメージを払拭しようとするあまり、せっかくの観光資源、

歴史的遺産を生かしきれていない」という意見が地元からも強く出ているのです。

保守回帰を進め、大東亜戦争の意義を正しく評価することは、地方の活性化に

間違いなく直結すると考えられるのです。

明治以来、わが国は近代化を進めた結果、「欧米植民地政策からのアジア同胞の解放」

という大義を達成しました。靖国に眠る英霊の皆様は、そのような大義を成就するために

一身を投げ出し、後世に大きな徳を残された方々です。

安倍首相に置かれましては、どうか表面的なリスクに迷うことなく、大義のもとに

靖国参拝を成し遂げていただければと思います。

参考
NPO法人:公共政策研究所 全国の自治基本条例一覧)
自民党政策パンフ:「チョット待て!!“自治基本条例”」
日本政策研究センターHP
月刊ザ・リバティ2011年5月号:嶋田陽一氏寄稿オピニオン
◎幸福実現党公式サイト http://hr-party.jp/
◎HRPニュースファイルサイト(バックナンバーがご覧いただけます)

 


 

  【プレスリリース】終戦の日にあたって

2014年8月15日 http://shaku-ryoko.net/etc/4126/

本日、69回目の終戦の日を迎えました。先の大戦で亡くなられたすべての御霊に対し、

衷心より哀悼の意を表します。国家のために一命を擲った英霊に哀悼の誠を捧げることは

一国の指導者にとって当然の務めであり、独立国家としての根幹にかかわる問題です。

昨年12月、安倍晋三首相は靖国神社を参拝しましたが、内外からのいわれなき非難に

屈することなく、このたびも靖国神社に参拝されるよう要望するものです。

現在、近隣国は、事実無根の「南京大虐殺」や「慰安婦問題」など歴史認識をめぐって対日攻勢を

強めています。その背景にあるのが、「先の大戦で日本はアジアを侵略した」とする東京裁判史観です。

しかし、米国をはじめとする連合国側がわが国を一方的に断罪した東京裁判は、不当極まりないもの

と言わざるを得ません。私たちは、先の大戦は「欧米列強の植民地支配から有色人種を解放し、

白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたもの」

と解釈するのが、公正な歴史認識だと考えます。

 歴史認識をめぐる日本の名誉を回復し、日本の誇りを取り戻すためには、河野談話の撤回、

村山談話の見直しが喫緊の課題です。昨夏、わが党の大川隆法総裁が、政府の歴史認識を

改める新たな首相談話の参考として、「大川談話-私案-」を発表しました。安倍首相には、

新談話を発表し、正しい歴史観に基づく日本の姿勢を内外に鮮明にするよう重ねて求めるものです。

 なお、本日、幸福実現党は党首以下、靖国神社を参拝するとともに、

「終戦の日 英霊への感謝と未来への集い」(東京・赤坂のユートピア活動推進館で

11時、13時、15時の3回開催)にて、宗教政党として日本と世界の平和と繁栄を祈念いたします。

幸福実現党党首 釈量子

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者よ、君たちが生きるきょうという日は  死んだ戦友たちが生きたかった未来だ

2014-08-16 00:26:38 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

【3分で読める『致知』の感動する話】
  ~終戦記念日 特別配信~



「若者よ、君たちが生きるきょうという日は
 死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」
……………………………………… 

 戦艦大和の乗組員として、
 その沈没を体験、上官の命と
 引き換えに一命を取り留めた
 八杉康夫氏。

 いまなお語り部としてその歴史の
 真実を伝え続ける氏が、これからの
 日本を担う若者たちへ送る
 メッセージとは――。
………………………………………  

 第一波、第二波と攻撃を受けるうち、
 大和の後部が白煙を上げているのが
 私にも分かりました。
 なおも攻撃が続けられ、
 魚雷が的中した時は震度5にも
 感じられるほど激しく揺れました。
 
 次第に船は傾いていきます。
 砲術学校では、戦艦は15度傾いたら
 限界と習ってきましたが、25度、
 30度とどんどん傾いていきます。
 
 それでも、戦闘中は命令がない限り 
 持ち場を離れることはできません。
 その時「総員、最上甲板へ」との
 命令が出ました。
 軍には「逃げる」という言葉は
 ありませんが、
 これが事実上「逃げろ」という
 意味です。
 
 すでに大和は50度ほど傾いて
 いましたが、この時初めて、
「大和は沈没するのか」と思いました。
 それまでは本当に「不沈戦艦」だと
 思っていたのです。

 もう海に飛び込むしかない。
 そう思った時、衝撃的な光景を
 目の当たりにしました。
 私が仕えていた少尉が日本刀を
 抜いたかと思うと、自分の腹を
 掻っ捌いたのです。
 噴き出す鮮血を前に、
 私は凍り付いてしまいました。
 
 船はますます傾斜がきつくなって
 いきました。90度近く傾いた時、
 私はようやく海へ飛び込みました。
 
・ ・ ・ ・ ・ ・

 飛び込んだのも束の間、
 沈む大和が生み出す渦の中へ
 巻き込まれてしまいました。
 その時、私の頭に過ったのは
 海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。
 
