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フジテレビ開局60周年特別企画「砂の器」が3月28日放送されていた。
その録画を昨日やっと観ることができた。
松本清張原作のこの物語、20代の頃分厚い小説を懸命に読んでいたことを想い出す。
そして、あまりの悲しい物語、悲しい親子の物語。
今では描くことができない社会派のサスペンスドラマ、社会派推理小説家・松本清張氏ならでは描けなかったものと思う。
その物語が映画で見事に蘇り、涙なしには観ることのできないものとなっていた。
日本の四季が織りなす風景と故郷を追われて流浪の旅に出る親子。
そのカット、カットが未だに思い起こされる。
幼少期の秀夫が、砂の器を板の上に造るシーン。
砂上の楼閣の如く、消え去ってしまう夢のようなもの・・・。
映画の最終シーン、本浦千代吉を演じた加藤嘉さんが、今西栄太郎(丹波哲郎)に見せられた和賀英良(加藤剛)の顔写真を見て、慟哭をしながらも知らない人であると答えるシーンは忘れられない。
最高の映画であり、小説であった。
テレビドラマとして制作されたものは、今回のドラマを入れて5回もあるらしい。
懐かしさもあって、昨日はテレビの前に腰を据えて見入った。
戦中・戦後が舞台の小説が、平成の現代を舞台に置き換えられていた。
であるが、本筋は原作のままである。
それ故に違和感のあるところは否めない。
本浦千代吉・秀夫親子が、四国巡礼の旅からどうして島根県の亀嵩にたどり着くのか。
原作では石川県の寒村から日本海沿いを西へ、西へと放浪し亀嵩にたどり着く。
本浦秀夫が、和賀英良に成りすますところにもやや無理があり過ぎる。
原作では、和賀自転車店の丁稚になっていた秀夫が、大阪空襲で子供のいない和賀家が焼失し店主夫婦も死去したことで、架空の人物・和賀英良の戸籍を得ることができた。
戦時下のゴタゴタと空襲などで、本人申告で戸籍を得ることができていたことを利用していた。
情報網の発達している現代、新進気鋭のピアニスト・和賀英良が本浦秀夫ではないのかと疑問視するのは、三木謙一のみではないであろうけど。
など、など、様々なシーンで無理が考えられたが、底辺に流れている本筋のテーマを大切にしながら、ドラマが作り上げられていた。
矛盾点などは、脇に置いてドラマを最後まで見入った。
奥出雲の亀嵩と出雲弁、この二つに再び脚光を浴びるかの如くだった。
当方、本県生れであるが、出雲弁とは縁遠い地であったから、50年以上前に当地の大学に入った頃、分からない出雲弁に面食らったこともあった。
ズーズー弁に。
原作者が出雲地方の言葉、東北弁に似通ったイントネーションの言葉に魅了されたのであろう。
東北から遠く離れた出雲の地、奥出雲の亀嵩と秋田県の羽後亀田・・・。
ハンセン氏病が底辺に流れている思いもよらない社会派・推理小説が出来上がったのである。
今回のドラマで今西栄太郎警部補を演じた東山紀之さん、懸命に主人公を演じていた。
まてよ、主人公は本浦秀夫こと和賀英良を演じた中島健人さんだろうか。
まぁ、それはとも角、いいドラマだった。(咲・夫)

(出典:フジテレビ公式HP 抜粋)
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