たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

専門分野とは <専門医、新制度 各学会の認定基準統一>を読みながら

2018-04-25 | 医療・医薬・医師のあり方

180425 専門分野とは <専門医、新制度 各学会の認定基準統一>を読みながら

 

いろいろと国家資格がありますが、それぞれその分野の専門資格ということなんですが、その資格の持ち主も多くなると、というか技術や経験が深まると、専門分野が生まれ、それがさらに細分化されることになるというのは、どの分野でもありますね。

 

税理士だと、相続税、不動産税、法人税、消費税など税目によって専門性の高い人がいるでしょうね。行政書士だと、これまた農業、林業、漁業、風営法、廃棄物処理などなど、事業形態に応じた専門性があるでしょうね。弁護士もどんどん専門分化していますが、いずれもあまり確立した専門性の基準がないように思うのです。

 

この点、医師の世界はその技術・知見の進歩が急速ですから、トップランナーの一つかもしれません。

 

とはいえ、いろいろな専門医に分かれていることは承知していても、疾病をかかえた患者側の立場としては、そもそも自分の疾病がどの専門医に診てもらうのかわからないことも少なくないですし、専門医の力量もそれだけではなかなか判断できません。そのようなことも一つの理由になって、いろいろな医師、病院を渡り歩く人もいるでしょう。

 

ま、私もその一人だったかもしれません。いまようやく落ち着いて特定の医師に委ねることができました。

 

さて毎日朝刊記事では<読み解きワード専門医、新制度 各学会の認定基準統一>の見出しで、4月にスタートした新「専門医」制度を紹介しています。

 

専門医制度はかなり以前に(調べていませんが戦前からだと思います)普及していますが、

毎日紙面だと、これまでは各学会が研修や認定をしてきて、その種類は、100以上存在しているとのことで、すごいですね。そのうち半数程度が専門医の看板を掲げることができるとのこと。

 

そこで問題が生じたのです。

<学会ごとに認定基準が統一されておらず質にばらつきがあり、患者には分かりにくい面もあった。>ということです。

<そこで、厚労省の検討会の提言を受け、専門医認定や養成プログラムの評価・認定などを一手に担う一般社団法人「日本専門医機構」が2014年に設立された。>

 

この専門医というのは、患者側としても必要とされ、さらにその専門性の適正さも要求されることは確かでしょう。

 

この点、弁護士についても、利用者から専門性を求められることが多い分けですが、わが国ではなかなか専門性の客観的な評価基準が確立しないためか、○○専門弁護士と名乗ることが難しいですね。刑事弁護とか労働弁護とか、企業法務とか、離婚とか、専門性を標榜している場合がありますが、弁護士会などが認定する制度がないので、裏付けに乏しいでしょうね。それこそ相談して信頼できるかを判別するしかないでしょう。自分の経験をホームページに掲載しているような場合は、医師の症例には及ばないとしても、それなりに信頼できるのではと思います。

 

弁護士会でもさまざまな専門分野の研修を行って、その分野の担い手を育成していますが、まだ制度的に確立したとはいえないでしょうね。

 

その点、医師の場合、新制度は、次に引用のとおり、弁護士に比べていっそう整備されてきたかと思います。

 

<専門医になれるのは、大学の医学部卒業者で医師国家試験に合格後、実地訓練として必修化されている臨床研修(2年以上)を終えた医師。内科や小児科、産婦人科など19の基本領域から一つを選び、専門医を目指す「専攻医」として各地の病院・診療所で3~5年の研修を受ける。認定試験をパスすると晴れて「専門医」になれる。機構は「患者から信頼される標準的な医療を提供できるとともに、先端的な医療を理解し情報を提供できる医師」と定義する。>

 

さらに医学的知見や技術の進歩を身につけないといけませんから、期間限定にしています。医療過誤裁判では最新の医学知見が判断基準になるわけですので、当然と言えば当然かもしれません。これまでもたいていの医師は日々研修なり新しい知見を学んできたと思います。

<専門医の資格更新は原則5年おきで、診療や学会発表などの実績を基に認定を受けなければならない。これまでの学会ごとの専門医は、資格の更新時期に新制度での認定に切り替わる。>

