たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

電力の地産地消 <電力事業 参入の自治体増>を読みながら

2018-04-20 | 原子力・エネルギー・地球環境

180420 電力の地産地消 <電力事業 参入の自治体増>を読みながら

 

あることに集中していると、別のことが見えなくなる、そういたことがよくあります。今日は交通事故の告訴案件や借地問題、土地売買をめぐる紛争、傷害事件の弁護事案、などなどを頭を切り換えながらやっていくのですが、なかなかスイッチの入り換えがうまくいきません。あることに没頭しすぎると、なにか抜け落ちるのでしょうかね。あるいは神経パルスが固くなって、柔軟性を失うのでしょうかね。

 

地産地消という長く普及してきた言葉、さまざまな意味合いをもつ含蓄のあるものと思うのですが、他方で、その一面だけとらえると見えない落とし穴に入るかもしれません。

 

今朝の毎日記事<電力事業参入の自治体増 大企業と連携も 住民サービスの向上狙う>は、なんとなくわかったような気がしつつ、どうもはっきりしないとタイトルを見て感じてしまいました。

 

とりあえず記事内容を見てみましょう。

 

<自治体が大手のエネルギー企業と組んで、電力事業に参画するケースが広がっている。電気の販売や運営管理などのノウハウを提供してもらい、安定した事業基盤を築きながら、住民サービスの向上や地場産業の育成を進める狙いがある。>

 

自治体の電力事業への参画ということ自体、自治体サービスとしてどのような意味があるのか、ある種の想定をしつつ、それが大手のエネルギー企業と共同することの意義はどこになるのかが気になります。

 

その方向性が、<安定した事業基盤>とか、<住民サービスの向上や地場産業の育成>となると余計イメージが生まれてきません。

 

記事は<奈良県生駒市が昨年7月に設立した新電力「いこま市民パワー」には、大阪ガスが34%出資した。>件をとりあげています。共同出資ということですね。

 

その事業内容は<販売する電気の大半を大ガスが供給することで、調達価格が安定するのが利点だ。電気の需給管理も大ガスが担う。市の施設のほか、今年に入って南都銀行の店舗にも電気を送っている。>ということは、生駒市が大手需要者として、大ガスからの安定かつ少々廉価に手電力提供を受けるということのようです。市の施設を中心にさらに銀行など他の民間部門にも供給しようと言うことでしょうか。

 

その収益を見込み、その使い道について<収益は市民サービスの充実に使う方針で>というのは当然でしょうね。ただ、<今年2月に第1弾としてストレッチ講座を開いた。市の担当者は「収益の活用法は、市民が参加する会合で話し合って決めたい」と話す。>ということになると、収益の使い方まで十分検討せずに、共同出資事業を開始したということでしょうか。それ自治体経営として大丈夫とつい思ってしまいます。

 

大ガスがいま関電と電力事業部門で激しい競争をしているようですが(実際は地域を問わず、様々な主体間で競争が行われているようですね)、生駒市はどのような収支計算や市の将来計画を打ち出して、この事業を始めたのでしょうか、市民の賛同をどのような形で得たのか、気になります。

 

他方で、<三重県松阪市も東邦ガスと組み、昨年11月に新電力を設立した。>というのは、主体的な取り組みというふうに評価できる部分があります。<市のごみ処理施設で発電する電気を供給し、エネルギーの「地産地消」を目指す。>こういった再生可能エネルギー、あるいはそれに準ずるような電力供給、それも市が発電者であることから、それ自体は地産地消の一つのあり方と評価することは可能ではないかと思うのです。<電気の販売や調達など主な業務を東邦ガスが引き受け、安定した運営体制を構築した。>と民間企業の経営能力を借りるというのも一つの有効な選択とみてよいかと思います。

 

その次に紹介されている<山梨県は東京電力エナジーパートナーと共同で県内企業向けの割安な電気料金メニュー「やまなしパワー」を2016年度から手掛け、企業誘致や地場産業の育成を進めている。>も、生駒市とあまり変わらない、印象ですね。

 

どうも自治体側に、きちんとした電力供給構造の将来に対する考え方が定まっていないというか、検討もしていない印象を受けてしまいます。政府がベース電力とか云々しても、一向に将来を見通せない中、本来は地産地消の担い手、主体である自治体こそ、自分で考えることではないかと思うのです。

 

安定した少し割安の電力が供給されるからといって、飛びついていいのでしょうか。大量の電力の供給を受けて、それを地域振興に役立つ事業に、低廉で?小口供給するといった発想なのでしょうか、そんなことでよろしいのでしょうか。

