たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

柳川堀割物語と高畑勲 <余録 後にスタジオジブリ代表になる鈴木敏夫さんが…>を読みながらふと思う

2018-04-07 | 人の生と死、生き方

180407 柳川堀割物語と高畑勲 <余録 後にスタジオジブリ代表になる鈴木敏夫さんが…>を読みながらふと思う

 

もう30年近く前でしたか。東京弁護士会公害環境委員会で川の問題をテーマにシンポをすることにして、なにか一般の人にアピールするものがないかと考える中で、だれかが映画「柳川堀割物語」を提案し、これは面白いということで、上映することになりました。映画は自主上映という形で、各地で人気を呼びつつあった時期でした。そのとき監督だった高畑勲氏に話を伺いにいくことになったと記憶していますが、私は何かの都合で参加しませんでした。これまたあいまいな記憶ですが、高畑氏の話を聞いたメンバーからその情熱に引き込まれたということで、改めてどんな内容かと期待したのです。

 

上映は、まだ現在の弁護会館が建つ前ですから、古い趣のある建物3階で行われました。私の知り合いも来てくれ、感覚的には狭い会場一杯で200人近かった印象です。大盛況だったと思います。そしてその内容は、しびれるほど素晴らしものでした。柳川の堀割がもつ機能をアニメーションでわかりやすく説明されているだけでなく、随所にユーモアあふれる動画になっていました。生活の中に堀割の水が役立ち、洪水調整、利水にと役立ってきた歴史が語られていました。

 

ところが高度成長とともに、次第に見捨てられていき、アオコが一杯になったり、悪臭が放たれて、また、ゴミの捨て場にもなっていました。その結果、埋め立てろといった意見が高まっていくのです。これは70年代頃、どこにでもあった光景ですね。

 

それを一人の役人が立ち上がり、臭い水の中に入って、青草を刈り取り、ゴミを拾い上げるなどの作業を始めるのです。それが次第に市民の中に広がっていき、堀割が復活するのです。その立ち上がった役人こそ、広松伝さんでした。高畑さんも広松さんと会い、彼の熱意に惹かれたのでしょう。彼の創作意欲が見事に傑出したのだと思います。

 

高畑さんが亡くなられて、ジブリ作品として評判を博した、著名な映画がいつも取り上げられますが、私にとっては最高の作品は「柳川堀割物語」だと、いまでも思っています。残念ながら、一回きりの上映で、それ以後見る機会がないため、記憶が曖昧ですが、私にとってはきわめて印象的な作品です。

 

広松伝さんという人物が、普通の役人(たしかこの作業を始めた頃は係長か主任だったでしょうか)ですが、傑物ですね。こういう役人がいるから、日本はもっていると思うのそういう人ですね。私は映画を見た後、しばらくして日弁連調査で柳川市に行く機会があり、広松さんとは会食をしながら2時間くらい話をすることができました。恥じらうような態度をしつつ、朴訥ですが、信念を曲げない、男の中の男という感じでした。その彼も亡くなって時が流れました。

 

ところで、高畑氏も宮崎駿氏も一度もお会いする機会がありませんが、その作品にはいつも魅了されてきました。そういえば鞆の浦世界遺産訴訟では、原告団の代表から宮崎さんが宿泊したところとか見せてもらったり、宮崎さんの話を伺ったりして、鞆の浦の景観をとても大事にされているのだなと感じました。ぴょにょの舞台も、宮崎さんが滞在した場所に設定が似ていて、そこからイメージしたのかと思うくらいです。

 

で、毎日の<余録後にスタジオジブリ代表になる鈴木敏夫さんが…>で指摘している鈴木さん、高畑さん、宮崎さん、3者の「なりそめ」を知ると、いずれも「とても面白い」を通り越して、子供のように夢中になり貫徹する能力、それを受け入れるだけの懐の深さを感じさせてくれます。その部分を引用させてもらいます(原文は岩波新書ですね)。

 

<後にスタジオジブリ代表になる鈴木敏夫(すずき・としお)さんがアニメ誌の記者として電話で取材を申し込んだのが、高畑勲(たかはた・いさお)さんとの「出会い」だった。高畑さんはなぜ取材に応じないかを1時間話し、隣の宮崎駿(みやざき・はやお)さんに代わった▲今度は宮崎さんが、取材で聞いてほしいことがありすぎて16ページは誌面がほしいと30分話す。ちょっとしたコメントがほしかった鈴木さんはさすがにあきれ、1時間半もの電話は一行の記事にもならなかった(「仕事道楽」岩波新書)>