 海軍に入ってからというもの、
 私たちが教わったのは、
 ひたすら「生きる」ことでした。
 海で溺れた時、どうしても
 苦しかったら水を飲め。
 漂流した時は体力を消耗してしまう
 から泳いではならない……。
 
 陸軍は違ったのかもしれませんが、
 海軍では「お国のために死ね、
 天皇陛下のために死ね」などと
 言われたことは一度もありません。
 ひたすら
「生きること、生き延びること」を
 教わったのです。
 
 だから、
 この時も海の渦に巻き込まれた時の
 対処法を思い返し、実践しました。
 しかし、どんどん巻き込まれ、
 あまりの水圧と酸欠で次第に
 意識が薄れていきます。
 
 その時、ドーンという轟音とともに
 オレンジ色の閃光が走りました。
 戦艦大和が大爆破したのです。
 そこで私の記憶はなくなりました。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 気づいたら私の体は水面に
 浮き上がっていました。
 幸運にも、爆発の衝撃で水面に
 押し出されたようです。

 しかし、一所懸命泳ぐものの、
 次第に力尽きてきて、
 重油まみれの海水を飲み込んで
 しまいました。
「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
 なんともいえない恥ずかしさが
 込み上げてきました。
 
 この期に及んで情けない、
 誰にも聞かれてなければいいが……。
 
 すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長が
 いらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」と
 怒られるのではないか。
 そう思って身構える私に、
 彼は優しい声で
「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」
 と言って、
 自分がつかまっていた丸太を
 押し出しました。
 そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。
 おまえは若いんだから、
 頑張って生きろ」

 4時間に及ぶ地獄の漂流後、
 駆逐艦が救助を始めると、
 川崎高射長はそれに背を向けて、
 大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。
 高射長は大和を空から守る
 最高責任者でした。
 
 大和を守れなかったという思いから、
 死を以て責任を取られたのでしょう。
 高射長が私にくださったのは、
 浮きの丸太ではなく、
 彼の命そのものだったのです。

・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 昭和60年のことです。
 いつもピアノの発表会などで
 お会いしていた女性から喫茶店に
 呼び出されました。
 彼女は辺見さんが書かれた
『男たちの大和』を取り出し、
 こう言ったのです。

「八杉さん、実は川崎勝己は
 私の父です」

 驚いたなんていうものじゃ
 ありません。
 戦後、何とかしてお墓参りをしたい
 と思い、厚生省など方々に問い合わせ
 ても何の手がかりもなかったのに、
 前から知っていたこの人が高射長の
 お嬢さんだったなんて……。

 念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
 手を合わせることができましたが、
 墓石には「享年31歳」とあり、
 驚きました。
 もっとずっと年上の人だと
 思い込んでいたからです。
 
 その時私は50歳を超えて
 いましたが、自分が31歳だった
 時を思い返すとただただ恥ずかしい
 思いがしました。
 
 そして、
 不思議なことに、それまでの晴天が
 急に曇天となったかと思うと、
 突然の雷雨となり、まるで
「17歳のあの日」が
 巡ってきたかのようでした。
 
 天皇も国家も関係ない、
 自分の愛する福山を、
 そして日本を守ろうと憧れの
 戦艦大和へ乗った感動。
 不沈戦艦といわれた大和の沈没、
 原爆投下によって被爆者になる、
 そして、敗戦。
 
 そのすべてが17歳の時に一気に
 起こったのです。17歳といえば、
 いまの高校2年生にあたります。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 最近は学校関係へ講演に行く機会も
 ありますが、現在の学生の姿を見ると
 明らかに戦後の教育が間違ったと
 思わざるを得ません。
 
 いや、生徒たちだけではない。
 間違った教育を受けた人が
 先生となり、親となって、地域社会を
 動かしているのです。 
 
 その元凶は昭和史を学ばないことに
 あるような気がしてなりません。
 自分の両親、祖父母、曾祖父母が
 どれほどの激動の時代を生きて
 きたかを知らず、
 いくら石器時代を学んだところで、
 真の日本人にはなれるはずがない。
 現に
「日本に誇りを持っていますか」
 と聞くと、
 学校の先生ですら
「持ってどうするんですか?」と
 真顔で聞き返すのですから。
 
 よく「日本は平和ボケ」などと
 言われますが、毎日のように
 親と子が殺し合うこの日本のどこが
 平和ですか?
 確かに昔も殺しはありました。
 しかし、「殺してみたかった」など
 と、意味もなく殺すことは
 考えられませんでした。 
 
 真の平和とは、歴史から学び、
 つくり上げていくほかありません。
 鶴を折ったり、徒党を組んで
 デモをすれば天から降ってくるもの
 ではないのです。
 
 しかし、
 1流の国立大学の大学院生ですら、
「昭和史は教えてもらっていないので
 分かりません」
 と平気で言います。
 ならば自分で学べと私は言いたい。
 自分で学び、考えることなしに、
 自分の生きる意味が分かるはずが
 ないのです。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 人として生きたなら、
 その証を残さなければなりません。
 大きくなくてもいいのです。
 小さくても、精一杯生きた証を
 残してほしい。
 