 

地域全体の電力供給のあり方を本気で考える時代にきていませんか。山間部の森林地帯では、遠くから送電線をつないで送電ロスも多いのに、現在の電力供給のシステムでよろしいのでしょうか。森林を有効利用してバイオエネルギー・バイオ発電で、地域全体の共同供給システムを確立するといった発想はなかなか生まれませんが、それこそ地産地消ではないでしょうか。

 

日本の川は滝だと言われた山間部の急流は小規模水力発電としても活用できるように思うのですが、そのような活用は一部には行われていても、有機的な連携がなされているようには思えません。

 

太陽光発電や風力発電は増えてきたようですが、環境影響も無視できない状態です。それは立地への配慮が十分考慮されていないからではないでしょうか。

 

それにしても、大規模事業体からの電力供給だけに頼る地産地消では、本来の地産地消とはいえないように思うのですが、いかがなものでしょう。

 

そろそろ一時間となります。今日はこれにておしまい。また明日。


散骨と墓守と人と地球 <樹木葬 隠岐の波間に散骨島 墓守不要で自然葬人気>を読みながら

2018-04-20 | 人の生と死、生き方

180420 散骨と墓守と人と地球 <樹木葬 隠岐の波間に散骨島 墓守不要で自然葬人気>を読みながら

 

グレートラバースで、深田久弥の日本百名山、一筆書きを遂行する田中陽希さん、今日も15年に達成した一コマ(15分編集で4回、60分)に登場しました。

 

驚いたことに、彼は普段の仕事場、群馬・水上町でこれまでの内部疲労蓄積でダウンして5日間でしたか病院で安静療養したのですね。強靱な体力も、腸内細菌などの協力で忍耐強い支えがあってこそ、維持できたのですね。高熱でベッドに横たわる彼に、医師は内臓が疲労困憊して消化できない状態にあることを説明して点滴などによる安静療養を勧めたわけです。

 

そうでしょうね、私なんかはとてもそんな体力はありませんが、熱帯林を何日も歩いたり、北極圏を旅していると、内臓や心肺機能に異常を感じたことが何度もありました。私の場合は陽希さんのような無理がきかないので、それを持続するようなことはしません。それでも昔、修道院で助けてもらったときはたしか3日間ほとんどベッドに横たわっていた記憶です。よほど疲れていたのですね。ちょうど浅間山荘事件の頃です。

 

陽希さんの面白いというか、素直な自然体にも魅力を感じます。これまでも神社参拝や山頂に祠があると参拝するのですが、最初はとても粗雑で拝礼の適当さ、しかも柏手が形だけ、音も出ない程でした。でも彼はアドベンチャーが神髄です。外国でのアドベンチャーではそういった参拝もないでしょう。地元神を祭ることは、日本では、とりわけ登山する場合は自然に身につけてきたのでしょうけど、教わったことがないようです。

 

武尊神社(日本武尊が当地での統治活動を行ったとの伝承を受けたものでしょうか)は彼の地元、ようやくかなりいたについた感じになってきました。でも、彼らしい、独自の拝礼ですね。それでいいと思うのです。気持ちが込められていれば。千利休も作法は厳しく指導したようでもあり、自由にすることをすすめたようでもあり、それが芸の本道ではないかと思うのです。

 

道元は清掃、食事、排泄などあらゆることにその作法というか、細々とあり方を定めたようですが、それは仏道の本質を享受するための一つの道であって、すべてではないと思うのです。良寛さんは道元を尊崇していましたが、決してその作法を自分では試みず、その面では自由奔放に生き、和歌の世界や人と接する中で神髄を吐露したのではないでしょうか。

 

と久しぶりに前置きが饒舌となりましたが、本題に入ります。

 

昨夕の記事<樹木葬 隠岐の波間に散骨島 墓守不要で自然葬人気 風評懸念、条例で規制もでは、

<永代供養をうたう納骨堂が都心部に相次いで建設されるなど、弔い方が多様化する中、遺灰を自然にまく散骨や桜などの木の近くに遺骨を埋める「樹木葬」も注目を集めている。「自然の中で眠りたい」と考える人が増えているほか、将来の墓守の心配がないとの理由で人気を集めているという。一方、風評被害の懸念からこうした自然葬を条例で規制する動きも全国で相次いでいる。>

 

墓守というか、墓の管理が大変という、一つの側面がかなり重荷を感じる人が全国で声を上げるようになった印象ですね。

 

おそらく90年代に入る前は、そのような声も上げることができなかったと思います。

 