 

映画「柳川堀割物語」が生まれたいきさつ、その内容はウィキペディアで簡潔に紹介されていますので、関心のある方はどうぞ。余録で紹介されている関係が見事に映画に結びついていると思うのです。

 

そういえば、さきほど私の友人から先日の長電話の成果(作品化)が出そうだとお礼の電話がありました。鈴木・高畑・宮崎の傑物3者の見事な融合関係による世界的な作品になるようなことはむろん期待すべくもありませんが、うまくいくよう成果を期待したいと思っています。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


5時間後の蘇生 <心肺停止5時間後蘇生したフランス救急チームの奇跡>を考えてみる

2018-04-07 | 人間力

180407 5時間後の蘇生 <心肺停止5時間後蘇生したフランス救急チームの奇跡>を考えてみる

 

今朝は少し寒さを感じる朝でした。今日はNHKBS3では、田中陽希のグレートトラバースがお休みで、「きしゅう」を舞台にした映像が流れました。桃源紀行「中国・喜州(雲南省)」>の再放送のようです。

 

その若い女性がどこか山岳地帯の民族衣装をまとって、きしゅうのまちがよく見えますよというところから、見たのです。はじめ「きしゅう」というと「紀州」のことか、でもいまどき紀州という名前の地域があったかしらと不思議に思っていました。

 

それが雲南省にある喜州(きしゅう)という地域の名前だとわかりました。案内役は、この喜州出身で、大学を卒業したばかりの女性でした。白(ぺい)族という民族が古くから住んでいるそうで、ピザのような食べ物が「ババ」という名前だったと思います。焼き方が上下に焼けている炭がいっぱい入った入れ物で暖めるのですね。当然、いまなお木は重要な燃料なのでしょう。

 

この話をしていると本題に入れないので、この程度にしますが、喜州と紀州になにか縁がありそうな気がしています。ジャポニカも雲南省が発祥地で、それが日本に伝来してきたとか。

 

だいたい紀州という名前、どこからつけられたのでしょう。紀の臣が軍事的にも文化的にも大和政権発祥当時、有力部族とか、大王の一人だったとかの話もありますが、紀家が紀州とどのような縁があるのか、これまた諸説あるようですが、平群など大和あたりの本拠とどう関係するのか、気になります(最近、読んでいないので記憶があいまいですが)。

 

紀の国の名前だとしても、紀州と呼ぶのはなぜでしょう。紀伊が正式名で紀州は俗称とも言われていますが、なぜ紀州というのかはわかりません。中華人民共和国甘粛省にかつて置かれた州の名前として現存したそうですが、古代の紀州とは直接関係しないでしょう。

 

地名の由来は和歌山に来て、いろいろ気になっていますが、ほとんど解明できないまま、いつかひもといてみたいと思っています。

 

関係のない前置きが長くなったついでに、4月の番組編成で、報道2001の須田キャスター、プライムニュースの反町キャスターが退任されたのは、残念です。4月になってだいぶ変わったようですが、ま、これも仕方がないと思わないといけませんね。

 

で、本題は、NHKBS1の国際ニュースの一コマです。

 

フランスの国際報道でした。たしかどこかの山間地のようなところ、ただ散策用の階段があり、その脇で人が倒れていた人が、すぐに救急連絡をしたのです。救急隊が倒れている男性を平坦な場所に運んだところ、心肺停止になったのです。病院まではかなり離れた位置にあったようです。

 

それから救急隊、次に医師が5時間にわたって心臓マッサージを施行したのです。私自身、指導を受けたことがありますが、実際にマッサージをしたのは見たことがありません。5時間も継続するなんてことは大変なことでしょう。

 

それに一般に心肺停止で蘇生術を施しても、蘇生する可能性は時間が経過すればどんどん低くなるのはよくいわれることですね。私がAEDを使って学んだときもそんな長時間を想定している話ではかったと思います。

 

ところが、このフランスでの心臓マッサージでは病院に移送し、5時間後に無事、蘇生に成功し、後遺症もなかったというのです。

 

