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昨日もよい天気でした。明日は春の嵐が襲来するそうなので、今日は嵐の前の静けさ、ってところかしら?
いつもの更新時間帯より3時間ほど遅れています。
別に寝坊したわけでもないのですが、やらねばならないことが多くて・・・
RINGOがバイトに行くときは翌日の記事の下書きを夜のあいた時間に行っていますが、昨夜はそれができませんでした。それなのに、書くことは多いのよ
いつまで京都のことを書いているんだろうか、と自分でも半ば呆れております。いい加減にキリつけないとねぇ
お昼を済ませて、バスで
東福寺へ移動。
東福寺も大きなお寺で、バス亭や駅から目的地にはかなりの距離を歩くことになります。足の痛い身にはつらいものがあるわね
ここでの特別拝観は塔頭のひとつ、
龍吟庵(りょうぎんあん)・浴室・東司(とうす)の三箇所。
龍吟庵の見どころは重森三玲作の禅庭。禅寺の庭、というのはほとんどが石と砂利で作られた象徴的・抽象的な庭なので、実は、私はあまり好きではありません・・・
でも、ガイドの方の説明を聞きながら見ると、なんだかその石組みもちゃんと龍に見えてくるから不思議ですよね。
龍自体、禅寺では襖絵や天井画によく用いられるモチーフ。去年は妙心寺や相国寺などで龍の絵ばかり観ましたっけ。
なんだか龍、というと、仏より神のイメージが強いので、どうして禅宗寺院に龍がよく用いられるのか、少々納得しがたいなぁ。もっと勉強しなくちゃね
浴室はいわゆるサウナのような蒸し風呂でした。
お風呂に入れるのは4と9のつく日だけだったそうで、たくさんの修行僧を抱えていた東福寺、順番を待つ僧の行列が出来たそうです。
東司はかなり広い共同トイレで、今は穴に瓶を埋めた状態で残っていますが、当時はちゃんと「個室」になっていたそうです。よかったわ~?
僧にとって、生活の全てが修行。食事・風呂・そして排泄行為も。
一番興味をそそられたのは排泄における手順でした。
紙が貴重品だった当時は「大」は木のへらで始末したらしいです。
その後灰を使ったりして清めて、お湯で洗ったとかで、いわゆるビデみたいなものかしら?
臭い消しに、橘の実を乾燥して粉にしたものを用いたそうで・・・う~ん、なかなか奥ゆかしい。
日本で香、西洋で香水が発達したのは、諸々の悪臭をよい香りで誤魔化すためであったとか。何が文化の発展に寄与するかわかりませんね。
こうしてたくさんの僧侶が修行と共に生み出した?モノは、お百姓さんがお金を払って下肥として持っていったそうです。お寺にとってもいい副収入だし、一石二鳥
たくわんを噛むのにも音をたてないようにしたように、全てが粛々と行われていた当時の僧の日常。
想像すると、厳正ななかにもどこか滑稽に思えてしまう私は不埒なヤツ、ですね。
浴室・東司はセットで拝観になっていましたが、ここを訪れる人はあまり多くありませんでした。龍吟庵のほうはそこそこいたのに。
こういう日常使われたところに、へぇ~、という事実が隠されていたりするのに、と少々残念
この辺りで小雨が降りだしました。時刻は2時40分くらいだったかしら。
寄りたい場所があったため、特別拝観はこれにて終了です。拝観時間が午後4時半、というのはいかにも早いです。せめて5時まで開けてほしいなぁ