90年代初頭でしたか、80年代後半でしたか、記事で紹介されている<1991年、東京都のNPO法人「葬送の自由をすすめる会」が神奈川県沖の相模灘で本格的に始めた>数人の創始者の一人として私も仲間入りしました。

 

この運動は、当初、東京都の水源、奥多摩の森を守ろう(実際の全国の森も含めて)、他方で、火葬後の踵骨が産廃処分され、また首都圏では墓地開発で自然破壊が起きているなどの問題などを解決するために立ち上がったのです。

 

記事は<当初は墓地埋葬法に抵触するとの見方もあった。 しかし、当時の厚生省が「法の対象外で禁じるものではない」との見解を公表。>と書いていますが、少し誤解を招く表現です。

 

私はこの問題に法的対処するメンバーの一人として、厚労省(当時は厚生省)、法務省刑事局との折衝を行いましたが、墓地埋葬法に抵触すると言った理解は、私たちの解釈論を理解して、まったくありませんでした。むしろ法務省刑事局との折衝に私たちは注力を注いだのです。墓地埋葬法を丁寧に読めば一目瞭然です。この点はこの分野の権威、大正大学の藤井正雄氏とも協議かを開催し、藤井は浄土宗信徒として、温厚に対応していただき、当方の解釈を理解していただいたと思います。この方とはその後もシンポで議論したことがありますが、立派な紳士ですね。

 

ともかく刑事局が最初の自然葬実施を大々的に報道されたとき、「葬送のための祭祀」で「節度を持って行う」かぎり、「合法」と明言したことで、ある種決着がつきました。それを刑事局との折衝の中で、事前にその言質を得ていたのです。

 

四半世紀も前のことですから、多少記憶はいい加減ですが、でも当時の折衝場面はわずかながら記憶しています。

 

それからもいろいろありました。ただ、宗教界からの反発や抗議は一切なかった記憶です。

それがよかったか悪かったか、その後に様々な問題が起こってきましたが、藤井氏が懸念していたこともあったように思います。

 

たとえば、記事が取り上げた<農業が盛んな北海道長沼町は2005年、条例で墓地以外での埋葬を禁じた。町内の川で業者の散骨計画が持ち上がり、農業用水の汚染を危惧した町民の反対運動がきっかけだった。>もその一つ。

 

私も現地に飛んでいきました。私が関与していた上記会とは何の関係もなかったですが、自然葬の将来に影響があると考えたからです。そのやり方はある面で稚拙でした。しかも調べると、周辺ではヘルマン・ヘッセを慕う農村作りをする運動体がすてきな村づくりをしているそのそばでした。ヘッセは自由な思想の持ち主と思いますが、その具体のあり方には繊細で緻密な自然環境との調和を目指しているように思えます。残念ながら長沼町の例は、そのような理解に乏しいと思わざるを得ませんでした。事業者とお会いして考えを伺ったのですが、必ずしも経済目的でなく、私たちの考えにも通ずるところがありましたが、周辺の人たちへの理解を得る努力や手法に疑問がありました。

 

その後も多様な問題が起こりました。農地で散骨を肥料とするような伊豆大島事件もその一つでしょうか。

 

記事が取り上げている樹木葬は、あくまで墓地埋葬法上の墓地として経営許可を得て行うもので、それが本来の意味で樹木葬といえるのかは疑問がありますが、私は多様なあり方があってよいと考えますので、墓地埋葬法に則る選択肢の一つかと思うのです。

 

ただ、それは墓地問題が抱えている多様な事項に対処できているかというと、疑問が残ります。

 

前後が逆になりましたが、隠岐の島の、散骨島葬送、これは一つのあり方かなと思っています。

 

<島根県の隠岐諸島に「散骨島」と呼ばれる小さな無人島がある。大山隠岐国立公園内にあるカズラ島(海士(あま)町)。東京の葬祭業者が設立した運営会社が2008年、地権者から島を買い取って事業を始めた。

 対岸から船で渡り、小山を登ると木々に囲まれた平地の散骨場があり、遺族は粉にした遺骨を土の上にまく。基本料金は約26万円で、後の管理費などはかからない。環境保護に配慮し、島への立ち入りは原則5月と9月だけで、この時期以外は対岸に設けた慰霊所から拝むことができる。>

 

でもなぜ隠岐の島か、となると、むろん地元出身者ならいいかという問題もありますが、遺骨についての考え方の見直し、供養のあり方、島の自然環境に対する意識のあり方など、島に関係する人、その他さまざまな関係者との協議がどのようになされてきたかは気になるところです。

 