 

ところで、今回の新制度は、新設された<「総合診療」>が注目されています。ある意味、専門性に逆行する制度のようにも見えますが、私は適正に運用されれば、かえって本来の専門医に的確に導かれたり、重畳的に専門医が機能するように、有機的な連携が縦横に進むのではと期待したいと思います。

 

<総合診療医は、患者を診察して初期対応をするとともに、より専門的な検査や治療を受けるべきだと思った場合は、他の専門医に相談・紹介する。また、高齢者を介護サービスにつなぐこともある。医療の「入り口」としての役目があることから、「プライマリーケア」と呼ばれる。定義や概念は違うが、日本医師会などが普及を進める、総合的な能力を持つ身近な「かかりつけ医」も、そうした能力のある医師とも言える。>というのです。

 

ただ、新専門医制度にも課題があり、専攻医を研修する施設が都市部の大学病医に集中する懸念があり、そのための対策として、<東京、神奈川、愛知、大阪、福岡の5都府県で、基幹施設で受け入れ登録する専攻医数が、過去5年間の各診療科の採用実績の平均人数を超えないようにする上限を設けた>のですが、専攻医が都市部に集中する流れはこれだけでは抑えられないでしょうね。

 

どうやら専攻医は都道府県ごとに登録されるようですが、登録された管内でのみ働くのではないということです。<専門医制度は専攻医が地域の複数の病院や診療所を回って経験を積むよう義務づけている>ので、順次地方にも勤務することで、地方に専攻医がいないといった偏在を防ごうとしているようです。

 

これで地方に専攻医がいないとか、少ないということにならない不安は解消しないと思いますが、それには地方の魅力や専攻医の見識に期待するのでしょうか。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


林地管理の今後 <要間伐森林制度><林地台帳>など最近の制度改正の行方を考える

2018-04-24 | 農林業のあり方

180424 林地管理の今後 <要間伐森林制度><林地台帳>など最近の制度改正の行方を考える

 

少し前の話ですが、ある土地が農地かどうかを調べるとき大変便利になったと感じる経験をしました。むろん、ネット上で検索できる登記情報で現在の登記上の地目を確認するようなことはもう10年以上前からできますね。現況がどうかは、Google Earthである程度わかりますね。法的にはやはり農地かどうかを判別する担当機関、農業委員会が管理する農地台帳となりますね。

 

でもわざわざ出かけるのは面倒といったとき、<全国農地ナビ>で探すとほぼ一筆の区画に近い形で(中には曖昧なところもあり、厳密ではないですが)、農地かどうかがわかるようになっていますし、かなりのスピードで更新されていて、アップツーデートされている印象です。これはなかなか使えます。法的にこれをそのまま使えるかというと?ですが、ネット検索できる点、航空写真に当てはめていますので、わかりやすいです。

 

さて、農地では耕作放棄地40ha(農地の約10%に近い)が問題になっているように、林地も手入れされていない、いわゆる森林荒廃状態が全国で相当の割合になっています。この識別と面積は、なかなか把握しきれないかもしれません。

 

では林地台帳の公開はどうなっているのでしょう。林野庁も取り組んではいますが、<林地台帳の概要>では<公表は、市町村の事務所等の窓口での閲覧>にとどまっています。不便ですね。民間ベースではソフト開発の動きがあるようですが、どこかにその動きを押しとどめる圧力があるのでしょうね。

 

むろん、農地と異なり、外国人が投資目的などで購入するリスクを法的には防御することができない(森林法は農地法と異なり許可制となっていない)ため、安易な公表には注意をしないといけないと思います。しかし、現在の公表制度でも、所有者の住所・氏名を対象から外すのですから、ウェブ情報としてアップすることに支障がないと思うのです。

 

平成28年森林法改正で設けられた公表制度、<施行日は平成29年4月1日としているが、林地台帳の整備にあたっては、十分な準備期間を確保する必要があることから、平成31年3月末まで経過措置を設定>となかなかスピード感が感じられません。

 

というより、ほんとに平成30年度中に実施できるのでしょうか、あまりその林地台帳整備に向かった積極的な動きがつかめません。というのは現在の林地台帳では、所有者の確定や筆界の確定がされていないところが少なくない状態で、相当なスピードで進めないと間に合わないように思うのです。