 戦友たちは若くして戦艦大和と
 運命をともにしましたが、
 いまなお未来へ生きる我々に大きな
 示唆を与え続けています。
 復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。
 
 それはいま使命感へと変わりました。
 私の一生は私だけの人生ではなく、
 生きたくても生きられなかった
 戦友たちの人生でもあるのです。
 うかうかと老年を過ごし、
 死んでいくわけにはいきません。
 
 未来の日本を託す若者たちが歴史を
 学び、真の日本人になってくれるよう
 私は大和の真実を語り続け、
 いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ
 頑張った」
 と胸を張りたいと思います。

……………………………………………

「若者よ、
 君たちが生きるきょうという日は
 死んだ戦友たちが生きたかった
 未来だ」
 
 八杉康夫(やすぎ・やすお)
 戦艦大和語り部 
 
『致知』2006年7月号
 特集「人学ばざれば道を知らず」より

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
写真: 【3分で読める『致知』の感動する話】    ~終戦記念日 特別配信~  「若者よ、   君たちが生きるきょうという日は   死んだ戦友たちが生きたかった   未来だ」  ………………………………………      戦艦大和の乗組員として、   その沈没を体験、上官の命と   引き換えに一命を取り留めた   八杉康夫氏。     いまなお語り部としてその歴史の   真実を伝え続ける氏が、これからの   日本を担う若者たちへ送る   メッセージとは――。  ………………………………………       第一波、第二波と攻撃を受けるうち、   大和の後部が白煙を上げているのが   私にも分かりました。   なおも攻撃が続けられ、   魚雷が的中した時は震度5にも   感じられるほど激しく揺れました。      次第に船は傾いていきます。   砲術学校では、戦艦は15度傾いたら   限界と習ってきましたが、25度、   30度とどんどん傾いていきます。      それでも、戦闘中は命令がない限り    持ち場を離れることはできません。   その時「総員、最上甲板へ」との   命令が出ました。   軍には「逃げる」という言葉は   ありませんが、   これが事実上「逃げろ」という   意味です。      すでに大和は50度ほど傾いて   いましたが、この時初めて、  「大和は沈没するのか」と思いました。   それまでは本当に「不沈戦艦」だと   思っていたのです。     もう海に飛び込むしかない。   そう思った時、衝撃的な光景を   目の当たりにしました。   私が仕えていた少尉が日本刀を   抜いたかと思うと、自分の腹を   掻っ捌いたのです。   噴き出す鮮血を前に、   私は凍り付いてしまいました。      船はますます傾斜がきつくなって   いきました。90度近く傾いた時、   私はようやく海へ飛び込みました。     ・ ・ ・ ・ ・ ・     飛び込んだのも束の間、   沈む大和が生み出す渦の中へ   巻き込まれてしまいました。   その時、私の頭に過ったのは   海軍で教わった  「生きるための数々の方策」です。      海軍に入ってからというもの、   私たちが教わったのは、   ひたすら「生きる」ことでした。   海で溺れた時、どうしても   苦しかったら水を飲め。   漂流した時は体力を消耗してしまう   から泳いではならない……。      陸軍は違ったのかもしれませんが、   海軍では「お国のために死ね、   天皇陛下のために死ね」などと   言われたことは一度もありません。   ひたすら  「生きること、生き延びること」を   教わったのです。      だから、   この時も海の渦に巻き込まれた時の   対処法を思い返し、実践しました。   しかし、どんどん巻き込まれ、   あまりの水圧と酸欠で次第に   意識が薄れていきます。      その時、ドーンという轟音とともに   オレンジ色の閃光が走りました。   戦艦大和が大爆破したのです。   そこで私の記憶はなくなりました。    ・ ・ ・ ・ ・ ・     気づいたら私の体は水面に   浮き上がっていました。   幸運にも、爆発の衝撃で水面に   押し出されたようです。     しかし、一所懸命泳ぐものの、   次第に力尽きてきて、   重油まみれの海水を飲み込んで   しまいました。  「助けてくれ!」と叫んだと同時に、   なんともいえない恥ずかしさが   込み上げてきました。      この期に及んで情けない、   誰にも聞かれてなければいいが……。      すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長が   いらっしゃいました。  「軍人らしく黙って死ね」と   怒られるのではないか。   そう思って身構える私に、   彼は優しい声で  「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」   と言って、   自分がつかまっていた丸太を   押し出しました。   そして、なおもこう言ったのです。    「もう大丈夫だ。   おまえは若いんだから、   頑張って生きろ」     4時間に及ぶ地獄の漂流後、   駆逐艦が救助を始めると、   川崎高射長はそれに背を向けて、   大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。   高射長は大和を空から守る   最高責任者でした。      大和を守れなかったという思いから、   死を以て責任を取られたのでしょう。   高射長が私にくださったのは、   浮きの丸太ではなく、   彼の命そのものだったのです。    ・ ・ ・ ・ ・ ・      昭和60年のことです。   いつもピアノの発表会などで   お会いしていた女性から喫茶店に   呼び出されました。   彼女は辺見さんが書かれた  『男たちの大和』を取り出し、   こう言ったのです。    「八杉さん、実は川崎勝己は   私の父です」     驚いたなんていうものじゃ   ありません。   戦後、何とかしてお墓参りをしたい   と思い、厚生省など方々に問い合わせ   ても何の手がかりもなかったのに、   前から知っていたこの人が高射長の   お嬢さんだったなんて……。     念願叶って佐賀にある高射長の墓前に   手を合わせることができましたが、   墓石には「享年31歳」とあり、   驚きました。   もっとずっと年上の人だと   思い込んでいたからです。      その時私は50歳を超えて   いましたが、自分が31歳だった   時を思い返すとただただ恥ずかしい   思いがしました。      そして、   不思議なことに、それまでの晴天が   急に曇天となったかと思うと、   突然の雷雨となり、まるで  「17歳のあの日」が   巡ってきたかのようでした。      天皇も国家も関係ない、   自分の愛する福山を、   そして日本を守ろうと憧れの   戦艦大和へ乗った感動。   不沈戦艦といわれた大和の沈没、   原爆投下によって被爆者になる、   そして、敗戦。      そのすべてが17歳の時に一気に   起こったのです。17歳といえば、   いまの高校2年生にあたります。    ・ ・ ・ ・ ・ ・     最近は学校関係へ講演に行く機会も   ありますが、現在の学生の姿を見ると   明らかに戦後の教育が間違ったと   思わざるを得ません。      いや、生徒たちだけではない。   間違った教育を受けた人が   先生となり、親となって、地域社会を   動かしているのです。       その元凶は昭和史を学ばないことに   あるような気がしてなりません。   自分の両親、祖父母、曾祖父母が   どれほどの激動の時代を生きて   きたかを知らず、   いくら石器時代を学んだところで、   真の日本人にはなれるはずがない。   現に  「日本に誇りを持っていますか」   と聞くと、   学校の先生ですら  「持ってどうするんですか?」と   真顔で聞き返すのですから。      よく「日本は平和ボケ」などと   言われますが、毎日のように   親と子が殺し合うこの日本のどこが   平和ですか?   確かに昔も殺しはありました。   しかし、「殺してみたかった」など   と、意味もなく殺すことは   考えられませんでした。       真の平和とは、歴史から学び、   つくり上げていくほかありません。   鶴を折ったり、徒党を組んで   デモをすれば天から降ってくるもの   ではないのです。      しかし、   1流の国立大学の大学院生ですら、  「昭和史は教えてもらっていないので   分かりません」   と平気で言います。   ならば自分で学べと私は言いたい。   自分で学び、考えることなしに、   自分の生きる意味が分かるはずが   ないのです。    ・ ・ ・ ・ ・ ・     人として生きたなら、   その証を残さなければなりません。   大きくなくてもいいのです。   小さくても、精一杯生きた証を   残してほしい。      戦友たちは若くして戦艦大和と   運命をともにしましたが、   いまなお未来へ生きる我々に大きな   示唆を与え続けています。   復員後、長く私の中に渦巻いていた  「生き残ってしまった」という罪悪感。      それはいま使命感へと変わりました。   私の一生は私だけの人生ではなく、   生きたくても生きられなかった   戦友たちの人生でもあるのです。   うかうかと老年を過ごし、   死んでいくわけにはいきません。      未来の日本を託す若者たちが歴史を   学び、真の日本人になってくれるよう   私は大和の真実を語り続け、   いつか再び戦友たちに会った時、  「俺も生かされた人生でこれだけ   頑張った」   と胸を張りたいと思います。    ……………………………………………    「若者よ、   君たちが生きるきょうという日は   死んだ戦友たちが生きたかった   未来だ」      八杉康夫(やすぎ・やすお)   戦艦大和語り部      『致知』2006年7月号   特集「人学ばざれば道を知らず」より    -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・     月刊誌『致知』には毎号、   心の琴線に触れる記事が満載です。    ★☆月刊誌『致知』のご購読はこちらから☆★  ◎毎月858円で、人間力が高まります◎  ⇒https://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1531    ★☆スマートフォン用HPはこちらから☆★  ⇒http://www.chichi.co.jp/mobile    ★☆月刊誌『致知』とは?☆★  ⇒http://www.chichi.co.jp/info    -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・    ★☆『致知』は世界190ヶ国、   どこにでもお届けします☆★  ⇒http://www.chichi.co.jp/koudoku/world    -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 
 
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【終戦の日】 幸福実現党、靖国参拝で「日本の誇りを取り戻す」誓いを新たに