私はこれまで最初の海での散骨(灰が正解)、その後山や海での散灰に携わった経験がありますが、それぞれ亡くなった方との触れ合いを強く感じることができました。知っている人はもちろん、知らない人も。人と地球生命体との一体感みたいなものを感じさせてくれたように思うのです。葬送の自由をすすめる会の創設者、安田睦彦氏は著作『墓は心の中に』のなかで、私のそういった思いを引用してくれています。

 

そして般若心経からいって、有るものも無い、無いものも有る、意識すらも有るようで無い、そういう私たち人間のあり方を、この散灰をとおして、心の中で深く感じることができたような気がします。

 

それは葬送のあり方に一つの様式をのみ認めるのではなく、せいぜい有ると思われる心と対面して選択することではないかと思うのです。墓守や墓の管理は、残念ながらもう少し次元の異なる問題では無いかと思うのです。むろんさまざまな検討する課題の一つではありますが。


認知症高齢者との触れ合い(10) <ユマニチュード・人間関係の怖れ>を考える

2018-04-19 | 医療・介護・後見

180419 認知症高齢者との触れ合い(10) <ユマニチュード・人間関係の怖れ>を考える

 

今日でこのテーマの連載が10回目です。最初のときよりは少しわかってきたような気がしています。でもこれこそ実際にやってみないと理解できないことだと思います。そこにはいくつか壁があるように思うのです。まずはこのことを十分に理解できていないまま行うことですね。

 

他方で、自分の中にある人間関係に対する怖れといったものがあるように思えます。これは多かれ少なかれあると思うのです。トランプ大統領にはない?麻生財務大臣にはない?なんてことはありえないでしょうね。厚顔無恥や馬に念仏などといったことわざは、普通の人はそうでないことを示しているのでしょうね。別に前2者がことわざに当たる人という趣旨ではありませんけど。

 

ちょっとこの話から脱線します。昨夜NHKの歴史秘話ヒストリアで<イギリス侍 三浦按針の「友情」>を見たのですが、日本人がどうのというより、イギリス人もやはりなかなか捨てたものではないと思った次第です。

 

実は按針(本名ウィリアム・アダムス)のことは、横須賀時代、京急線で東京に通うのですが、途中、安針塚駅があり、三浦按針に多少興味を抱き、その周辺を時折、なにか足跡がないかと思いながら散策したことがあったのです。ところが彼は隣の逸見駅周辺に住んでいたというのですね。で、番組を見て不思議に思ったのが彼が家康に命じられて西洋式船を作るため造船所を伊豆の伊東につくったというくだりです。え、それおかしくないと思ったのです。

 

というのはどうみても伊東の港で、造船所を作るのに適しているところがあるかなと、何度か訪れているので、奇妙に思えたのです。他方で、逸見は、横須賀基地があるところですね。米軍の原子力空母や、自衛隊の海上自衛艦、潜水艦が豪華に並んでいます。たしか維新前、幕府から造船の依頼を受けた、フランス人技師・ヴェルニー氏が小栗忠順と探し求めて、この逸見がフランスの良港とそっくりということで決めたと言われていたと思うのです。

 

なぜ逸見に住んでいた按針がここを造船所に選ばなかったかなのです。彼は造船技師ではなかったからかなというのが一つの解答。ただ、浦賀をイギリス船の貿易港として選んだ眼力があるので、造船技術がなくても、逸見の入り組んだ海岸は最適地と考えるだけの能力があったかも。すると選ばなかったのは、その場所の風景に惚れてしまったからかと勝手な推測となりました。

 

それにしても、按針が日本に到達したのが1600年、そのときさまざまな当時の先端武器を家康に提供したというのです。しかも大砲はたしか2000mか3000mもの飛距離をもち、当時の日本製鉄砲や大砲とは比較にならないものだったとか。それを松尾山で優柔不断だった小早川陣に打ち込んだのはこの大砲だったとの見解も結構魅力的ですね。

 

ともかく最先端の技術を提供した按針はじめイギリスだったのですが、結局はオランダに取って代わられ、英語は250年間知られることもなく江戸時代が平穏無事?に過ぎたのですね。なにがよかったかわるかったか、わかりませんが、按針という人の潔さを少し感じました。たしか彼は一航海士だったと思います。その彼は天下の大将軍家康に対しても決して極端に怖れることもなく、卑下することもないのです。また、自分の技術を自慢にすることもなく、家康はじめ日本の文化に敬意を込めて自分を変えていったのではないかと思うのです。改めて興味を抱きたくなる人物です。

 