どうしてという疑問が起きますが、それは低体温症だったことが幸いしたようです。発見当時、たしか体温が22度でしたか。心臓も含めいわば休眠状態になっているのですね。ある意味仮死状態に近いのでしょうか。

 

その低体温状態から、救急設備のある病院では、体を温めて体温を元に戻し、そこで心臓マッサージを施行したようです。私もニュース報道を見ながら、すごいなと思って、何時間後に思い出しながら書いていますので、正確でないかもしれません。

 

低体温状態では心臓も止まっているのであれば、心臓マッサージも意味がない?わけでしょうから、その間は安静にして、移送することに重点がおかれたかもしれません。低体温状態に人工的にして手術するやり方は従来からありますので、体温管理を含め適切なバイタルチェックがなされていれば、5時間後の蘇生も不思議ではないのでしょうか。

 

この点について、医学的なコメントなり解説があるといいのですが。ニュースで期待できないので、どこかのTV番組とか新聞で取り上げないでしょうかね。

 

心肺停止に関する基本的知識は<心肺停止とは?原因、蘇生確率、後遺症、「心停止」「死亡」との違い 蘇生方法や「心停止後症候群」も解説>がわかりやすく説明しているので、興味のある方は参考にしてください。

 

ともかく人間の体の不思議と、救急・医療チームの活躍には頭が下がる思いです。そういえば、土俵上で倒れた舞鶴市長に心臓マッサージなど施行したり、協力しようとかけつけた女性陣(看護師のようですね)に、場内にいた観客でしょうか異議を述べる感覚もどうかと思いますが、それを真に受けて、女性は土俵に上がらないでくださいなんてアナウンスする感覚、これは相撲界全体でもう一度考え直してもらいたいです。

 

西宮市の女性市長が女性も土俵上で挨拶をという言い分も、わからないではありませんね。それは男女の差別だけでなく、相撲界にある上下関係、指導のあり方、親方と弟子の関係も含めて、伝統文化の維持とどう折り合い、調整できるか、本格的な議論を期待したいと思います。

 

ついでに脱線すると、レスリング協会のパワハラなどの問題は、文化や伝統、あるいは宗教の世界など、これまでタブー視してきた各分野で検討されないといけないことかと思います。労働という言い方が適切かどうかはありますが、たとえば宗教法人では、あるお寺の住職が本山などの寺で勤務僧として給料をもらって職員として働いています。そのような労働環境が現実に存在するとき、いままで見えないベールに包まれていた労働条件の適切さやパワハラ、性差の問題など、近代合理主義という光を入れて、検討する時代ではないかと思うのです。

 

どんどん脱線して脈略がなくりましたので、このへんでこのテーマは終わります。


寺社の規律と独立 <宗教界 介入の影に警戒・・・教義提供で>と<3億円詐欺で共犯に問われた住職と檀家総代が法廷バトル>を読みながら

2018-04-06 | 宗教とは 神社・寺・教会 信仰

180406 寺社の規律と独立 <宗教界 介入の影に警戒・・・教義提供で>と<3億円詐欺で共犯に問われた住職と檀家総代が法廷バトル>を読みながら

 

寺社は、日本人のみならず外国人にも人気のスポットになっていますね。ある放送で、外国人に説明する中で、神社で言えば鳥居、寺でいえば山門(大門)が世俗と清浄な空間を仕切る結界といった趣旨の解説があり、そこをくぐる前にそれぞれ礼をを尽くすとともに、そこから一歩入ると、浄界に入っていくことになり、それに応じた備えとしきたりがあるというのです。玉砂利もそうでしょう。

 

そういった仕組みというか仕掛けというか、社寺がもつ雰囲気を醸しだし、実際、心ある人は次第に浄化されていくのでしょうね。しかし、そういった神社仏閣も人間が営むわけですから、人間の中にはなかなか世俗の汚れを払いきれない人も少なくないですね。

 

今日の産経ウェブ記事<3億円詐欺で共犯に問われた住職と檀家総代が法廷バトル…「信じたのが間違い」VS「利用された」>は、以前、このブログでも少し取り上げた松山市の黄檗宗の寺院「安城寺」を舞台に黄檗宗大本山「萬福寺」まで巻き込んだ事件で、共犯者とされた両者が法廷でバトルを演じているようです。

