紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

師走とブログ

2006-12-27 23:24:03 | ノンジャンル
 今日の午後は、年末スーパーの混雑をなるべくパスしたいので、さっさと正月準備の食材を買いに出かけた。スーパーの景色はすっかり年末色。お正月の花が売られ、葉蜜柑やお餅やしめ縄が山積みで、高級ハムや焼豚がスーパーの冷蔵庫を占拠していた。数の子の箱がずらりと並び、金時人参やクワイや芹が出て来ている。かまぼこやテリーヌが燦然と光を放ち、スーパーの一角を独り占め状態である。

 しかし12月も末だというのに、この暖かさは何なんだろう。昨日は土砂降りの雨で、遠くで稲光すら見えた。これほど「温暖化」を顕著に感じるなんて。違う意味で肌寒さを感じてしまう。

 Kちゃんはせっかく信州でスキーなのに、どうしているのか気にかかる。ちゃんと雪はあるのだろうか。彼女が家にいないと、実に静かである。うっかりのんびりしてしまいそうだが、そうは問屋がおろさないとばかりに、年末の用事以外にも次々と仕事が舞い込む。

 昔アメリカで「アンクル・トムの小屋」を書いたストウ夫人は、自分がこの手紙を数行書く間に、様々な家事仕事で呼ばれ、何度も席を立たないといけなかった、と知人に手紙の中でこぼしていたっけ。それを読んだのは子どもの頃だったから、へええ~そうなの?と驚いただけだったが、今にして思い出せば、彼女と手を取り合って深く同感の意を表したい。わかるわ!よ~~く、わかる!

 あちこちから家族に呼ばれたり、簡単な仕事をお願いされたり、お使いを頼まれたり。そのひとつひとつは、簡単で些細な用事にすぎないんだけど、少しずつ今日の予定していた仕事を圧迫して、どんどん時間がずれ込んでしまう。

 でもそれでも片付いて、結果が見えて、意味があれば満足できる。ときたま空回りしたり、無意味な時間を費やしてしまったりすると、無性に深く疲労してしまう。そしてそれはほぼ間違いなくPC関連の事なのだな。と、いうことが今日判明した。

 ブログを書くときも、いったん書きかけたもののうまく続かなくて「ボツ」にしたり、さんざん下調べしたあげくネタとして「使えないわ~(泣)」ということがある。
しかしブログに関しては、徒労は感じない。

 ほぼ誰にも邪魔されない深夜に、「あと寝るだけ」という状態なので焦りがないし、私の一日の句読点として、生活リズムに位置づいてしまった。「あと洗濯物干してから寝るだけ」というときも、PCの前で座ったまま爆睡!のときもあるが、「ブログを書ける喜び」の前には、何のそのだったりもする。

 お昼過ぎに飲むはずだったコーヒーがそのままに、夕方温め直して台所に立ったままやっと口に出来る、という昨日今日のような日には、なおさら「ブログを書ける喜び」の意味は大きい。

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