ちょっと思う所があって
アウトフィットについて
書きたいと思う。
私は舞台が、聴覚と視覚の融合でお客様に受容されると認識している。なので自分の演奏するプログラムと調和する色や素材で、着ていてcomfortable かを考えて着る物を選ぶ。
お客さん全員が自分の選択や演奏を肯定的に、受け取ってくれるとは思っていないけれど、自分自身が音楽と調和できる格好で演奏したいと心がけている。
普段からその日の気分で着る服の色や素材、形を選んで自分の気持ちをアップさせたり、お洒落を楽しむので、自然とステージに対してもそうなる。
少し脱線するけれど
イギリスに住み始めて暫くして悟ったのは、欧州では基本的にお洒落は自分軸だという事。
流行りを気にしたり取り入れたりしても常に自分が着ていてハッピーかどうかが基準。
勿論演奏会にもドレスコードはある。けれどソロのリサイタルでもお姫様ドレスを着なければいけないプレッシャーはゼロ。着たい服を着たら良いという感じだ。イギリス、欧州で出会ったスタイル抜群でお洒落な女性達は、自分のボディを肯定して、若さや美しさを楽しむスタンスでセクシーな格好をしていて、異性に媚びたり誘っている訳ではない。
ところが、日本の女性向けファッション雑誌などを見ると、お洒落がかなりの頻度で「彼氏に喜ばれる、旦那に綺麗と言われる」など、他人や異性の好みを基準にしている傾向がある。
ひょっとしたらそういう風潮が、セクシーな服を着ているのは、誘っているとか、触っても良いという意味不明な大勘違いの土台なのかもしれない。勿論そういう勘違いさんは極少数派だと信じたい。
そう、韓国人DJの胸をファンが触った事件は、私にとっては信じられない変態行為以外の何ものでもない。露出度が高い服を着ていたからと被害者を非難するような声があることにも心底驚愕している。極端な話、上半身裸で出てきても触って良いわけがない。露出度の高い格好をお洒落と思うか、悪趣味と思うか、美しいと思うかは、別問題。合意もなく胸を触る、もしくは触ろうとする行為はcivilised society では被害者がどんな格好をしていようが、レッキとした犯罪なのだ。チカンという日本語は世界で悪名高いんだけど、その恥の上塗りをする出来事だと言える。
まあ確かにどこの国でも、誇れる部分とダメな部分とがあって、完璧な国などない。
とはいえ日本における人権、特に女性やLGBTへの人権意識の低さは残念ながら今や国際社会ではよく知られている。夫婦別姓がダメなのにも象徴されている。(これまた意味不明で、いつの時代の話かと思ってしまう。)
随分と脱線したけれど
女性も男性もLGBT🏳️🌈の皆さんも含めて、自分が心地良いお洒落を安心して楽しめる社会、性犯罪がしっかりと罰せられる社会に日本が進化しますように!
🙏
Q:最近楽しんだ音楽的体験、録音や演奏会など3つ教えて下さい。(自分の演奏以外で)-
質問は英語では省略されています。
ーフィリップ・ヤルスキーが大好きです。最近彼のバッハ、テレマンのカンタータのアルバムを聴いてます。恥ずかしながら、テレマンのカンタータに関してあまり知らなかったんですけど、このアルバムで、とっても美しいなと思いました。10年ほど前にロザハイズという地域の教会のオルガニストを務めていた際、そこの神父さんがヤルスキーの大ファンで、勧められました。それ以来やみつきになっています。
ー実は私はあまりリコーダーとかフルートという木管楽器がそれほど好きではなくて、どちらかというと歌や、弦楽器が好きなんですが、最近初めてフルートのことを良いなと思わされた録音があります。バロックフルート奏者フランソワ・ラザレヴィッチのバッハ・フルートソナタのアルバムです。確かホ短調ソナタの緩徐楽章だったと思いますが、これは完璧なフレージングだと思わされた瞬間があって、虜になりました。
ーオペラ・ノースでグルックのオルフェオとエウリディーチェ公演で通奏低音を担当させて頂いた時のことです。オルフェオ役のメゾソプラノ、アリス・クーテを(オーケストラの中から)聴けたのは幸いでした。彼女の”エウリディーチェーを失って”はセンセーショナルでした。あまりに心を打たれ、毎度涙でスコアも見えず、危うく弾くのを忘れるくらいでした。このアリアはこういう風に歌うべきなのだと確信させられました。
Q:音楽以外で最近何か興味を持ったり楽しんでいることはありますか? 1つ教えて下さい。
ー新しい趣味(?)はフェンシングです。すっごい下手なんですけど、楽しんでます。クラブに行ってそこで防具も器具も借ります。私は何故か相手を傷つけるのが怖くて、攻撃できないのです。結果ずっと攻撃され続けます。下手すぎる自分を楽しんでいる感じです。でもいつか上達したいですね。
小川麻子のヘンデルの8つの組曲集アルバムがFHRからレリースです。
以下、演奏に関する記述の部分のみ訳しました:
“小川麻子は(この曲集に組み込まれた)多様な様式と各々の楽章の多彩な性格を柔軟性あるリズム感で生き生きと描き出している。大胆で自発性と威厳に満ちた彼女の表現力は(ホ長調とニ短調)両方のアリアと変奏で大いに発揮され、その一方ホ短調のアルマンドは内省的に、前楽章の(同じホ短調組曲の)フーガは力強いクラリティをもって奏されている。
〜略〜
ト長調のシャコンヌHWV435において、小川は
深く内面性に富む表情から、輝かしい技巧に至るまで大変幅広い表現豊かな説得力ある演奏を展開する。
アルバムの音質も素晴らしく、楽器の特性による音色の変化や音律の変化を生き生きと捉えることに成功している。”