で、元に戻って、イブは日本、日本人について、次のように指摘しています。

 

「私がこれまで出会ってきた国の人たちの中で、日本人は最も人間関係を怖れています。」と。そうかもしれないなと少しわかるような気がします。

 

「それがために他者に出会うのがすごく難しい。ユマニチュードは、まさにそのような状態から脱け出す方法を示しています。だからこそ、日本人は即座に「これは解放の哲学だ」と理解するのです。」

 

人間関係を怖れる、それがさまざまな問題の本質にあるかもしれません。それを解放するのがユマニチュードなのかと改めて感じるのです。

 

「自分は愛情を、優しさを受け取るために人間として生まれてきた。ユマニチュードはそれを可能にしてくれるのだ」と思えるのです。その理解を、それぞれの人生において生かしてほしいと思います。」と

 

ここで終わらないのがイブさんらしいところで、イエスとノーについて、本質的な問題を語ってエビローグとしています。

 

「日本は「イエス」の国です。和を尊び、社会のコンセンサスを探求します。日本に来て、私は人間関係の優しさに驚き、嬉しく思いました。日本の人々は何時間も会議をし、他の人に対して声を荒らげることもなく、論争を避け、励ましの言葉をかけます。日本の人々の礼儀正しさは世界の模範であり、フランスにとっても夢であります。」と。

 

こう言われると、弁護士の会議などでは先輩後輩関係なく、学者顔負けの議論百出はいいとしても甲論乙駁もありで、なかなか大変ですから、私なんかはイブの見たのは一面かなと思ったり、いや確かにそういう面もあるかなと思うのです。だいたい議論は、江戸時代の百姓自体が議論付きだったことが古文書なんかで認められるように思うのです。ま、そんなことはたいした話ではないですね。

 

やはりイブさんの見解を誠実に伺うのがよいです。「伝統を守るという特質」をも指摘しています。

 

「たとえば、祖父は父に、そして父は息子にナイフの研ぎ方を伝えます。完壁に研ぐための石の濡らし方、刃の傾け方、力の入れ方、動きを教えます口学んだことをそのまま受け入れることにより技術は次の世代に伝達されます。完壁さを追求しながらも、基本的技術は変えずに覚えるがゆえに、正しい動作に達するのです。茶道はそのよい例だと思います。」

 

私も昔茶道を少し習いましたが、たいていの人は続かないのではと勝手に思っています。免状をとっても日常的にやられている方は少ないでしょう。それは他の伝統も同様かなと思うのです。柔術といわれた、柔道、合気道、空手などなども・・・・

 

かえってフランス人など外国の人が積極的にこの伝統技術、伝統芸を学ぼうとしているのではと感じることもあります。

 

フランスは、いいえの国だというのですね。そうなんだと思います。しかし、いまそれぞれの国民が他国民の文化を評価し、次第に変わりつつあるようにも思えます。

 

でもイブさんの「いいえ」に託したことばは大事かなと思うのです。長いですが、ほとんどを引用します。

 

まず彼は「私は人生において最も大事な言葉はです。」と断言するのです。

 

「私たちの子供たちに、自分が受け入れ難いことは決して受け入れない、と教える世界を。「お父さんなぜ?」「お母さんなぜ?」と聞かれたとき、「こういうものなのよ」と説得するのではなく、本当の説明をする世界を。

両親が十分賢く開かれた精神を持ち、子供が正しく親が間違っているときには、それを認める世界を。

友愛の精神で結ぼれた人々がお互いを信頼するがゆえに、「いいえ」という言葉が、本当の贈り物、真実の贈り物となる世界を。

それぞれの人が唯一無二の存在で、自分の考えを持ち、共通の価値観を通して他の人と結ぼれる世界を。」

 

そして最後に告げた言葉は大事にしたいです。

 

「あなたが私に対して「いいえ」と言う権利を持っていると私が知らなければ、あなたの言葉を信じることはできないでしょう。」とはすばらしい洞察力というか、言明ではないかと思うのです。

 

「あなたが私に「いいえ」と言えるのは、私を信頼しているからです。強制された「イエス」が恐怖から生まれるとしたら、尊重の「ノー」は自由から生まれます。」

 

この言葉をかみしめて、このタイトルの連載をとりあえず終了します。

 

また明日。

 


早朝の触れ合い <田中陽希のグレートトラバース>を見ながら

2018-04-19 | 人間力

180419 早朝の触れ合い <田中陽希のグレートトラバース>を見ながら

 