 

共犯事件では、よくあるパターンで、仲間割れというか、どちらがだました、だまされたという話でしょうか。

<寺の住職と檀家(だんか)総代。二人三脚で数億円を集金したとされる男2人は、公判では手のひらを返すように真っ向から対立している。黄檗(おうばく)宗寺院「安城寺」(松山市)の土地・建物を担保に1億5千万円の融資を受けた不動産会社に損害を与えたなどとして、背任や詐欺罪などに問われた住職、片井徳久(57)と檀家総代の宇都宮貞史(42)両被告の裁判。>

 

<2人はそれぞれ「宗教家であることを宇都宮被告に利用された」「住職(片井被告)を信じたのが間違いだった」と主張している。寺を舞台にした巨額詐欺事件の真相は何だったのか。審理は佳境を迎えている。>

 

詳細は記事をご覧ください。私がこの件を取り上げたのは、寺の不動産を担保提供すること自体、宗教法人法のルールが無視されている印象を持ったからです。宗教法人法上、23条の財産処分の一つに当たり、公告をはじめ厳格な手続きが必要ですし、別に定める規則で責任役員の決定事項とされたり、総代会への報告事項とされたりして、一定の民主的コントロールのような世俗の原理を用意していますが、はたしてこのような手続きが厳格に運用されていたか疑問です。

 

宗教法人法は、一方で宗教団体や構成員の信仰の自由を尊重しつつ、世俗的な民主的合理的な管理ルールを定めていますが、実際の寺社などでこのルールを厳格に遵守しているところは多くない印象です。むろん一般企業が企業法務をしっかり遵守しているかというと、大企業ですら問題があるわけですから、宗教法人だけを責めるわけにはいかないかもしれません。

 

とはいえ、オウム真理教事件を含め、さまざまな宗教団体による問題行動が起こってきたため、その都度、一定の法規制がされてきましたが、その法規制が遵守されているか監督行政において生ぬるい印象を感じています。それが直ちにこの詐欺・背任事件に結びつくとはいえませんが、温床になりうるとは思うのです。

 

さてもう一つの裁判に関係すると見られる?話題が先日の毎日記事です。<宗教界介入の影に警戒 国補助研究、教義提供で 京都仏教会が反対決議>とのタイトルで、

<国の宗教法人審議会元会長で憲法学者の大石眞・京都大名誉教授らによる「国法と宗教法人の自治」をテーマにした研究が、宗教界に波紋を広げている。>というのです。

 

それは<研究グループは宗教団体に教義や規則など内部文書の提供を求めた>ことが原因です。そうですね、教義は一般には公開されていませんね。私は仕事上、いくつかの宗派の教義を知っていますが、難解で、それを現代の規範に当てはめるといった作業というか、解釈は必要でしょうね。

 

もう一つの規則は、宗教法人法で規定している規則でしたら、所轄官庁の認証対象ですから、行政はすべて当然保持していますが、国の補助を得た機関であっても提供の対象にはならないのでしょうね。ただ、同法で認証を受ける規則にはあまり信仰の教義に関係するような内容は含まれていないように思います。これを研究対象として利用できることくらいは寛容であってもよいと思うのですが、どうでしょう。

 

<国の補助金を受け、宗教行政を所管する文化庁宗務課の職員も加わるなどしていたためだ。宗派を超えた京都の寺院でつくる京都仏教会が「国家権力が介入する道を開く」と反対を決議する事態になっている。【宮川佐知子】>ということですが、たしかに教義まで求めるとなると、その機関の中立性・独立性の担保が必要でしょうね。

 

ただ、記事を読むと提出を求めたのは<自治権行使の現状を調べるとして、宗教法人・団体の「規則集一式」の提供を求める内容だった。>ということで、その規則集の中には、宗教法人法が求めているもの以外も含まれているのでしょう。

 

その提出を求める合理的な理由・必要性があるかも検討されるべきでしょう。

<研究に関する資料では、研究の背景について「オウム事件以後、宗教法人法改正で宗教法人への国法(国の法令)の関与が強まり、自治権と運営の適正確保の要請との調整が重要な問題になった」と説明。その上で「どのように調整すべきかは、宗教法人・団体の自治規範の具体的内容を理解しなければ検討できない」としている。>

 