 

林地台帳がきちんと整備されないと、林業政策を含む森林政策が実効性のある形でなかなか進行できないと思うのです。

 

むろん林野庁も努力していろいろな制度を新設してきましたが、机上の空論と言ったらそれは失礼に当たりますものの、どこまでそういった新制度が有効に機能するか心配になります。

 

その新制度をいくつか林野庁のウェブサイトから引用して紹介したいと思います。制度自体は評価されてしかるべきと思っています。

 

まず<要間伐森林制度>です。

 

<要間伐森林制度は、市町村長が、間伐又は保育が適正に実施されていない森林であってこれらを早急に実施する必要のあるものを要間伐森林とし、当該要間伐森林の森林所有者等に対し、実施すべき間伐等の方法及び時期を通知し、施業の実施に係る勧告等を行うことで、その実施を促す仕組みです。>

 

従前の制度も、間伐がされていないそういった森林を対象に補助事業が行われてきたわけですが、この制度は特定の所有者を名宛て人にして、最後は法的に代替して実施することまで考えています。空き家問題でも、各地の自治体が条例で対応し、政府も重い腰を挙げてようやく空き家対策特別措置法を成立施行し、各地で実効例がでてきましたね。ある意味、似たような法的システムです。

 

勧告だけだと効果がないので、所有者に代わって、間伐を実施するわけですね。<森林所有者が市町村長による勧告等に従わない場合、都道府県知事の調停を経て、その裁定により、施業代行を希望する者は、間伐等を実施することができます。また、当該森林の所有者を確知することができない場合にも、都道府県知事の裁定により、施業代行者が間伐等を行うことが可能です。>

 

こういった場合、誰がこの制度を動かせるかといった問題がいつも起こります。行政が積極的にやると、一方的なものと映る危険がありますね。行政職員もいやがるでしょう。

 

そこでさらにその点に配慮した改正が行われたのです。

<、平成285月の森林法改正により、要間伐森林において間伐等が実施されないことにより影響を受ける者(利害関係者)が、市町村長に対して要間伐森林の通知をすべき旨の申出ができることとなりました。>

 

この利害関係者の判断が狭いか広いかで違ってくるので、運用を注目したいと思います。というのは、森林経営計画では対象地が広大な面積を求められていて、わが国のように小規模林地所有者が大半の場合、要間伐状態にあっても一人が反対すると、そこを省いてできればいいのですが、できないようなケースでは結局計画を作れません。そういった場合にこの制度が使えると実効性が高まると思うわけです。

 

それに所有者不明の場合も少なくないわけですが、こういうケースではとくに活用できるのではと思うのです。

 

次に、<共有者不確知森林制度>も一定の効果をもたらすと思います。

わが国の森林は、とくに里山的なところでは、元々村々の入会利用として、芝山、草山、薪山、篠山などと呼称され、農地と一体に利用されてきたと思うのです。それが近代化の中で所有権制度を導入し、単独所有、共有という形に無理矢理のような状態で、区分されてきた歴史の一端があると思うのです。

 

その結果、単独所有といっても、山全体を機械的に区分し、村構成員に分配したり、あるいは共有にしたりとなったケースが一般的ではなかったかと思います(東日本は維新政府の支配下にはいったケースが少なくない、その結果藩閥などが広大な面積を単独所有していますね)。

 

ですので、共有といっても、村人同士だったりすると、何代も経つと、村から出たり、村秩序が崩壊したりで、連帯感もなくなり、連絡先もわからない状態は当然あるでしょう。それに輪をかけ、新民法の共同相続制度もさらに共有状態が普遍的になったかもしれません。

 

この制度で、共有者が不確知の場合、他の共有者にその所有権を移転したり、使用権を設定したりして、共有地の間伐などに支障を来さないように配慮しています。公告手続を経て、知事裁定で行うわけですが、立木伐採を実施できるようにして、その補償金の供託については、その代金などまかなうことができるのでしょう。

 

次の制度は平成23年の森林法改正で生まれているのですが、あまり知られていないようい思うのです。

森林の土地の所有者届出制度>って聞いたことがありますかね。

 

<平成244月以降、森林の土地の所有者となった方は市町村長への事後届出が必要になりました。>

 

しかも届け出対象者は<個人、法人を問わず、売買や相続等により森林の土地を新たに取得した方は、面積に関わらず届出をしなければなりません。>ということで、たいへんな内容です。でも届け出している割合はどうでしょうか?