2014-08-16 00:17:47 | 日記

ザ・リバティーweb  さんより転載です。

69回目の終戦の日を迎えた15日、幸福実現党は、釈量子党首をはじめとする党役員や関係者40人以上が、東京・千代田区の靖国神社を訪れ、本殿に上がって昇殿参拝。国を守るために戦って命を落とした英霊たちに祈りを捧げた。

 

本誌の取材に答えた釈党首は、「『後に続く者を信ず』と言って倒れられた、英霊たちの御霊安かれと祈る気持ちとともに、日本の神々の気持ちを忖度(そんたく)しながら、お参りをさせていただきました」「新しい日本の未来をつくるために戦っていきたいと、行動の決意を固めさせていただきました」と述べている。

 

幸福実現党は同日、党本部の入る港区のユートピア活動推進館で、「終戦の日 英霊への感謝と未来への誓い」を3回に分けて開催。合わせて約500人が参加したこの式典では、宗教政党として日本と世界の平和と繁栄を祈念した。

 

式典では、釈党首が「大川談話―私案―(安倍総理参考)」を読み上げた。「大川談話」とは、「河野談話」や「村山談話」に代わる政府の歴史認識を示す新たな談話案として、大川隆法・幸福の科学総裁が昨年、提案したもの。「先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたものである」「本談話により、先の『河野談話』『村山談話』は、遡って無効であることを宣言する」などとうたっている。

 

幸福実現党は、新たな歴史認識を示す談話の発表を、引き続き政府に求めていく構えだ。終戦の日にあたって発表した声明の中で、同党は「安倍首相には、新談話を発表し、正しい歴史観に基づく日本の姿勢を内外に鮮明にするよう重ねて求める」としている。また、「国家のために一命を擲った英霊に哀悼の誠を捧げることは一国の指導者にとって当然の務めであり、独立国家としての根幹にかかわる問題」として、安倍首相が再び靖国神社に参拝するよう求めた。

 

戦後70周年にあたる来年に向けて、中国や韓国は歴史問題で日本に対する外交攻勢を強化してくると予想される。「日本の誇りを取り戻す」というスローガンを掲げる幸福実現党は現在、中国が3月、南京事件と慰安婦問題の資料について、ユネスコ記憶遺産への登録を申請したことに抗議する署名活動を行っている。11月末まで署名を集める予定だ。

 

釈党首らとともに昇殿参拝した幸福実現党員(50代・女性)は、「日本人だから靖国は絶対に来なければいけないと思い、参加しました。祖父がフィリピンで戦死し、靖国に合祀されています。現地で伝染病が発生し、薬が足りない中で、祖父は自分の薬を人に分け与えて亡くなったと聞いています。英霊たちの誇りを取り戻すために努力したい」と語っている。

 

釈党首は、終戦70周年の節目に向けた同党の活動について、「特に中国・韓国の反日的な動きが非常に活発化しています」「どのような思いで何を訴えていくのかが、非常に重要な時期になるのではないかと思います」と語った。(居/呉)

 

【関連サイト】

幸福実現党 「プレスリリース 終戦の日にあたって」

http://info.hr-party.jp/press-release/2014/3330/

 

幸福実現党 「中国による『南京大虐殺』『従軍慰安婦』のユネスコ記憶遺産への申請に抗議し、 日本政府に万全の措置を求める署名」

http://info.hr-party.jp/2014/3159/

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『「河野談話」「村山談話」を斬る! 日本を転落させた歴史認識』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=992

 

【関連記事】

2014年9月号記事 日本とドイツもう謝罪は要らない - 日独は「誇り」を取り戻せ

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8170

 

2014年7月2日付本欄 「日本の歴史は日本人が解釈すべき」 テキサス親父が来日公演

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8088

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【そもそも解説】お盆ってなに? 死んだ人が還ってくるってどういうこと?

2014-08-16 00:15:01 | 日記

ザ・リバティーweb   さんより転載です。

「地獄の釜の蓋も開く」という言葉がある。「お盆と正月の16日には、地獄の鬼さえも休息を取るのだから、この世の住人も仕事をやめて休むのが当然だ」という意味のことわざだ。ということで、長めの休みを取って実家に帰り、羽を伸ばしている人も多いだろう。

 

多くの人はお盆に、墓参りに行く。それも「地獄の釜の蓋」が開き、故人もこの世に帰って来ると言われているからだ。故人を「迎え火」で迎え、「送り火」で送るのも同じ理由だ。ほとんどの人はこの風習を、単なる伝統か、あるいは休みを取る口実くらいにしか考えていないかもしれないが、そうともいえない。

 

次のような体験をしたことのある人はいないだろうか。離れた場所にいる人のことが無性に気になった時、ちょうどその人が亡くなったという「虫の知らせ」。あるいは、「あの人にどうしても会いたい」と思っていると、偶然どこかでその人とばったり会ってしまうという体験。

 

この世でも「思いが通じる」ということが時々起きるが、「あの世」ではこの法則がさらに強く働く。例えば、あの世で知り合いのことを考えると、一瞬でその人のところに行ってしまう。これが「お盆」の意味を解く鍵だ。

 