趣旨は抽象的にはわかりますが、<自治権と運営の適正確保の要請との調整>ということであれば、そのような目的に絞った規則に限定して提出を求めるべきではないかと思うのです。教義に関わるような内容は除外するとか、宗教法人において任意に選別できるとかを明示すべきでしょうね。

 

<大石氏は「学術研究目的で、私には何の公権力もない。協力できない宗教法人には強制しておらず、説明にも応じている」と話している。>とのことですが、宗教法人としては過去の糾弾された、強制された歴史がありますから、より丁寧なアプローチがあってもよかったのではと思うのです。

 

また、<大石氏は宗教と法令の「調整」が課題になる一例として、日本カトリック司教協議会が「公職受諾を禁じる教会法に抵触する」として聖職者の裁判員辞退を最高裁に申し入れた例などを挙げている。>ことを取り上げているようですが、そのことから、教義自体の提出を求める根拠としてはいかがかと思うのです。

 

その点では<島薗教授は「教団の規範が宗教の社会性にどう影響しているかは興味深いが、さまざまな当事者の立場を考慮して理解を得ることが大切だ」とし、調査方法などの見直しを求める。>という意見に賛同します。

 

ただ、認証規則については、基本、世俗のルールに類するものに近いといえますし、それがきちんと実態に合った形で規則の変更などが行われていなかったり、規則通りに管理が行われていないところもあるのが実情ではないかと思います。そのような実態把握こそ、むしろ必要ではないでしょうか。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


日報と外付けHD <陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制>などを読みながら

2018-04-06 | 知る権利・プライバシー保護と情報収集・管理の適正化

180406 日報と外付けHD <陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制>などを読みながら

 

今朝も田中陽希さんのグレートラバース、大台ヶ原、伊吹山、荒島岳を見ました。彼は行動計画をしっかりと立てながらも、好奇心旺盛な若者らしく彦根城を訪ねたり、小谷城跡に立ち寄ったりと見ているフォロアーを楽しませてくれます。アクシデントもリアルです。舗装道路を長距離で走り歩いて、ついに足に痛みが走り動けなくなったときも、道路脇に座り込みマッサージしたりして、痛みの緩和をはかります。彼一人ではありません。助け人が現れます。彼の計画を知った地元の人がフルーツを持ってきて、苦しんでいる彼に話しかけフルーツを食べさせます。そういったことの一端もまた、彼は日誌に書き込むのでしょう。

 

世界で最も熾烈で厳しいレースといってもよい、アドベンチャーレースに参加する田中さんは、そういった経験を日誌に残すことにより、自然の変化、自分の能力や事故対応などを書いて、今後の参考にしているのではないでしょうか。

 

日誌なり、日報は、危険に対峙するとききわめて大切です。いや、日常業務においても必須でしょう。少し飛びますが、維新後日本で生まれたさまざまな企業があっという間に世界水準に到達できたのは、その要因の一つとして、江戸時代に活躍した商人の商業帳簿ではなかったかと思うのです。これはむろん手書きですが、克明に日々の業務内容、仕入れ、販売、保管などを記載してきたのだと思います。訂正するときもその訂正後が残るようにしてきたのだと思います。

 

この商業帳簿の証明力は、現在の裁判においても高い信憑性を持っています。それが渋沢栄一が常に大事にした、商いは信用を基本にするという、基盤になるものでしょう。それがなければ言葉だけです。日々の行いを克明に記録に残す、後から振り返って、その良し悪しを検討できますし、判断した責任の所在も明確になるでしょう。近代合理主義は、江戸時代にすでに芽生えていたか、ほぼ確立していたかもしれません。

 

武士社会においても、現在も残る日誌は、それに匹敵するものといえるでしょうし、農業社会における多くの農書に書かれた内容もまた、記録を残して、未来の世代の参考に供することを大事にしていました。

 

さて翻って、戦前の軍部が統帥権を標榜して、上層部の机上の空論にたって、それに反するような真正な日報を兵隊に書かさず、虚構の事実を報道させてきた事実は、文民統制の徹底をはかった日本国憲法下で、どの程度実現しているのか、最近の状況は懸念することばかりです。

 

事実の詳細は、新聞やTV放送、あるいはネット情報で、フォローすれば、私が適当なニュースのピックアップをするより、有効でしょう。

 

