いよいよ龍馬伝も大詰めへと物語が展開。
3日(日)の後藤象二郎と坂本竜馬の清風亭における会談は、お互い鬼気迫るもので、とても迫力のあるシーンとして描かれていた。
特に人間的にとてつもなく大きくなった竜馬を見ることができ、“これこそが竜馬”“竜馬がゆく”であると思った・・・・・今まで以上に男らしい人物として描かれている。
この“龍馬伝”第4部は、10話で完結とのこと。演出家の大友啓史氏は、あの寺田屋事件から竜馬暗殺までの期間を濃密に描きたいと・・・・・。
竜馬という一人の人間の足跡、いかに偉大な人物であったか、この第4部に凝縮して描かれているようで、第3部までの流れと少し違って骨太で見ごたえあるものとなっている。
さて、上士と下士の上下関係がこの上なく厳しい土佐藩、竜馬が説く“日本の将来像に対する考え方と土佐藩の役割”などに感銘した上士の後藤が下士の坂本と手を結び・・・・・・これまでの流れから考えられない展開。

(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 抜粋)
薩摩と土佐が同盟を結び大政奉還へとすすむが、諸般の事情もあってこの盟約が解消され、土佐藩のみで建白書を山内豊範を通じ将軍・徳川慶喜に提出。
これにより、将軍・徳川慶喜が朝廷に大政奉還し徳川幕府の終焉へと・・・・ところが、その1ヵ月後竜馬は近江屋にて。
大政奉還前夜、薩長は岩倉具視などが、あくまでも幕府を武力で倒すための勅命を朝廷から貰い受ける工作を行っており、それを察知した徳川慶喜は、大政奉還を決意しこの勅命を無効にしてしまう・・・・・。
薩長は、約300年前の関ヶ原の戦いで西軍に味方し敗れている。
関ヶ原の折、薩摩藩の島津義弘は、撤退するため徳川家康本陣に迫ったところで転進、伊勢街道をひたすら南下し三重から船で一路薩摩へ、300年後のここに至って徳川幕府を倒し関ヶ原での敗走の汚名を注ぐこととなる。
一方、長州藩も関ヶ原で毛利輝元が西軍総大将であったことから、関ヶ原後、改易こそ免れたが、徳川幕府から領地を召し上げられ120万石から、周防・長門2ヶ国の37万石に大減封されており、300年後に倒幕を行い関ヶ原の敗北に報いることとなった。
長い歴史を一本の線で見ていくととても面白いことが見えるから不思議、1日、1日の積み重ねが連綿と続いていることがよく分かる。
龍馬伝の完結へと歴史が流れて行くので、最後までじっくりと堪能したい。
(夫)
[追加:競馬の話]
フランス凱旋門賞に挑戦した日本の2頭、ヴィクトワールピサとナカヤマフェスタ。昨夜、23時05分(日本時間)にスタートし、ナカヤマフェスタは直線不利がありながらも、惜しい2着に入線・・・・・本当に惜しいレース、エルコンドルパサーと同じ結果に。
ヴィクトワールピサは、後方馬群から中々出ることができなくて7着に敗退(降着があって8着から7着へ)。
どうしても手が届かない世界最高峰の競馬・・・・・

3日(日)の後藤象二郎と坂本竜馬の清風亭における会談は、お互い鬼気迫るもので、とても迫力のあるシーンとして描かれていた。

特に人間的にとてつもなく大きくなった竜馬を見ることができ、“これこそが竜馬”“竜馬がゆく”であると思った・・・・・今まで以上に男らしい人物として描かれている。
この“龍馬伝”第4部は、10話で完結とのこと。演出家の大友啓史氏は、あの寺田屋事件から竜馬暗殺までの期間を濃密に描きたいと・・・・・。

竜馬という一人の人間の足跡、いかに偉大な人物であったか、この第4部に凝縮して描かれているようで、第3部までの流れと少し違って骨太で見ごたえあるものとなっている。
さて、上士と下士の上下関係がこの上なく厳しい土佐藩、竜馬が説く“日本の将来像に対する考え方と土佐藩の役割”などに感銘した上士の後藤が下士の坂本と手を結び・・・・・・これまでの流れから考えられない展開。


(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 抜粋)
薩摩と土佐が同盟を結び大政奉還へとすすむが、諸般の事情もあってこの盟約が解消され、土佐藩のみで建白書を山内豊範を通じ将軍・徳川慶喜に提出。
これにより、将軍・徳川慶喜が朝廷に大政奉還し徳川幕府の終焉へと・・・・ところが、その1ヵ月後竜馬は近江屋にて。

大政奉還前夜、薩長は岩倉具視などが、あくまでも幕府を武力で倒すための勅命を朝廷から貰い受ける工作を行っており、それを察知した徳川慶喜は、大政奉還を決意しこの勅命を無効にしてしまう・・・・・。
薩長は、約300年前の関ヶ原の戦いで西軍に味方し敗れている。
関ヶ原の折、薩摩藩の島津義弘は、撤退するため徳川家康本陣に迫ったところで転進、伊勢街道をひたすら南下し三重から船で一路薩摩へ、300年後のここに至って徳川幕府を倒し関ヶ原での敗走の汚名を注ぐこととなる。

一方、長州藩も関ヶ原で毛利輝元が西軍総大将であったことから、関ヶ原後、改易こそ免れたが、徳川幕府から領地を召し上げられ120万石から、周防・長門2ヶ国の37万石に大減封されており、300年後に倒幕を行い関ヶ原の敗北に報いることとなった。

長い歴史を一本の線で見ていくととても面白いことが見えるから不思議、1日、1日の積み重ねが連綿と続いていることがよく分かる。
龍馬伝の完結へと歴史が流れて行くので、最後までじっくりと堪能したい。

[追加:競馬の話]
フランス凱旋門賞に挑戦した日本の2頭、ヴィクトワールピサとナカヤマフェスタ。昨夜、23時05分(日本時間)にスタートし、ナカヤマフェスタは直線不利がありながらも、惜しい2着に入線・・・・・本当に惜しいレース、エルコンドルパサーと同じ結果に。
ヴィクトワールピサは、後方馬群から中々出ることができなくて7着に敗退(降着があって8着から7着へ)。
どうしても手が届かない世界最高峰の競馬・・・・・
