紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

いつも猫が

2008-09-11 00:11:45 | 70’s
 実家には、いつも猫がいた。いや過去形でなく、正確には今も何匹かうろついている。

 ほぼ野良猫状態で、エサだけ食べに来るという猫たちである。唯一私が下校途中に連れ帰った犬(ちん)がいたときには、犬におそれをなして依り付かなかった。

 いつもいたので、猫が好きかどうかはよくわからない。わざわざ飼おうとは思わないが、猫が思わず聞き耳を立てるほど、猫の鳴きまねは上手いと思う。猫が「あれ!?」という顔をするのが、めっぽう面白い。

 でも猫を観察するのは好きだった。実家は30段の石段を上った山の途中??にあり、小さな釣り鐘堂からの見晴らしは絶景で、田んぼとあぜ道と堤防の木々をうっとりと眺めた。
 猫たちも柔らかな土の入っている釣り鐘堂はお気に入りのようで、ときどき目を細め、深い思索に浸りながら、高見より景色を眺めていた。たまにそんな猫の思索にもおかまいなしに、母が定時の鐘を撞き、猫を驚愕させることもあった。文字通り飛び上がって、全速力で駆けて行ったらしい。

 そんなことを思い出したのは、昨日地元の図書館に行って、雑誌の閲覧をしたからである。『広告批評』で橋本治さんの時事評論(「秋葉原事件」についての私見)を読み、『野生時代』で池上永一(『テンペスト』の)特集をしていたので、つい手に取る。単なる職業的な好奇心だったのだが、大島去q原作の『グーグーだって猫である』を犬童監督の脚本化したものを秋本尚美さんが再度漫画化する、という作品があったので、なにげなく読んでみる。若き図書館スタッフが気にしていた映画だったから。

 連載されていたものだったので、私が読んだのは一部分、それも最終回だった。

 前の話はほとんど判らず、登場人物の相関関係もほぼ見えず、それなのにトン単位のカタマリで感動が降って来た。何年ぶりの大島去qショックであろうか。この類いの巨大な感動は、大島去q先生ならでは。Kちゃんを生む前に病室で『つるばらつるばら』を読んで、えらく感動したのが最後だから、もう14年経つんだな。こういうことが描けるのは、大島去q先生だからこそなんだな。

 誰も言わない(言えない!)ような「人生の本質」をどかんと差し出してくださるのだ。でもそれは透明なので見ることは出来ない。ただ感じるだけ。言葉になんか変換出来ない。そんなことをしたら、「あの素晴らしい何か」はだいなしである。
 もちろん描いている漫画家さんは秋本尚美さんなんだけど、あのエッセンスは大島去q先生のものに間違いない。

 もうほとんど半泣きで『野生時代』は漫画の部分だけ閲覧し、池上永一さんどころではなく、その余韻を抱きしめて帰宅した。

 で、さっきwebで『野生時代』を検索したら、次号(9月12日発売)はまさに『グーグーだって猫である』特集であることが判明した! 明日は本屋さんへ直行だ! 映画館にも上映されているうちに行かなくては。忙しいぞ、私!

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