ただ、私がそういったニュースを見ていて気になったのは、指示系統の曖昧さと外付けハードディスクのことです。

 

クローズアップ2018陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制 緩い指示、緩い調査>では、前者については指摘されているかと思います。

 

<陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が、防衛相が捜すよう指示したにもかかわらず、発見から1年以上も報告されていなかった問題で、防衛省・自衛隊は5日も厳しい批判にさらされた。陸上自衛隊研究本部(現在の教育訓練研究本部)で見つかった日報の存在が、なぜ報告されなかったのか疑惑は深まるばかり。>

 

国会答弁とその後の指示について、防衛省・陸自内の受け止め方に大きな齟齬が感じられます。

<防衛省にイラクの日報について最初の問い合わせがあったのは昨年2月16日。「廃棄した」はずの南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報が統合幕僚監部で見つかった問題が国会で取り上げられる中、野党議員からイラク派遣時の日報についての資料請求があった。回答期限は「当日中」で、部隊運用に関する国会答弁を担当する背広組の統幕参事官が陸上幕僚監部などの運用担当課に照会した。各課ですぐに見つからず、「不存在」と回答した。稲田氏も同20日の衆院予算委で「残っていないことを確認した」と答弁した。

 

回答期限を当日中に求めたこと自体、どのような意図だったか疑問を感じます。むろん答弁側も、当日中の調査でわかるものが限られていることは明瞭であり、それに応じた回答をすべきなのに、断言したのはきわめて疑問です。

 

その後に再び稲田大臣の指示がありますが、不明確な内容であり、これでは全体を統率する内容になっていません。

 

で。こういった大臣指示の内容、背広組と制服組の意識の齟齬、さらには末端までの指揮系統がおざなりになっている点は、大いに検証して、再発防止を図ってもらいたいと思うのです。

 

で、長々と前置きを書きましたが、私が取り上げたいのは日報そのもののあり方と外付けハードディスクの問題です。

 

わたしが外付けHDを使うようになったのは20年以上前で、たしか1ギガバイトくらいしかなかったと思います。それを2個とか3個連結して使っていましたか。それでもせいぜい3ギガバイトですね。当時はそれでも大変な容量と思っていました。

 

でも現在は外付けHDでも2テラバイトとか3テラバイトで、しかも当時の大きさの3分の1とか、それに重さを感じない軽さですね。とても便利です。でもこれが問題ではにですね。

 

要は、日報をはじめ原票、原資料は大切ですから、万が一に備えて、スキャナーなり、あるいはタイピングないし音声入力で、PCのハードディスクに保存するか、直ちに中央本部にデータ送信されるのではないかと思います。そして同時に、安全のために外付けHDなり、外部にもデータが何重にも保存されているのが本来ではないでしょうか。

 

他方で、この外付けHDが直ちに明らかにされなかった点に問題があるように思うのです。だれがどのような場合に作成しだれが保管し、それをどのような場合に利用できるかが適切にルール化されていない印象を受けるのです。そんなことでは情報管理がずさんと言われても仕方がないと思うのです。

 

さて、日報の存在を確認すると言うことは、最低限、そこまで調べることがなされないと意味がないと思うのです。それは大臣たるものそのようなチェックを徹底していたのか気になります。もし日報の存在を明らかにしたくないという潜在的な意識が大臣、内閣の中で、隠れた意図として存在していたとすると、大臣以下の担当者の中にそのような忖度が働いてもおかしくはないように思うのです。限定解釈といったことがまかり通るということです。それは大臣自身がそのような徹底指示をしていなかったことの結果でもあるでしょう。

 

では日報は、早期に廃棄されないといけないものでしょうか。先に商業帳簿を含め業務日誌は克明に記録して長期にわたって保存すべきと書きましたが、まさに日報もそのような重要な意味をもっていると思うのです。

 

それは隊員一人一人、あるいはその部隊全員の活動に関係するわけですから、今後の活動にもさまざまな検証対象となるわけで、それを簡単に廃棄するようなことがあっていいはずがないと思います。

 

また、あまり日報の記載内容について言及したものを見たことがないので、的確なことをいえるわけではありませんが、日報の記載内容もまた、多くの検証にさらされるだけの必要な記載事項とし、またデータ化が容易なように、工夫改善されるべきでしょう。

