あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「地獄に堕ちないための言葉」㊻ 鬼に追われながら、ふもとまで降り、鬼がいいと言うまで、登り下りを繰り返す。悪口や暴力や、嘘や、恥ずかしい行為が、ここまで裁かれるのを驚きながらも、後悔の涙を流し続ける。

2024-11-19 09:21:52 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」㊻ 鬼に追われながら、ふもとまで降り、鬼がいいと言うまで、登り下りを繰り返す。たいていの人は、悪口や暴力や、嘘や、恥ずかしい行為が、ここまで裁かれるのを驚きながらも、後悔の涙を流し続ける。両親や先生たちに、無礼であったことの、一つ一つも、確実に裁かれる。

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 こんな些細なことが、裁かれるなんて生きてゆけないと思うのは凡人ですが、なんと、クズですよ(地獄行きですよ)と言われています。
 言われたら、言い返せ、やられたらやり返せ、などの生き方を先人から学んで、強くたくましく生きようと、している人もたくさんいますね。
 よって、実際に裁かれてみると、なぜ??と思うだけで済まず、鬼に追い立てられ、「理不尽だ!」と逆らうと、金棒で殴られるのです。言い返すほどに、殴られ小突かれるのです。絶対に逆らうことは一切できないのです。
 分析すれば、すべて自己中の生き方ですね。そしてそれは、「奪う愛」なのです。些細なことまで「与える愛」をしなさいとの教えが、地獄に行かない方法なのです。
 なにも抵抗せず、されるがままの人たち、もしかして、知能遅れや精神薄弱の人たちは、地獄へ行かなくて済むのではないであろうか?
 善悪の判断基準は、この世の学校で教えられている基準や社会にでから学ぶ基準とは違うようです。
 仏法真理では、その人の考えや行動に「奪う愛」か「与える愛」の、どちらを選んでいますか?が基準です。そんな押しつけの基準なんか、理不尽であると反発するのも、いけないのです。
なぜなら、生まれる前に、自分は神様から作られた存在で、与える愛に生きて、魂を磨きなさいとの神様の慈愛で、この世に生まれてこれたのが事実なのです。ですから、自分の潜在意識の中に、この教え(仏性)がしみ込んでいるのですから、理不尽ではないのです。気が付かない方が罪をつくるのです。
一旦、肉体に宿ると、この基準が分からなくなります。神様を信ずる心に自信があると、無神論者の家庭に生まれることもありますが、やがては、自分も無神論に堕ちることも多いですね。
 しかし、仏法真理を広めている人達もいるのです。それらの人たちとの出会いが、魂の目覚めのときですね。

そして、この世は魂の向上(磨いて光り輝く存在になること)を目指す世界でもあるのです。悪口を言われたら、そんな原因を作っているのですよ、どのように処理するか、「与える愛」で考えてみよう!とするのが、魂の試練なのですね。と生き方を変えるチャンスでになるのが、この箴言集の言葉になりますね。
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