倫敦 とっかあた

ロンドン在住チェンバロ、ピアノ弾き のブログ。同居人は、不良猫と宇宙人かもしれないチェリストの旦那。

ロシア奏法で教える

2019年05月16日 | 音楽
以前にも似たような記事を
書いたかもしれない。
思う所あって
もう一度。
渡英の理由である我が恩師ニーナ・セレダは
まことしやかに
知る人ぞ知るみたいな感じなのだが
モスクワ音楽院卒
ネイガウスを始めロシアの大家の下で
研鑽を積んだペダゴジーのヴェテラン。
彼女の様な
凄腕の教師を一杯
ロシアは世界に送り出している。
ロシアのピアニシズムは
広大で奥が深い。
ニーナ先生には
私が日本で20代前半に
腱鞘炎で苦しんでいた際
公開レッスンで出会った。

自分の奏法の問題点を的確に指摘され
即弟子入りする決心をした。
彼女が教えていた英国の
トリニティ音楽院に
奨学生として入学し、
3年間文字通り汗と涙の滲む修行を経て
脱力奏法を学んだ。
レッスン中に鼻血が噴き出した事もあったw。
その3年間が
あまりに大変だったので
自分が子供達を教える際は
かなり加減して教えていた。

ところが、ある時
熱心で音楽的な小さな生徒を
私では力不足かもと思い
ニーナ先生に半年託した。

その子の成長が目覚ましくて
どうやったらこんな風に
子供を伸ばせるのか?とビックリ仰天。
ニーナ先生が子供を教えるのを
何度も見学して
“教え方”を教えて貰うことになった。
彼女の選曲や教材が
非常に新鮮。
スケールやアルペジオも
暫くは、
デタッチで一音一音
腕全体を使うやり方で
弾かせる。
音質を聴くことが優先。
消音の過程と
脱力の過程と
息を吐く過程を
一致させていく。

様々な有名なピアニスト達の
マスタークラスを
聴いたり受けたけれど
彼女の教え方は
ちょっと他に類を見ない。

その教え方を
引き継いで欲しいと
熱心に伝授して下さった。
とはいえ
自分は途中から
学んだ奏法なだけに
子供達に教えるとなると
不安も多い。
成人してから習得したが故に
説明出来るという強みも
あるのだけれど。

学校という枠組みの中
グレード試験を優先してくれ、ー
練習してこない生徒も教えねばなど
色々な制約がある。

親の理解も必要となる。

家に電子ピアノしか無いと
タッチと音質を教えるのに
限界がある。
なのでプライベートの生徒は
電子ピアノしか無い子はお断りしている。

ニーナ先生に伝授された教え方に変えてから
かれこれもう10年くらいになる。
彼女には
足元にも及ばない。

嬉しいのは
教えた子供達が
成長して
ベートーベン、バッハ、モーツアルト、ショパンなど
美しく弾いてくれることだ。
背伸びせず
その子達の年齢で感じる事を
素直に表現出来るように助けたいと思っている。
作曲家達を身近に感じてくれるように
裏話や手紙を紹介したり。
一生音楽を親友としていって欲しい。

週に40人以上教えていると
時々投げ出したくなる程疲労困憊する。
自分の演奏と向き合う時間が不足して
辛い事もある。
教える側も常に学習の繰り返し。

演奏と教え、
上手にバランスを取って
音楽家として自分も成長して行きたい。









伊藤工房コンサート〜宗次ホール・コンサート

2019年05月10日 | 音楽
怒涛の様な4月、5月初旬でした。
曲多し。

ロンドンで3つ本番の直後のフライト。
空港に行く途中
ギックリ腰擬きに!🙀
大きいスーツケースも
小さいスーツケースも
見送りに来てくれた旦那が運んでくれて
私はハンドバッグと自分を
運んでいただけ。
さすがに君までは運べないからね、、。
と呆れられる始末。

ただでさえ飛行機恐怖症なので
長時間フライトは
飲み食いゼロ、何も出来ず
ひたすら耐えるのみ。

伊藤さんの工房でも
散々御心配とお世話をかけまくり
無事コンサートを終えることが出来ました。
寒いとか痛いとか
我ながら厄介な滞在者。



使用させて頂いたチェンバロは
伊藤福一さん製作のZell(真ん中)とTaskin (左奥)です。
Zellは2年前の近江楽堂でのゴルドベルク変奏曲でも
使わせて頂きました。
素朴さに艶と甘さも加わった味わい深い音の楽器です。
Taskin は上品でかつ華やかさやパワーもある楽器で
フランス味の濃いパルティータやシャコンヌはこちらで。


この後東京で2日間羽根を伸ばして
随分と腰も回復。
大好きな漱石に所縁の場所を友人と散策。
残念ながら漱石記念館は休館。
次回のお楽しみです。




充分に息抜きをした後
3日間は実家に篭り
ピアノに切り替え
5月6日の曲を暗譜合宿。
3月17日にロンドンで弾いたっきりになっていて
その時は楽譜を見て弾いたので
必死です。
ちなみにヨーロッパでは最近
暗譜に重きを置かない傾向もあるのです。
リストの頃くらいまでは
暗譜で弾くのは作曲家への侮辱とさえ
思われていた訳ですし。
とは言え、
リヒテルでもポゴレリッチでもない自分が
暗譜で弾かないのは
日本ではブーイングだよね、、。
と腹をくくって、暗譜。
プロの伴奏者として
初見のトレーニングをする以前は
暗譜に苦労した事も不安に思った事も無かったのです。
てんでダメだった初見が出来る様になったら
暗譜が不安という現象が起きて
ビックリ。
暗譜する本番がある度に
例の強烈なロシア人恩師の言葉を肝に命じて
臨みます。
“一音一音意味を込めて練習したら
暗譜の力はまた戻ってくるわよ!”

勿論程々に息抜きは大事です。
地元の和カフェ。



実家で上げ膳据え膳
好きなだけ練習が出来る環境を
両親が整えてくれたおかげで
やれるだけやったという気持ちで
本番を迎える事が出来ました。



近年ソロのコンサートでは
単に好きな曲や弾きたい曲、
お客さん受けする曲
ではなくて

作曲家のメッセージを自分の言葉で
伝えたい、伝えられる曲を
選ぶ様に心がけています。

古楽を学ぶ=古楽器を弾けるようになる
だけではなくて
= 作曲家達の(当時の)慣習、様式、流行などを知る事で
より彼らの音楽の真髄を読取る力をつける
だと思うので
古楽器を弾くことも
大切で、大好きですが

敢えて古楽器を使用しずに
現代のピアノ🎹でも
様式を踏まえた演奏に
チャレンジして行きたいという思いを持っています。

5月6日のプログラムは
そんな思いを実現した選曲でした。

満員御礼の温かいお客様に囲まれ
心の通う作曲家達のドラマを表現する喜びに満ちた時間。



長年会っていなかった友人
初めて会う方々
恩師、家族
何百年も前の偉大な作曲家達

自分の演奏は
そうした無数の人々に支えられているという認識を
常に忘れず
これからも頑張ろうと
身の引き締まる思いでした。