今朝は谷を渡るというか、悠然と羽ばたく鳥を陶然とした気分で見ていました。アオサギです。紀ノ川の瀬や、周辺の田畑への灌漑用水(実のところはコンクリート三面貼りの排水路)などではよく見かけますが、久しぶりです。100年くらい前にはコウノトリが各地で見られたのでしょう。あの雄大さ、気高さに近いものを、アオサギにも感じることができます。

 

さて今朝も、野鳥の鳴き声を聞きながら、田中陽希のグレートトラバースの一時間放送に合わせて1時間室内ジョギングをしました。関東にやってきたのですね。それも天城山、丹沢山、筑波山、赤城山と少々小粒ながら、移動に長距離を要する行程でした。

 

このうち、赤城山以外は私も登攀してますので、懐かしさを感じたこともあり、それに陽希さんが第一回の放映時(というか登攀時)すでに結構知られていたことを初めて知ったこともあり、少し書いてみようかと思ったのです。

 

私がこれらの山を登っていた頃は、たしか30年~40年前ですね。仕事を始める少し前、始めた頃で、結構仕事がきつかったのでしょう。気分転換に各地の小さな山を登ってはバードウォッチングや野草観察など、いろいろやっていたような記憶です。

 

ちょうど新田次郎の「孤高の人」を愛読して、そんな単独行を重ねていたようにも思います。陽希さんのそれに比べるとかわいいものですが・・・それでも当時は法律事務所としては珍しい週休二日制で、国選の刑事弁護の仕事をしたり、あるいは登山ないしはハイキングなどをしたりしていたように思います。

 

丹沢山では、なぜか予定より遅れて真っ暗の中を懐中電灯で下ったことを思い出しました。そして危うく崖道を踏み外して落下しそうになった怖い思い出もありました。懐中電灯の照射は、当時のものはとりわけ短く、狭かったように思います。山の怖さの一面を味わいました。

 

筑波山では、陽希さんのように40km近い道路を歩いたり走った後の登山と違い、軽い気分で登った記憶です。私には数100kmも歩いて行く程の体力は到底ありそうもないと思っていましたが、陽希さんが待ち構えた少年に、小さなチャレンジを繰り返して行くことで、次第に大きなチャレンジも乗り越えることができるかもしれないよとアドバイスしているのを聞き、いや正鵠を射た、体験者の発言としてその少年だけでなく多くの人に共感を呼ぶな、これも彼の人気の一つかなと思ったのです。

 

ところで、筑波山は標高の低い山ですが、私が横須賀に住んでいる頃、私の部屋から年に何回か筑波山の山容がくっきり見えることがありました。たぶん60kmは離れていたと思いますが。横浜ベイブリッジはもちろん、東京ディズニーランド、さらにずっと先に見えてくるのです。これは地形のいたずらか、いや、それだけ孤高の山として関東圏で屹立しているのでしょう。信仰の山となるのもわからなくはないです。

 

それに綾瀬川も登場しました。綾瀬川は、綾なる川といわれ、埼玉を枝が重要に伸びているみたいに、細い線を張り巡らせて、東京で荒川に合流します。綾には、それだけ美しいという意味もあったように地元の古老から伺った記憶があります。その綾瀬川が40年暗い前には水質汚濁でひどい状態でした。

 

その原因を調査するのに、私が一人で東京都の河川水質汚濁の調査報告書(名称は忘れました)を基に、河川の上流をさかのぼったことがあります。この報告書では水質汚濁の指標の一つBODの数値が合流地点をポイントに表示されていて、どこで悪化しているかわかるのです。複雑に支流があるその河川を追っていくと、わかりました。工場排水が主な原因であることが。当時は東京下町にあった工場が東京都の規制強化で、埼玉県に相当移動したのですね。また東京のベッドタウン化が進んでいた綾瀬川上流付近では、生活排水も垂れ流し状態でした。

 

このときの綾瀬川については私が担当し、調査報告を書いて、東京弁護士会で出版したことがあります。私が綾瀬川の水質汚濁に気づいてだいぶたってからのことですが。

 

その綾瀬川を歩いていた陽希さん、突然呼び止められて、知らない女性に頼まれたのはボランティアで綾瀬川周辺の河畔林の整備をしている活動に協力を求められたのです。はじめはチェーンソーのエンジン始動、さらには機の伐倒と。先を急ぐはずの陽希さん、頼まれると断れないタイプでしょうか。なぜか、私は現代版空海さんをイメージしてしまいます。(それは恐れ多いことでしょうかね)

 