 

いま隠蔽云々が問題になっていますが、それは誰から誰への指示、それをどう受け止めたかをきちんと明確にして解明してもらいたいと思います。他方で、今述べた日報のあり方と外付けHDのあり方もこんごの取り扱いとして検討してもらいたいものです。


うんち・おしっこ活用!? <災害時に困ること、トイレはどこかの不安>と<排便はゴミ>という考えを問い直してみる

2018-04-05 | 人の生と死、生き方

180405 うんち・おしっこ活用!? <災害時に困ること、トイレはどこかの不安>と<排便はゴミ>という考えを問い直してみる

 

今日の午後、予約のあった相談案件がキャンセルになり、のんびりとしていたら、友人から電話がかかってきました。あの、うんこ論の彼だったのです。彼の話を1時間余りおつきあいしました。わたしも物好きなのだと自分でおもってしまいます。とはいえ彼の考え方や体験的な取り組みはユニークで面白いのです。出版する話だったのですが、まだ停滞しているようです。

 

彼の話に触発されて、今日のお題は見出しのような変わり種になりました。江戸時代(それ以前もあったと思いますが)から戦後ある時期まで長く使われてきた糞尿の歴史、その内実はよくわかりません。私が小さい頃、少し町を離れて田んぼに行けば、肥溜めがどこにでもあり、落ちないように簡易な屋根みたいなものもあったように記憶しています。

 

とりあえずいくつかのウェブサイトで情報を入手して、簡潔に整理してみようかと思います。

 

まずはお医者さんの話から。

排泄の科学食べた後は・・・排泄のしくみ

これは札幌医科大学医学部生理学第一講座教授富瀬規継氏から聞き取った内容ですので、正確な医学的知見に基づく内容かと思われます。

 

<小便と大便について・・・おしっこは細胞から出されたゴミを水に溶かして捨てるもので起源は血液であるのに対し、うんちはからだの中に入らなかったものが外に出たものなのです。>と一般向けに優しい言葉で解説されています。

 

ところで、人の体は、血液内にある人間に役に立つモノとそうでないモノ(こういう区別は正確な引用ではありませんが)とを選別する機能を腎臓に委ねているとのことです。

 

ですから腎臓はよく言われるように大変な活動を日々刻々とやっているわけですね。数字で表すと次のようです。

<腎臓に入ってくる血液の量は、一分間に約1・3になります。心臓が送り出す血液量は1分間に約5ですから、かなりの血液が腎臓に流れ込んでいます。そのうち、糸球体で濾過される原尿は左右の腎臓を合わせて1分間に125mlで、腎臓に入ってくる血液量の約10%です。これだけの量の原尿が作られないと血液からゴミを除去することができないのです。1分間に125mlですから、一日に換算すると180程度になります。>

 

原尿をすべて排泄すると一変で水不足になりますね。そこで強力な水分回収システムが働くのだそうです。

<原尿から水分を回収するというしくみ>です。<このときの水分の回収率は約99%と非常に高率ですので、実際の尿量は一日で15〜1・8ℓ程度になります。>結局、ほとんどの水分が体内に残るわけですね。

 

ところで、このおしっことして排泄されるのは、ゴミや細胞の残骸などと書かれていますが、実は<実は無菌状態で清潔なのです。>これは医学的にはずいぶん前に確立していたようですが、どうも合併浄化槽や公共下水道の普及が宣伝される中で、汚いモノといった意識が知らぬ間に意識化されたように思うのです。

 

では、うんちはどうでしょう。そのできあがり具合は次のような解説を参照ください。

<うんちの原型は、小腸の中で栄養素を十分に吸収し終わったころにできています。・・・この段階では水分はたっぷりと含まれていますが、これは、栄養素は水に溶けている方が効率よく小腸で吸収できるからです。

・・・大腸では、からだの水分を保持するために水分を回収し、うんちはだんだん固形化していきます。とはいっても、標準的なうんちの状態での水分含有率は約75%で、意外と水分量は多いのです。・・・うんちの固形成分のうち大部分を占めているのは、小腸で吸収されなかった食べ物の残りですが、その中でも重要なのは食物繊維です。代表的な食物繊維としては、セルロースがあります。・・・セルロースは栄養素としてからだに取り入れることができず、からだの外にうんちとして出て行くのです。・・・余分な脂肪分や毒性物質を絡めとってうんちと一緒に排泄したり、腸の古くなった細胞の死骸、つまり腸粘膜の垢をふき取る効果もあると考えられています。さらに、食物繊維は腸内にいる腸内細菌の栄養分になることもわかっています。>