 

届出事項は次の通りです。

<届出書には、届出者と前所有者の住所氏名、所有者となった年月日、所有権移転の原因、土地の所在場所及び面積とともに、土地の用途等を記載します。添付書類として、登記事項証明書(写しも可)又は土地売買契約書など権利を取得したことが分かる書類の写し、土地の位置を示す図面が必要です。>これは面倒と思うかもしれません。でもこの制度を知っている人はどのくらいいるでしょうか。

 

この届け出をきちんと履行してもらえば、林地台帳作成や整備には有効ですね。

 

今日は森林整備に関わる最近の制度を簡潔に紹介しました。いずれまたもう少し中身の濃い話ができればいいのですが・・・

 

一時間を経過したようですので、この辺でおしまい。また明日。

  


性差解放どうなる? <存在感増す「トラガール」 人手不足で新たな担い手>などを読みながら

2018-04-23 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180423 性差解放どうなる? <存在感増す「トラガール」 人手不足で新たな担い手>などを読みながら

 

昨日はうっかり薬の服用を忘れてしまい、夜なかなか眠れず、久しぶりに睡眠不足の一日でした。それも和歌山市まで往復したので、普段以上に疲れてしまいました。いろいろやることがありそうですが、今日は早めに帰宅しようかと思っています。ブログも簡単にして・・

 

毎日朝刊で<存在感増す「トラガール」 人手不足で新たな担い手>と大きく取り上げていました。なんだ「トラガール」とはと思いながら、かわしらしい若い女性が大きなハンドルを握っている写真が目に飛び込みました。どうやらトラック運転手の女性をそう呼んでいるようですね。でもなぜ「トラ」かは説明がありません。ま、名称はそれぞれが気に入っていれば好きなようにつければいいのでしょう。

 

さて記事では<「トラガール」と呼ばれる運送業界で働く女性トラックドライバー。業界にわずか2・4%しかいないが、人手不足の中、新たな担い手として存在感が出てきているという。>と頭書きして、矢澤秀範記者がトラックに乗り込み取材したようです。

 

2.4%という数字、思ったより多いなと私は感じましたが、どうでしょう。当地ではあまり見かけない印象ですが、実はよく見ていないのかもしれません。というのは最近、その女性ドライバーから相談を受けましたが、小柄な感じのいい人でした。トラック運転手というと、強面のお兄さんとか、年季の入った年配の男性を思い浮かべてしまうのですが、よく考えると運転席が高いこともあり、あまり運転手の顔まで見ていないなと思うのです。

 

それに比べると、普段よく見るのは軽四を運転する女性、しかも結構猛スピードで走り抜け、一分一秒を競うような感じで、できるだけ近づかないようにしています。といってものんびり運転していると、いつの間にか後ろにぴたりとつけて、早く行ってという感じでついてくることもあります。田舎の女性は、家事に仕事に追われ、しかもパートを2つ、3つを切り盛りしている人もいるので、大変なんでしょう。また介護支援で回っている介護の女性も結構、忙しそうです。

 

それに比べると、トラック運転手は、収入もよくなり、待遇もいいようです。とはいえ、男性のトラックドライバーもこれまで依頼者でいましたので、給料が低くて、かなり時間的に厳しいことも聞かされていましたから、トラック運転手だからといって、決して条件の良いところばかりではないわけですね。

 

その点、記事で紹介された<マイシンは、女性の採用に積極的で、4月現在、運転手135人のうち女性は30人。女性比率22・2%は業界で群を抜く。>というのです。

 