陽希さん、実家はたしか北海道富良野で、山の木を切って薪にする生活を小さい頃からやっていたというのですから、チェーンソーの扱いには慣れていますし、小さな木の伐倒などお手の物。やるなという感じです。受け口の切り方、追い口の切り方、伐倒方向を見定めた、安定して確実な基本技を会得しています。これくらいはお茶の子さいさいでしょうね。

 

ま、空海さんの場合は、高度の土木技術や薬学など博物学的知見と、これは比較対象外ですので、ま、これは冗談でしたが。

 

陽希さんの魅力の一つは、体の故障、自然災害のリスクに対して、敏感に対応し、順応する精神と体力でしょうか。昨日の富士登山の際、肩関節が脱臼しても、慎重に対応し、次第にその痛みに順応するのですね。足場が悪いとか、さまざまな悪条件があっても、それに応じた歩き方、体力の保持など、天性的なものでしょうか。一つ一つ理にかなっているように思います。

 

私個人としては、岩場を怖がるタイプではないですし、角度のある斜面も怖じるタイプではありませんが、彼がもつ持久力は並外れたもので、到底かないませんし、むしろ平坦なコースを黙々と走り、歩く、その姿に感動します。人生は平坦で平凡な日々です。それを黙々とやり遂げる、それは誰にも見られていなくても、自分に課せられた試練として、あるいはそこに喜びを感じながら、続ける彼に、エールを送りたいと思うのです。

 

さわやかな風が今日も吹いてくれました。


認知症高齢者との触れ合い(9) <ユマニチュード・人間としてケアするとは>を考える

2018-04-18 | 医療・介護・後見

180418 認知症高齢者との触れ合い(9) <ユマニチュード・人間としてケアするとは>を考える

 

いまようやくある交通事故の事故解析が終わったところです。事故当事者双方の保険会社が協定で損害保険リサーチに依頼して調査・報告してもらったのですが、相手方がその結果に同意せず、真逆の結論に固執するので、結局、私がこの件を担当することになりました。

 

その報告書を利用できると思っていたら、事故原因や過失割合の判断については報告から除外されていたため、自分で双方の車の損傷部位程度、接触後塀に接触しているので、その接触痕などを踏まえて、速度、距離など、多角的に検討していたら、結構時間がかかりました。簡単に白黒つくこともありますが、そうでないことの方が多いから、結局、弁護士が入るのでしょうね。それでも簡単ではないですね。どれだけ説得力のある解析ができるかが決め手でしょうか。

 

さて、報道では財務省事務次官のセクハラ発言、それに麻生大臣のややこしい言い回し(ま、時代錯誤的感覚ですね)、さらには新潟県知事の援助交際に伴う辞任?発表があったとか、いそがしや・いそがしや ですね。しかし、北朝鮮問題以外に、東日本大震災や熊本大震災などの被災者のこと、原発廃炉問題、モリ・カケ問題と、問題山積みの中で、行政のトップがこんなことでいいのと思ってしまいます。しかも東大卒のトップエリートの女性に対する差別的な性根には驚き以上に、情けなく思うのは日本人全員ではないでしょうか。

 

ま、そんなことをいっても、なかなか簡単には変わりそうもないですので、話題を戻して、ユマニチュードをもう少し学ぶことを続けてみようかと今日も書くことにしました。

 

そろそろ終わりにしようかと思いつつ、まだほんとにわかっていないなと実感しているので、また本を取り上げました。実は、今日、後見人となっている方の健康診断に付き添ったのですが、少し待ち時間があったりしたので、話しかける努力をしてみたのです。

 

精神疾患のため上下肢がほぼ動かない状態で、発語もわずかしかできません。聞き取ることはできるのですが、どの程度意味がわかっているかは、ある程度わかってはいるのですが、その程度は一つ一つ確かめないとなんともいえないのです。それでも少しでも笑顔になってもらえると、こちらもうれしく感じるのですが、さてさてケアってなんでしょうねと思うのです。

 

イブ&ロゼットは、「患者中心のケア」と、わが国でも一般に周知している言葉を使っています。

 

ある事例を提供します。

「認知症の人が寝ているとします。世界中の病院や施設では、食事やおむつ交換のためといった理由から本人を起こしてしまいます。ケアする側の都合で寝かしつけて、ケアする側の都合で起こす。それがケアを受ける人を中心に置いたケアの現実です。ユマニチュードにおいては、患者が眠っているあいだは無理に起こさないという原則があります。

認知症の中核症状のひとつが記憶障害です口記憶は寝ているあいだに脳内で再構築されます。睡眠を邪魔すると記憶が悪化します。医療関係者はそのことを知識として理解しながらも実践に結びつけていないのです。 ケアをする人は、ケアを受ける人の健康を害してはならないという鉄則があるのに、それが実行できていないのです。」

