紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

秋色濃くなると

2006-10-07 15:13:02 | 季節
 昨日の夕方は強風ながらも、たまさか雲が切れて、見事な銀白色の大きな満月が見られてうれしくなる。キレイなものがみられるというのは、なんにしろ幸せな事だ。

 昨夜の暴風(雨?)は、家ががたがたと揺れるほどに激しくて、しっかり安眠を妨げられてしまった。おかげで今日の眠い事ったら。

 引き続き今日もひどい風とときどき横殴りの雨。日中も肌寒いような気候で、たまにさーっと時雨(しぐ)れる感じは、冬を予感させる秋だ。

 秋を感じると、なぜか谷内六郎が恋しくなる。ぱらぱらと『谷内六郎展覧会 秋』(新潮文庫)を開いてみる。彼の絵には、多くの人が惹き付けられる普遍性と、思いがけない組み合わせの発想の妙があって、時間を忘れてしっかりと見入ってしまう。

 夜のガランとした光溢れるバスや、ぽつんと佇む電話ボックスは、夜に実際車を走らせている時に見つけると、確かにかなり切ないような気分に浸ってしまう。

 彼の絵で、女の子がレースのカーテンを身にまとってウエディングドレスの花嫁気分に浸っているのがあるが、「ああ、あれ、したした!」と忘れ去っていた子どもの頃の記憶が一気に甦って来る。

 でも郷愁だけではない。谷内さんは、じいっと同じ風景、おんなじ物をぼーっと眺めているのが好きな人だったのでは、と思う。ずうーっと眺めているうちに、いろんな空想が頭の中を去来して、目の前に幻想を見る事ができたのかもしれない。

 そして子どもの自分も現在の自分も、同時に現存している希有な人のように思う。
 子ども時代の自分を「思い出す」のではなく、今現在もリアルに自分の中で生きている「まるごと子ども時代の自分」と「おとなの自分」が共存しているようにみえる。

 現代に、はたしてぼーっと何もせず、なんとなく窓の外を眺めているだけの子どもがいたら、どんなにか親はイラつくだろう。それが決して無意味な時間でないことは、そういう経験をした人にしかわからないだろうけど。
 効率と成果が幅をきかせる今の時代に、「谷内六郎」が育つ事はかなり難しいだろう。「谷内六郎」を必要としている人は、大勢いると思うのだけれど。

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