それにはそれなりの理由があるし、会社の能動的な取り組みが効果的なようです。

<働き方にもさまざまな工夫を凝らす。女性ドライバーの多くは子育て中のため、個別宅配ではなく、納品時間の変更がほとんどない事業者向けの配送を振り分けた。これなら勤務時間が決めやすい。子どもが学校を早退しても、社員間でカバーし合う。女性用トイレも増設した。>そうですね、シングルマザーが多いのかもしれません。他方で、夫がいて共働きでも子育てを含む家事を共同する意識の乏しい場合が少なくないことも背景かもしれません。

 

とはいえ、マイシンのような積極的な取り組みにはいろいろ副産物もあるようです。<常温便を束ねる一般部の春日彰吾部長(41)は「今までは仕事に人を付けていたが、発想を変えて人に仕事を付けるようにした」と話す。女性が増え、社の雰囲気が明るくなったという。>

 

男性社会といった意識で、トラック輸送事業を考えていると、事業自体の柔軟性とか雇用環境の改善とか、あるいは女性がいることで男性の新規採用も増えるといったことは期待でなくなるのではと思うのです。

 

それはトラック事業に限らないですね。農業は夫婦共同で働くという長い歴史を持っていますが、林業や漁業(海に出るのは男性だけ)ともに女性禁制といった慣行があったように思いますが、林業は次第にそういった意識が薄れてきているかと思います。とはいえ、まだ女性の林業労働者は極めて限られるように思うのです。漁業ではいまも船長なり船員となると極めて希ではないでしょうか。

 

しかし、性差による職業なり仕事に区別があってよいのかと思うのです。女性が進出することにより、林業の世界も変わっていくでしょう。漁業もまた然りですね。それ以外の分野でも女性の進出が限られているところは少ないですね。

 

毎日朝刊では<改革、粛清、サウジの春 女性運転解禁「ついに夢が」 32歳皇太子が主導>と、サウジアラビアでようやく女性が車を運転できるようになったことを取り上げていますが、これまでのアラブ世界の女性に対する禁制をおかしいと思う人は少なくないと思います。宗教上の理由という根拠も揺らぎつつあるように思います。イスラム教は世界中に広がっていますが、アラブ世界以外では、女性の活動はほとんど制限されていないように思うのです。

 

さてわが国でも、いろいろな分野で、合理的な理由もなく禁制を強いている、あるいは無意識的にシャットアウトしているのを看過しているように思うのです。そろそろ開眼して、維新の時、外圧で多くの禁制を解除したように、現代においても意識改革する必要があるように思えます。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 


セクハラと日米比較 <財務次官のセクハラ騒動>と<映画 Confirmation>などを考えてみる

2018-04-22 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180422 セクハラと日米比較 <財務次官のセクハラ騒動>と<映画 Confirmation>などを考えてみる

 

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」なんてことばは最近口にすることもなくなった、聞くこともなくなったように思います。

 

今日、あまりに鮮やかで大きな淡いピンク色を目の前に晒されたので、つい牡丹の花を買ってしまいました。それで急にこの言葉を思い出したわけです。こんな言葉を品位なく場所も考えずに女性に告げたら、これもセクハラになりうるかもしれません。

 

それにしても財務事務次官の女性記者と交わした内容のお粗末さは前代未聞ですね。それを擁護するというか、時代錯誤の発言を繰り返す麻生大臣、セクハラ被害対応のイロハもわきまえない財務省官僚(弁護士の位置づけに対する大きな誤解も)、それに加えて記者が所属するテレ朝の対応も輪をかける様なお粗末さ(これがマスコミと官僚との位置関係かともつい納得する自分も問題ありでしょうね)と言い出すときりがないので、あえてこの話題から避けてきました。それでも毎日ウェブ情報だと内閣支持率が下がっても30%というのですから、わが国民の見識はとつい天に唾するようなことを言い出しそうになります。わたしもその国民の一人ですからね。

 

毎日ウェブ情報<松尾貴史のちょっと違和感告発の行方 「女性活躍」何のこと?>では、17日付け原稿ということで、少しズレた内容となっていますが、それは松尾氏のせいではないので、理解しておかないといけません。

 

ただ、松尾氏の基本的な考え方は、国民の多くも賛同するものではないでしょうか。松尾氏が指摘する「告発の行方」・・・たしか映画「告発の行方」も、レイプ被害に遭った女性(ジョディ・フォスターがこの作品で一躍有名になった程いい演技でした)は訴えるも裁判の行方は怪しい状況になりましたね。今回の事件はどうなるのでしょう。