 

ではうんちは有害なモノなのでしょうか。

ここでウィキペディアの<>の知恵を借りたいと思います。

 

<人糞を肥料として用いたことが確認される最初の例は、鎌倉時代の日本とも言われる[4]。これ以降、都市部の人糞を農家が回収するシステムが生まれ、日本の都市は世界的にみて、清潔なものとなったと言う。>

 

そして<肥料として用いる人糞は、そのまま使うと作物が根腐れするため、たいていは肥溜めに溜めて発酵させて利用する。>そうなんですね。そのまま食する?ことはできないでしょうけど、肥料としては有効利用の歴史は長いですね。

 

また薬効もあるようです。

<古来、糞は中医薬や漢方薬のための生薬として利用されてきた。例えば、明代中国で李時珍が編纂した『本草綱目』の巻52「人部」には、「人糞」「虫糞茶」「黄龍湯(zh:黃龍湯)」「糞清」「人中黄」などといった、糞を原料とする中医薬が記されている。>ま、私にはわからない話ですが。

 

その他の活用はウィキペディアに当たっていただければと思います。

 

ただ、大便の保存法に問題ありそうですが、それがうまくいけば、活用方法も生まれるかもしれません。

 

ところで、おしっこの方、無菌で清潔と言われていますが、飲めそうですね。いや、戦時中の話とかでは、実際、水不足の中で飲んだということはよく聞きますね。

 

さらに前向きな話がありました。

尿を飲む健康法① 汚くないのか本当に効くのか>では、

まず汚くないことについて、前述の医師より平易に書かれています。

<尿は腎臓で作られますが、まずは肝臓で毒を取り去られた血液が腎臓に入り、そこで強力なフィルターでろ過されます。ここでろ過されるのは余分な水分、塩分とその時点では余分と見なされた成分です。 ろ過されたもの(原尿)は綺麗な液体になっています。そして、ろ過された液体からは再び必要な成分が吸収され、最終的に残った液体は膀胱へと流れていき、おしっことして出されます。けっして毒物が排泄されているのではなく、無菌状態の液体です。>内容は同じですが、わかりやすいですね。

 

病気の治療効果までいうわけですから<中身の有効成分は>と解説されています。

まず尿素が効果があるようです。

<尿の主成分である「尿素」には抗菌性、抗ウイルス効果に極めて優れており、細菌による膀胱炎や腎炎などの炎症にも、また、エイズ、狂犬病、ポリオ、結核などの感染症にも尿素による改善がみられます。

昔から傷口にはおしっこをかければ良い、などと言われますが、天然の抗菌、抗ウイルス作用があるので、けっして迷信ではないのです。

尿素は薬を作るのにも利用されています。良く知られているのは保湿クリームです。

オイルと違って、皮膚の保湿能力そのものを高めます。>

 

酵素も効果があるとか。

<また、尿に含まれる「ウロキナーゼ」という酵素も薬に使われています。ウロキナーゼは血栓を溶かす酵素で、心臓病の薬として役立っています。>

 

抗がん作用まであるとか

<尿には癌を治すために免疫力を高める栄養素、酵素、ホルモン、抗菌物質なども多数含まれていますし、以下のような抗癌作用のある物質も発見されています。>

以下は省略します。

 

ともかく小便・大便、いずれも捨ててなるモノかと思ってしまいます。以上に書かれている医療効果的な内容は私にはわかりません。ただ、おしっこは無菌で清潔なもの、うんちは肥料効果が高いことは、間違いないでしょうね。

 

さて最後になりましたが、災害時にまずは命を守ることが第一ですが、次は避難先でのトイレの心配です。そんなとき排泄に苦労しないですむといいのですが、その前提として小便・大便に対する意識を改めることも必要かなとふと思って書いてみました。まだ解決策があるわけではありませんが、将来だれかの新たな発案を期待したいと思うのです。

 

これで一時間弱となりました。ま、今後の勉強の一里塚でしょうか。本日はおしまい。また明日。