紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

非日常の口

2006-11-15 21:08:59 | 読書
 穏やかな平凡な日常の中に、ぽっかり空いた「非日常の口」。「誰がそんなとこ気がつくねん!?」と突っ込みたくなるような日常の非凡な亀裂を、単行本の2~3頁に掬いあげる鮮やかな手腕と手さばきを目前にし、久々に「発見!」のヨロコビにわくわくする。

 アーサー・ビナードさんの『日々の非常口』(朝日新聞社/刊)である。ドライでクールで新しい視点の発見に満ち満ちている。しかも「へええ、そうだったの!」という知識の泉でもある。おまけにウィットやユーモアやぴりっとシニカルな批判精神もある。

 「へええ」に関してなら、たとえばコウモリは「夜な夜な100匹単位で蚊を食ってくれる」とか、マグネットで車に付いている「若葉マーク」は頻繁に道端(に捨てられているのか落ちているのかを)で見つけられるが「紅葉マーク」に遭遇するのは、千載一遇だとか。

 日本人の子ども達が外国人を見れば必ず「ハロー!」と声をかけるように、アメリカの子ども達はジャパニーズを見かければ”Aso!"(「あ、そう」)を連発するだろうとか。「昭和天皇の口癖から始まった流行語が、進駐軍の間でも多いに流行り、アメリカへ持ち帰られた」というのである。そんなこと、ほんと初めて知ったよ。

 聖書がミスプリントの宝庫だというのも話も面白かったが、その英語の聖書のテキストである古代ギリシア語の話がまた、非常に興味をそそられた。「千数百年前のギリシア語というのは、まったくスペースをあけず、句読点も一切打たず、章立てさえない状態で文字がズルズルと続く。末メがそれをどこで切るかによって、まるっきり意味が違って来る」・・・おんなじような話を高校の古文の時間に聞いた事があるぞ。

 文法はさっぱりだったが、古文の授業はめりはりがあり、平安時代のトリビアも飛び出し、エンターテイメントな授業だったので、かなりちゃんと聴いていたのだ。
 「源氏物語」である。これも句読点がなくズルズル続いている、という話を「十二単は一枚一枚は色付きシースルーな生地だったので、とてもセクシーな衣装だった」とか「ホトトギスの初鳴きを聴きそびれるのは、貴族にとってこの上なく無粋で恥ずかしい事だった」とかいう話と同様、好奇心いっぱいになりながら真剣に聴いた。30年後にも授業の話を覚えているなんて、そんな先生はめったにいない。大変ラッキーな出会いだったのだ。

 わあ、どこの国も書き言葉の成り立ちは一緒なんだ、とかなり興奮した。古代ギリシア語の聖書のテキストと平安文学に接点があるなんて!
 古文の話が、アメリカ人の手による日本語のエッセイで立ち現れるとは非常に珍奇な現象だが、これも何かのご縁であろう。

 アーサー・ビナードさんの文章が素晴らしいのはもちろんだが、装丁、イラスト、すべてにおいて、ベストマッチな本でもある。ちょっとあまりないテイストなので、普通の文章が読み飽きた、という方にも、ぜひお勧めしたい逸品である。

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