 

裁判にはならないように思うのですが。少なくとも福田氏は墓穴を掘るようなこととして、弁護士に止められるでしょう。ではセクハラを受けた記者はどうするでしょう。ここまできたのだからといって裁判に訴える可能性は低いと思うのです。週刊誌に情報を提供した時点で、裁判を選ばないという意思は決まっているような感じですね。

 

他にも女性記者がセクハラ被害にあっていたようです。ここはわが国でも“#MeToo”というやり方が効果的な選択ではないかと思うのです。あのアメリカですら、ようやく大勢の女優が共同して立ち上がったことで、ハリウッドの大物映画プロデューサーを追い詰めることができたのですからね。一人ひとりの権利意識が高い、女性の意識も高いと言われ、セクハラ騒動なんて過去の問題のように言われることもあるアメリカですら、このような現実なのですから、わが国はもっと広範に深刻な状態で悩んでいる女性が多いと思います。

 

それを容認する社会慣行も問題なんでしょう。それは男女を問わずということでしょうね。

 

ちょっと違った視点で考えると、映画“Confirmation”を取り上げたいと思います。この映画はとても刺激的で感動させられる内容で、セクハラ発言がどのような場面で誰によって行われるかわからないという実態と、極めて理性的で合理的な訴えをしても容易に認められにくい構造を十分に納得させられる実際に起こった事件を踏まえたストーリーとなっています。

 

16年製作で、91年にあったアメリカ最高裁判事候補者に指名されたクレアランス・トーマス黒人判事に対する上院の公聴会審理において、その元部下でオクラホマ大法学部教授であったアニタ・ヒルさんが、たしか10年以上前だったかと思いますが(事件自体が過去のものという面と、長く耐えてきたという面とを感じさせます)、上司であったトーマス氏からセクハラを受けたと告発し、その審理での発言や裏事情がプロットとなっています。

 

ヒルさんが当初、トーマス判事に反対する民主党側からのアプローチに対して、消極的でした。自分が受けたセクハラのひどさ(それは公聴会で冷静かつ緻密に述べられ、驚くべき内容です)を告発することで、自分の現在の職場を失う危険などから、けっして口外しないと友人にも話していたのです。しかし、加害者のトーマス氏が最高裁判事になることの問題性を理解し、あえて告発に踏み切るのです。

 

しかし、公聴会では、ヒアリングする上院議員はたしかすべて男性だったように思うのですが、それはともかく、トーマス判事の黒人差別論といった問題のすり替え議論や政略議論で、ヒルさんの話を誠実かつ適正に対応するものではなくなりました。

 

結局、トーマス判事が指名され、最高裁判事となりました。落胆して自分の研究室に戻ったヒルさんでしたが、多くの支援や励ましのレターが届いていました。ヒルさんの勇気に感動したり、励まされた全国の女性からでした。

 

最高裁判事となるような黒人判事が、部下の女性研究者にしきりにセクハラ発言を繰り返す姿は、財務次官の女性記者に対する発言とは状況も内容も異なりますが、権力を握る人がいかに奢るものか、また、女性に対する狭量さ、蔑視感など、さまざまな共通する土台を感じさせるものでした。

 

このヒルさん役のケリー・ワシントンさん、とてもすてきな黒人教授役でセクハラ被害者の役を見事に演じていました。どこかで見たことがあるなと思ったら、映画『愛する人』(原題: Mother and Child)で、子供が生まれない夫婦の妻役で、妊娠中の女性との間でその胎児を養子にする(アメリカでは一般的なのでしょうかね、日本では特別養子縁組に近い)約束をしたのですが、途中で夫に反対されたため離婚し、さらにその女性からも生まれた赤子を見て約束を反故にされ、不幸のどん底に投げ込まれるのです。その瞬間、別に赤子を産んだ母親が亡くなり、父親が不明で、その子を養子にすることができたのです。その喜怒哀楽の表現が若い感情的な女性としてなかなかのものでした。

 