お盆には「霊的」に何が起きているのか。大川隆法・幸福の科学総裁は著書『幸福供養祭特別御法話』〔幸福の科学の精舎、支部で頒布〕で次のように述べている。

 

「お盆になると、地上で先祖供養を一生懸命やるので、あの世の人も『還ってきたい、還ってきたい』と思うし、『お盆の季節になると、子供たちがお墓参りにくるはずだ』とか、いろいろなことを考えているので、両者の念が合体して、そこに橋が架かって、出てきやすくなる」

 

実はお盆に似た習慣は海外にもある。古代ケルトの宗教では、一年のある時期になるとこの世とあの世の門が開き、先祖の霊や悪霊などがこの世にやって来ると言われていた。そこで、火をたいて先祖を迎え、仮装をして悪霊を追い払うという風習として「ハロウィン」というお祭りが行われてきた。日本とケルトの風習がたまたま重なったと考えるより、実際にこの世とあの世の人がつながるというそうした「現象」があると考えるべきだろう。

 

お盆は、本当にこの世の人間と故人が「再会」する時期なのだ。(光)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『エクソシスト概論』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1223

 

同書のアマゾン紹介ページ

http://amazon.co.jp/o/ASIN/486395509X/liberty0b-22/

 

幸福の科学出版 『霊界散歩』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=133

 

【関連記事】

2011年11月号記事 誤解だらけの慰霊・鎮魂─震災犠牲者の霊は今どうなっているのか?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=2936

 

2006年10月号記事 靖国問題を「供養の心」から考える

http://the-liberty.com/article.php?item_id=379

 

2004年9月号記事 亡くなった人の魂の行方と供養は?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=196

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公開霊言抜粋レポート「悪魔に人生を狂わされないために、悪魔の影響から身を守る智慧」

2014-08-16 00:00:10 | 日記

危機に立つ日本  さんより転載です。



公開霊言抜粋レポート



悪魔に人生を狂わされないために

悪魔の影響から身を守る智慧

「エクソシスト概論」(Q&A)

2014年7月25日収録

リバティウェブより
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8279


「霊言現象」とは、あの世の霊存在の言葉を語り下ろす現象のこと。これは高度な悟りを開いた者に特有のものであり、「霊媒現象」(トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる現象)とは異なる。また、外国人の霊の霊言には、霊言現象を行う者の言語中枢から、必要な言葉を選び出し、日本語で語ることも可能である。 詳しくは⇒⇒⇒大川隆法のスーパー霊能力 「霊言」とは何か





 ローマ法王庁の聖職者会議は7月、30カ国の司祭250人が加入している「国際エクソシスト協会」をカトリック団体として許可した。エクソシストとは、悪魔祓いを行う宗教家を意味する。

 現在のフランシスコ法王は、説教の中で悪魔の存在に触れるなど、悪霊や悪魔に関心が高い。だが、キリスト教において「悪魔」は、神とはまったく違う存在として認識されている。その考え方は正しいのか。悪魔とはいったいどのような存在であり、どのようにしたら悪魔から身を守ることができるのだろうか。





凶悪犯罪は悪魔の所業?

 悪魔といっても、物語や映画の世界で見たことはあっても、通常はどんな存在なのか、イメージしにくいかもしれない。

 だが、それは私たちの生活と無関係のものではない。



 長崎県佐世保市で、女子高校生が同級生殺害の疑いで逮捕されるというショッキングな事件が起こった。こうした凶悪事件の犯人は、「悪霊」や「悪魔」の影響を受けていることが多い。



 1997年に神戸市須磨区で起きた「神戸連続児童殺傷事件」では、当時14歳の少年が逮捕された。新聞社に送った犯行声明文には「透明な存在であるボク」という言葉が使われていたが、まさに目に見えない悪霊という存在が彼に影響を与えていたと考えられる。



 さらに、統合失調症、多重人格といった、医学的には精神病に分類される症状も、たいていは悪霊や悪魔によるものである。



 特に悪魔に影響を受けている時には、「死ね」という自殺を勧める声や「殺してやる」という声が聞こえてくるようになるという。



 特に今は、悪しき情報に接する機会も増えたためか、子供のうちから小悪魔の影響を受ける人も増えているようだ。



 では、悪霊、悪魔は、どのようにして私たちに影響を及ぼしてくるのだろうか。それを理解するヒントが「波長同通の法則」だ。

 心から出ている波長が似ている者同士は引き付け合い、影響し合う。そのため、"彼ら"と似たような悪しき思いを持たなければ、遠ざけることができる。



 とはいえ、悪魔の場合は力が強いため、神仏の教えを広げようと努力している善なる人に対しても攻撃を仕掛けてくることがある。彼らから身を守るためには、宗教修行や神仏を信じる仲間との連携が必要になってくる。

