6年生のKちゃんが「まだ学校では習ってないけど、試験に出るかもしれへんらしいから、『順列』の解き方を教えて」とねだって来た。
自慢じゃないが、算数は苦手である。しかも持って来た問題集と言えば学校から借りて来た『中学受験/入試直前2週間完全マスター』みたいな、いかにも難関中学受験しそうな子が、小手調べですいすい解きそうな問題集じゃないですか!
ここで「よっしゃ」と田中角栄のように安請け合いしちゃうのが、私の弱みでもあり、強みでもある。しかも朝の6時半という非常に危機的な時間でもある。
幸い寝起きはいいので、頭はすっきりしている。だから問題を読んだ時点で、この問題は私にはとうてい歯が立たない事が即座にわかった。問題には、はなからギブアップだが、しかし教えるのはギブアップしたくない、という悪あがきをするのが私である。
「はい、『答え』はどこ?」と別冊の解答を促し、解答欄にある式より、解き方を考えてみる。「ふんふん、これは、こうなるから、こっちに除けて、先にメインの計算をして、あとからこれを足して」と、私の理解過程を声に出し、現在進行形でKちゃんに教えるという大胆な手段に打って出た。
その日から2日ばかり「順列」にはまった。彼女の友達のHちゃんが、塾で習った順列の問題をクイズ感覚で、メールで送ってくれたのだ。Kちゃんが私を呼び、暗号のような数字の列の規則を召還すべく、二人でひたすら数字を見つめる。
0、1、3、6、10、15、21、28、36、□、55
数分後、増えてゆく数字の規則を発見した私は、大得意でKちゃんに説明する。
「わかったでー! 順番に1、2、3って数字を足していくんや!」
つまり
0、(0+1=)1、(1+2=)3、(3+3=)6、
(6+4=)10・・・□=(36+9=)45になる。
その後、もう一つ順列の問題が送られて来たが、それはさっきのよりずっと易しかったので、お茶の子さいさいだった。
まさか40も半ばで算数の問題がすらすら解けるようになったとは。感激である。年を取る程、脳力は衰えるものと思っていたが、とんだうれしい誤解だったのだ。
現役の小学生や中学生のときの私には、とうてい歯のたちようがなかった算数の問題。その頃にはまさか40も半ばの私が、すらすら算数の問題を解いているなど、だれが想像するだろうか。自分自身でさえも、しないと断言する。
まったく、人生ってやつは! 予測不能な起伏と、不思議な偶然に満ちた人生の妙味は、途中下車することなく歩き続けたからこそ味わえるのである。20代の半ばには、想像すらつかなかった自分が、今ここにいることが、可笑しく、そしてくすぐったいような気持になる。予想不可能な10年後の自分を、「敬意」を持って目指したいと思う。
自慢じゃないが、算数は苦手である。しかも持って来た問題集と言えば学校から借りて来た『中学受験/入試直前2週間完全マスター』みたいな、いかにも難関中学受験しそうな子が、小手調べですいすい解きそうな問題集じゃないですか!
ここで「よっしゃ」と田中角栄のように安請け合いしちゃうのが、私の弱みでもあり、強みでもある。しかも朝の6時半という非常に危機的な時間でもある。
幸い寝起きはいいので、頭はすっきりしている。だから問題を読んだ時点で、この問題は私にはとうてい歯が立たない事が即座にわかった。問題には、はなからギブアップだが、しかし教えるのはギブアップしたくない、という悪あがきをするのが私である。
「はい、『答え』はどこ?」と別冊の解答を促し、解答欄にある式より、解き方を考えてみる。「ふんふん、これは、こうなるから、こっちに除けて、先にメインの計算をして、あとからこれを足して」と、私の理解過程を声に出し、現在進行形でKちゃんに教えるという大胆な手段に打って出た。
その日から2日ばかり「順列」にはまった。彼女の友達のHちゃんが、塾で習った順列の問題をクイズ感覚で、メールで送ってくれたのだ。Kちゃんが私を呼び、暗号のような数字の列の規則を召還すべく、二人でひたすら数字を見つめる。
0、1、3、6、10、15、21、28、36、□、55
数分後、増えてゆく数字の規則を発見した私は、大得意でKちゃんに説明する。
「わかったでー! 順番に1、2、3って数字を足していくんや!」
つまり
0、(0+1=)1、(1+2=)3、(3+3=)6、
(6+4=)10・・・□=(36+9=)45になる。
その後、もう一つ順列の問題が送られて来たが、それはさっきのよりずっと易しかったので、お茶の子さいさいだった。
まさか40も半ばで算数の問題がすらすら解けるようになったとは。感激である。年を取る程、脳力は衰えるものと思っていたが、とんだうれしい誤解だったのだ。
現役の小学生や中学生のときの私には、とうてい歯のたちようがなかった算数の問題。その頃にはまさか40も半ばの私が、すらすら算数の問題を解いているなど、だれが想像するだろうか。自分自身でさえも、しないと断言する。
まったく、人生ってやつは! 予測不能な起伏と、不思議な偶然に満ちた人生の妙味は、途中下車することなく歩き続けたからこそ味わえるのである。20代の半ばには、想像すらつかなかった自分が、今ここにいることが、可笑しく、そしてくすぐったいような気持になる。予想不可能な10年後の自分を、「敬意」を持って目指したいと思う。
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