ということで脱線しましたが、今日はこれにておしまい。また明日。

 


脱引きこもりへの挑戦 <秋田県藤里町 ひきこもり、働く力>を読みながら

2018-04-21 | 心のやすらぎ・豊かさ

180421 脱引きこもりへの挑戦 <秋田県藤里町 ひきこもり、働く力>を読みながら

 

早朝、一筆啓上つかまつり候・・・と窓の外からリズミカルに何度も聞こえてきます。ヒノキの穂先なので、30m以上、50mくらいあるのでしょうか、スズメくらいのちっちゃな野鳥が止まって、しきりに高らかと鳴いています。でも私の視力ではメガネをかけても判別できません。

 

久しぶりに100倍ズームのビデオカメラを取り出し、その素顔をアップしました。やはりホオジロでした。古いカメラなので画素数も小さく、粗くしか見えませんが、それでも輪郭ははっきりしていますので、いくら私でも識別OKでした。しきりに体を動かして鳴き続けています。かわいいですね。

 

ただそのときすぐにホオジロの名前が浮かばなかったのです。だいたい頬が白いといえるのでしょうかと思ってしまいます。白い箇所は頬というより嘴の左右に縞状に延びているというのが形状だと思うのです。むしろ頬は黒ではないかと言いたくなります。ですから、マスクマンみたいに目の付近を含め黒色の縞模様の方が目立つのです。いつもホオジロと思い直すのに一呼吸必要です。ま、こんなど素人のような弁解は、バードウォッチャーはしないでしょうけど。40年くらい前から野鳥観察を始めたのに、一向に知識・理解が進まないのは素直さが足りないのか、イギリス紳士に学ばないといけないのか・・・

 

ところでものの見方は、固定観念を抱いていると、世の中の真相を理解できないままとなるでしょうね。とか、人間の世はいつも変わりつつあるのですから、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」といった風に、いつの間にか自分が見ている世界が違っていることに気づかないということもあるでしょうね。

 

秋田・藤里町はたしか白神山地を訪れたとき立ち寄ったと思うのですが、どうも記憶が残っていません。そこが今朝の毎日記事<縮む日本の先に地方はいま/7 秋田県藤里町 ひきこもり、働く力>で登場しました。

 

ひきこもりが増えている、それも高齢化している実態と、そのことを可視化、顕在化して、その原因を探り、解消に取り組む動きを追っています。

 

<10年近く前、秋田県藤里町の社会福祉協議会に勤め、高齢者宅を戸別訪問していた菊池まゆみさん(62)は、仕事をせず、昼から家で過ごす人々に気付いた。多くは男性。昨年度まで国が調査してきた「ひきこもり」は15~39歳だが、状態が長期化したのか、中年世代も目立つ。>と。

 

そこで<「外に出ませんか」。ショックを受けた菊池さんらはレクリエーションなどを企画したがうまくいかない。>そう簡単にいかないでしょうね。

 

<職につけない状態が長引き、結果的に孤立する人が多いことに気付いた。必要なのは交流の場より、きちんとした役割ではないか。>

 

たしかに職を得て収入を得る場をえることは大事でしょう。社会で生きているという意識を持つことができやすいのではと思うのです。他方で、交流自体もやり方に工夫があれば相当効果があるように思うのです。交流がだめで仕事場の提供といった選択にはならないと思うのです。でも菊池さんの積極的な対応策は次に述べるとおり功を奏したようです。

 

<さっそく、就労の情報提供として、ホームヘルパー2級の資格を取る研修のチラシを113人の家に投げ込んだところ、かつて外へ連れ出そうとした小玉栄さんが研修会場に現れた。>

 

<社協は2010年に自立支援施設「こみっと」を開設し、孤立した人々の家庭訪問を始めた。狙いは一人一人の力を最大限に引き出すこと。まずは社協運営の食堂で働くなどして、地域住民と交流。生活リズムを取り戻した後、町内や近隣の職場を紹介する取り組みだ。小玉さんも接客を学んだ後、社協でパートとして働くように。取り組みは成功し、113人は大半が新たな仕事を見つけた。>

 