 幸福の科学グループ・大川隆法総裁は、「エクソシスト概論(Q&A)」と題した質疑応答を通じ、「エクソシスト」や「エクソシズム」について、さまざまな角度から説いた。





悪霊、悪魔とはどんな存在なのか

 宗教には、表現は違えど「悪魔」と呼ばれる存在が登場する。

 キリスト教では、ルシフェルやベルゼベフと呼ばれる霊的存在が「おまえが神の子なら、この石を変じてパンにしてみよ」などと、イエスを折々にそそのかし、惑わしているエピソードが知られている。

 また、仏教においては、釈尊が悟りを開く前に、悪魔が邪魔をしてきたことが、仏典などに記されている。

 イスラム教でも「ジン」という砂漠地方の悪魔が出てくる。



 悪霊、悪魔は神仏のアンチテーゼとなる存在だが、そもそも彼らはなぜ存在しているのか。特にキリスト教では、「神がこの世界を創られたならば、なぜこうした神仏に歯向かう存在を創られたのか」といった問いが繰り返されてきた。



 実は、悪霊や悪魔は、神仏が意図して創られた存在ではない。彼らは、本来は神仏の子として創られた人間だった。私たちの心は自由であり、神仏と同じような思いを持つこともできれば、神仏と敵対するようなマイナスの思いを持つこともできる。神仏から与えられた「自由性」を間違って用いてしまったのが、「悪霊」「悪魔」と呼ばれる存在だ。



 悪霊とは、この世に生まれた時に「足ることを知らない欲望、愚痴、不平不満、猜疑心、欲求不満、劣等感、自己顕示欲」といった煩悩にとらわれ、反省することなくあの世に帰って迷っている魂のことである。



 一方、悪魔とはより積極的に「人々を害し、転落させよう」という悪意を持った存在である。特にこの世において、宗教家、思想家、政治家など、リーダー的立場にあった人で、自らの権力欲のために人々を恐怖に陥れたり、大勢の人を思想的に狂わせたりした人は、死後に悪魔となっているケースが多い。



 本収録で、大川総裁は「人間として生きたときにかなりの悪業を積み重ね、死んで地獄に行って、千年、二千年と出てきてないようなタイプの人は、普通の悪霊とは言えず、悪魔と化している」と指摘し、彼らと戦うカギとして、「日々の精進から出てくる法力を身につける」「信仰心を高め、同じ信仰を持つ仲間で戦う」といった点を挙げた。





統合失調症などの心の病から立ち直るには

 近年、精神疾患で病院にかかっている患者数は大幅に増えつつある。2011年には320万人もの患者が、医療機関で何らかの精神病の治療を受けている。



 だが、現代医学においては、精神病の原因は明確になっておらず、投薬治療か入院しか有効な治療手段がない。たとえば、統合失調症で精神科に入院している患者の4割が、3種類以上の抗精神病薬を処方されているとの調査結果が明らかになった(2013年8月20日付朝日新聞)。だが、3種類以上の薬を飲んでも治療効果はあがらないばかりか、むしろ副作用リスクが高まる。



 精神病の治療のためには、霊的な視点が不可欠だ。統一した人格を維持できず、自他を傷つける行為が増える人は、たいてい、悪霊や悪魔といった存在に影響を受けている。

この場合、自分がどのようなマイナスの思いを発しているのかをよく見つめ、反省する必要がある。

 さらに、本法話では、この世の役職や経験からくるプライドを捨てて、正しい宗教に帰依する気持ちになれば、守る力は強くなると語られた。



 とはいえ、長期間にわたって悪霊や悪魔の影響を受けてきた場合は、悪しき部分を取り除こうとすると、本人の人格が崩壊する場合もある。ゆえに、悪霊と同通する思いや行いを反省すると同時に、「その人が気づいていない良さ、優れている点、苦労の中で耐え抜いたところは立派であるといった、新しい柱を差し込んで、自我を支えてやりながら、真理を注ぎ込んでいく作業が要る」との"処方箋"が示された。



 一方、高級霊からの指導を受けている場合も、統合失調症と同じような症状が現れることがある。



 例えば、映画「ビューティフル・マインド」のモデルとなった数学者のジョン・ナッシュ氏は、「学問的には天才性を発揮したが、異常の世界に入り込んでいる」と考えられていた。

 だが、大川総裁は著書『「未来産業学」とは何か』において、純粋で透明になって真理に向かっていくとあの世に通じていき、あの世のいろいろなものが見えてくることもあり、ナッシュ氏は狂っていたわけではないという"判定"を行っている。



 このようなケースに対して、大川総裁は以下のようなアドバイスをした。



「高度な霊能力を持ちながらも、この世的な判断力、仕事力、実務力とか、こうしたものを失わないことは、正気を失わないためにも非常に大事な訓練である」



 霊現象の中には、最初は高級霊のフリをして徐々に道を誤らせていく悪魔によるものや、高級霊が指導していたが、指導されている本人の慢心や認識不足によって悪霊の指導に入れ替わっていくケースもある。そうした意味で、この世的な「重石」をかけ、霊的になりすぎないことも、悪霊や悪魔から身を守るためには大切なことのようだ。