 

しかし、患者中心のケアをしていると、ケアする側が燃え尽き症候群になるというのです。それは理解できます。「ケアをする人の具合がよくなければ、本人の具合もよくなりません。」というのもよくわかります。それで、ケアする人をケアしないといけないかと問題提起するのです。

 

そうではないのですね。

「それよりも、自分の仕事をしながら、それが楽しく幸せだと感じるようにする。そこが問題の本質のはずです。

 

そして最初の命題の意味が提示されるのです。

「ケアをする相手との絆ができてこそ互いに幸せになれます。ケアを受ける人を中心に置いても、ケアをする人を中心に置いても間違いが起きます。中心に置くべきものは、相手とのポジティブな関係の「絆」なのです。」と、私がタイトルにあげた触れ合いといってもいいかもしれません。

 

患者、利用者を尊重する、ということはわが国でも最近では割と理解されてきたように思うのですが、それはどういうことかとなると意外とむずかしいですね。イブ&ロゼットは「、相手を人間として認めること」と断定しています。

 

ではここでいう「人間とは何か」です、それが問題ですね。

 

そこでいろいろな例を挙げていますが、基本は「何かを行うたびに、私たちは聞い直さなければなりません。これは、人としての特徴を考慮して行っているケアだろうか?このように問い、そして解決法を探していくのです。」と。

 

答えは自らその場で相手の背景であり本質の人間性という具体の特徴・内容を掘り下げ、それに応じたケアをして、反応を見ながらフィードバックするしかないのではと感じています。

 

 

人間の尊厳についても言及し、「尊厳は十全性に基づく」というのです。一体なんでしょう。人間は欠陥だらけだから人間ではないかと私なんかつい思ってしまいます。ま、先に挙げた福田氏や米山氏、さらに言えば麻生氏、いずれもちょっと(いや、桁外れにかも)行き過ぎですね。

 

でもなぜかイブ&ロゼットは「心理的にも身体的にも人間らしさが保たれている。何ひとつ欠けていない。つまり、人間であることの「十全性」が守られているとき、尊厳が生まれます。その反対に、その感覚を取り除くことも可能です。」

 

ここで取り上げている「十全性」が、人間としての身体的・精神的な機能に一切問題がないとか、いわゆる欠点などが一切ないということではないと思うのです。

 

尊厳について次のような指摘をしています。

「心や体が傷つけられたとき、尊厳の感覚は奪われます。罵倒する。寝たきりにさせる。動かないように命令し、実際に拘束すれば、尊厳の感覚は失われます。」

 

本人自身ではなく、ケアする側が傷つける、行動制限するなどすることをいうのでしょうか。そのことによって尊厳が奪われたり、傷つけられるということなんでしょう。

 

その意味では次の言葉はより明快で、賛同します。

「心や体が傷つけられたとき、尊厳の感覚は奪われます。罵倒する。寝たきりにさせる。動かないように命令し、実際に拘束すれば、尊厳の感覚は失われます。」

 

でも介護施設などに入所する方はすでにさまざまな自由を奪われています。

「認知症によって一部の人は文化に基づいた食事の仕方を忘れてしまいます。ベッドに裸で寝て、二本足で立つこともできない。話すこともできません。」と。

 

そのときこそ、人間の尊厳をしっかり見つめることの大事さを指摘しているのではないかと思うのです。

「そのような高齢者を見て、人間の特徴として残っているのはどれかと探しても、なかなかわからない。だから、「もう人間ではないのだ」と思ってしまうのです。でも、それは本人が望んでそうなったわけではありません。」

 

それでは具体的にどうするのでしょう。

イブ&ロゼットは「ユマニチュードはその人の“いま” に注目する」というのです。

 

それはどういうことでしょう。

これは答えがあるような、ないような、しかし、ことばにするより、現場での実践で見いだすのでしょう。

 

「いま、この人をケアします。宇宙人に、「この人は人間だ」と説明できないとすれば、それは私がその人を人間として認識できていないということです。」と強調するのですから。

 

それこそ人にこだわる、こだわり続けるのです。違う言葉でいえば、

 

「「あなたが私を好きだと言ってくれる。ここから始まるすべての行いが、「私は人間である」と認めることを可能にしてくれるのです。」と。

 

むずかしく考えるのではなく、心のあり方でしょうか、そして実践ですね。

 

やはり難しい、けれど魅力を感じます。

 

今日はこれにておしまい。また明日。