私もいま、関係する人が自立支援施設で働いていて、その施設長の人から誘いを受けて、一度覗かせてくださいと話しているのですが、なかなか腰が重くて、訪問していません。むろん別の同様の施設を訪問して、その仕事ぶりなどはまったく知らないわけではないのですが、施設に応じて特徴が有るでしょうから、より多くを学ぶ必要があると感じつつも、実践が伴っていません。

 

他方で、藤里町の社協では、<対応が一段落すると、社協は全町民を対象にした人材派遣事業「プラチナバンク」を始めた。「個々の力を最大限に」というコンセプトは同じで、住民の1割近い約320人が登録。ほとんどが高齢者だ。メンバーは自ら採取した山菜でアイデア商品を生み出し、東京で販売することも決まった。70代男性は「形になれば更に頑張れる。今ではライフワーク」と話す。>

 

シルバー人材センターは昔からありますが、このプラチナバンクは高齢者の頭脳・経験を生かして起業家になることを支援するようなイメージですね。それ自体は面白い内容ですが、事業家のノウハウ、経営管理、資金や販売管理など、こういった分野に、社協がどのような支援ができるのでしょう。私も社協のお手伝いを長くやっていましたが、そのようなノウハウを持つ人材がいるとは思えないといっては失礼ですが、その当たり他の外部機関との連携が必要な印象です。社協の職員はまじめで優秀で、他の関連する機関との協議も頻繁にやっている印象です。他方で、事業化となるとちょっと分野違いの印象を受けるのは、私が固定観念に固執している問題かもしれません。

 

<「意欲や希望さえあれば誰もが生涯現役」と話す菊池さん。一連の取り組みは注目され、視察が絶えない。小松田儀貞・秋田県立大准教授(社会学)は「厳しい人口減の中で、潜在的な人材の能力を引き出し、地方創生につなげた。マイナスをプラスにする事例が興味深い」と高く評価する。>

 

さらに<3月下旬、こみっとの関連施設に香ばしいにおいが漂う。小玉さんら113人の一部も関わったフランスの郷土料理・キッシュ作りだ。町特産のマイタケ入りで、売り上げも順調。いまや町を代表する名物料理となった。メンバーが巣立ったいま、その製造を高齢者へ引き継ぐことは小玉さんの大切な仕事だ。>

 

そうですね、シルバー派遣といった、ちょっと手助けもいいですが、高齢者の潜在能力はもっと高いと思うのです。それを引き出す仕掛け、工夫は、社協に限らず、自治体行政としても、本気で取り組む必要があるのではないかと思うのです。

 

趣味や芸事もいいでしょうけど、葉っぱビジネスで収入を得るために嬉々としている高齢女性たちの姿を見ていると(徳島・上勝町)、事業の提供もあれば、高齢者一人ひとりに、その隠れた知恵やひらめきを事業化できるような場の提供も考えていい時代ではないかと思うのです。認知症防止とか、医療費負担の軽減とか、マイナス面からの発想ではなく、もっとプラス思考で、地域の多様な資産の掘り起こしと、高齢者の生活の知恵、経験知を生かしてもらいたいと思うのです。

 

翻って、ひきこもり問題は、幼い頃からの家庭・学校での対応が重要であると思うのですが、それに十分意識的に対応できないまま、大人になり、年を重ねていった人に対しては、さらなる工夫が必要でしょう。

 

ユマニチュードで学んだことですが、常に人間として対応することは、一人ひとりに課せられた課題ですが、自治体行政としては、ひきこもりにある、あるいはそれに近い状態にある人を、<見る・話す・触れる・立つ>という基本的アプローチをひきこもり人に応じたあり方でケアする必要があるように思うのです。

 

ひきこもりといわれている人も、認知症とい言われている人も、ほんとはそのようなサービスを待ち焦がれるのではと思うのです。

 

<「ひきこもっていたと言われると違和感があります」。現在48歳になった小玉さんは振り返る。113人は知人らと交流がある人も多く、社協の取り組みに反発する親も少なくなかったが、新たな希望を見いだすようになったことは間違いない。「誰かに必要とされている感覚。悪くないですよ」。小玉さんはそう話した。>という小玉さんの話は意味深長です。

 

今日はこれにておしまい。また明日。