先祖供養の問題点

 最後に季節柄、先祖供養の問題にも触れておきたい。

 お盆の時期には、先祖供養やお墓参りが各地で行われる。そのためか、「夏のお盆頃の一週間ぐらいは地獄の門が開くらしい」(経典『幸福供養祭特別御法話』より〔幸福の科学の精舎、支部で頒布〕)とのことである。



 ゆえに、お盆の時期に先祖に感謝を捧げ、万が一、地獄で"修行"している先祖がいたとしても、正しい宗教の知識を学んだ上で「あなたの心の間違いはこの点です」と教えてあげるという意味での「供養」は、大事なことであり、先祖に対する「愛の行為」といってよい。



 だが、一部の宗教では、「先祖が迷っているために、あなたの不幸が続いているのだ」と先祖供養を推奨する。こうした場合は、先祖供養が「責任転嫁」の論理となってしまう。



 先述したように、悪霊や悪魔の影響は「波長同通」の原則に基づいて起きる。たとえ、不慮の事故が続いたり、経済的苦境が現れたりといった、誤った生き方をして迷っている先祖の霊が原因と思われる不幸が起こっても、それは自分自身が呼び寄せているのだ。



 子孫の「救われたい」という「奪う愛」の思いと、先祖の「助けてほしい」という思いが同通するとどうなるか。

「『毎月毎月供養しなさい』とだけ言われて行っているうちに、本人もだんだん暗い想念に包まれて、悪霊憑きになっていく。それで、自分の先祖でもない、他人様の迷っているようなものを引き付けて、コールタールに浸けられている感じになっているところもある」



 先祖供養にも善悪がある。その判断基準は「自己責任の原則」があるかないかという点だ。



 大川総裁は、「最終的には、(供養される人)自身が原因結果の法則をよく知って、生前の行為の中でここを反省すべきだと気がついて反省しなければ天国には上がれない。それが分からないなら、まず子孫がそれを実践してみせることで、彼らにもそれを伝えることができる」と、正しい先祖供養のあり方を語った。





 本収録では他にも、以下のような点について触れられている。


• 導師によって、エクソシスト能力にはどれほど違いが出るか
• 悪霊撃退系の祈願を受ける側の心構え
• 仏教の「三法印」と、エクソシストの関係とは
• 法力とは何か。法力はどのようにすれば強くなるか
• 悪魔が狙ってくるのはどんな人か。悪魔のレベルの見抜き方とは?
• 悪魔に人格を破壊され、引き返せなくなるところまで行かないために
• 宗教における救世運動が大きくなってきたときに心がけるべきこと
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【大戦おさらい】真珠湾攻撃は、奇襲でも何でもなかった?

2014-08-16 00:00:10 | 日記

戦争を仕掛けておいて、お前が悪いと言う。

原爆を落とし空襲で焼き殺した総数が30万人。これ事実。

この数に見合う事件を捏造したのが、南京大虐殺。

その証拠写真は、炭坑事故で大量死亡した写真、山賊が皆殺しした中国人達、

シナ兵が日本軍から逃げる時に地域住民を略奪皆殺しした写真

日本人入植者達を警護する日本兵の写真を支那人を強制連行する写真にした

日本を戦争に巻き込むために日本人入植者達を惨殺した写真など、

説得力を持たすために徹底的に自虐史観を植え付けた。

 

蘭月  さんより転載です。

先の大戦において、世界的に有名な「真珠湾攻撃」。
これは、「日本が米国を奇襲した」として、批判的な見方もいまだ多いようです。
しかし、


真珠湾攻撃は、実は奇襲でも何でもなかった。
実際は、あらかじめ予想されていた。



としたら、どうでしょうか。


これ、実は荒唐無稽なトンデモ陰謀論ではなく、米国の公文書に残っている事実なんです。




米ウィスコンシン大学の国務省外交文書図書館。
日米開戦の約10ヶ月前、駐日大使グルーが国務省のハル長官へ宛てた公電が公開されています。


その中で、実は思いっきり、


「日本には、和平交渉が行き詰ったら、全力で真珠湾を攻撃しようという計画がある」


って、語られているんですね。これです。


0199.jpg



繰り返しますが、約10ヶ月前ですよ。
とっくの昔に、米国は真珠湾攻撃の概要を知っていたのです。


公電によると、間違いなく米国は「日本側が真珠湾攻撃を計画している」ということを掴んでいた。
そして、その情報は駐日大使からハル国務長官、つまり米政府の中枢へ伝えられてもいた。



ここまでは、記録として確実に残っているのです。


「日本は追い込まれれば真珠湾攻撃に打って出る」


という、深刻な情報。
しかし、


この情報を得た後に行われたのが、在米日本資産の凍結であったり、石油の禁輸措置であったワケです。
「日本は、追い込まれれば真珠湾攻撃をする」
という情報を知り、米国は日本を徹底的に追い込んだ。



これは、客観的事実として覚えておきましょう。
この事実を知るだけで、我々日本国民が戦後ずっと刷り込まれてきた歴史がいかに歪んだものかということを、垣間見ることができます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする