もう30年も前の話である。
高校は上に短大の付いた私立の女子高だった。クラスメイトのほとんどはそのまま上の短大に上がるため、のんびりと楽しい高校生活を送る事ができ、先生達もけっこう自分たちの趣味で??授業を進めていたように思う。
教科書に沿って進むと、あまりに平均点が低いので、独自にムーミンのイラスト入りのプリントを作って授業をおこなってくださった数学の先生。「アニメのムーミンはにせものや~」とむかつきを隠そうともせず、トーベ・ヤンソンのムーミンを忠実に描いておられた。
テストの平均が低くても頓着無く、淡々と授業をすすめたご老体、白衣着用の物理の先生は、なぜか生徒に大人気で、その名も「ピーコちゃん(!)」と名づけられていた。(きっとだれも本名を憶えていないだろう) とくに面白いことをいうわけでもなく、つまらない授業にもかかわらず、「きゃー、ピーコちゃん、かわいー!」となぜかファンが多かった。(私にとってはいまだにナゾ)
家庭科は大学の栄養学のような講義だったが、おっそろしいおばちゃん先生で、授業中はぴーんと空気が張りつめ、しーんと緊張感溢れる静寂の授業時間だった。もっとも、どんなに授業中は恐ろしくても、文化祭などでの先生のパフォーマンスでは、コメディエンヌとしてのエンターティナーぶりを発揮するメリハリのきいた先生でもあったから、人気は高かった。
英語リーダーの先生は、ずいぶんお年なはずなのに、髪を黒く染め、きちんとした出で立ちで英国紳士のようだった。温厚でとてもわかりやすい授業だったが、一度何かの折に「あなたたちの子ども達を、決して戦争に送ることがないように」と決然とおっしゃったことがある。言葉の内容もさることながら、その発語の真剣さや思いの深さが滲み出ていて、おもわず、はっとした。生涯忘れられないような口調が耳に残った。
顔立ちはともかく、アンニュイな雰囲気は太宰治似の現代国語の先生は、近代文学を読む、という課題を提出された。これがなければ、田山花袋の「蒲団」も二葉亭四迷の「浮雲」も夏目漱石の「それから」も読まなかったかも。たんに文学史の文脈で憶えただけだったのでは。
現代国語の授業で森鴎外の「舞姫」に入った時には、クラス中が(もちろんすべて女子)主人公に非難轟々で、「恋人を妊娠させたあげく捨てるなんてサイテー!」と大ブーイングが巻き起こり、とても格調高い文学の香気を味わう!?どころではなかった。それにしても、風紀の点で問題がありそうな女の子の方が、大変な剣幕で怒りをあらわにしていたのはなぜなのか?
いまにして「舞姫」と合わせて島崎藤村の「新生」を読んでおけばよかった、とやや後悔している。そうすれば、斎藤美奈子さんの「妊娠小説」(主人公が恋人を妊娠させる小説群についての評論)をもっと楽しめたかも。(いやしかし「舞姫」を論じた部分だけでも、充分笑かしていただきました♪)
高校は上に短大の付いた私立の女子高だった。クラスメイトのほとんどはそのまま上の短大に上がるため、のんびりと楽しい高校生活を送る事ができ、先生達もけっこう自分たちの趣味で??授業を進めていたように思う。
教科書に沿って進むと、あまりに平均点が低いので、独自にムーミンのイラスト入りのプリントを作って授業をおこなってくださった数学の先生。「アニメのムーミンはにせものや~」とむかつきを隠そうともせず、トーベ・ヤンソンのムーミンを忠実に描いておられた。
テストの平均が低くても頓着無く、淡々と授業をすすめたご老体、白衣着用の物理の先生は、なぜか生徒に大人気で、その名も「ピーコちゃん(!)」と名づけられていた。(きっとだれも本名を憶えていないだろう) とくに面白いことをいうわけでもなく、つまらない授業にもかかわらず、「きゃー、ピーコちゃん、かわいー!」となぜかファンが多かった。(私にとってはいまだにナゾ)
家庭科は大学の栄養学のような講義だったが、おっそろしいおばちゃん先生で、授業中はぴーんと空気が張りつめ、しーんと緊張感溢れる静寂の授業時間だった。もっとも、どんなに授業中は恐ろしくても、文化祭などでの先生のパフォーマンスでは、コメディエンヌとしてのエンターティナーぶりを発揮するメリハリのきいた先生でもあったから、人気は高かった。
英語リーダーの先生は、ずいぶんお年なはずなのに、髪を黒く染め、きちんとした出で立ちで英国紳士のようだった。温厚でとてもわかりやすい授業だったが、一度何かの折に「あなたたちの子ども達を、決して戦争に送ることがないように」と決然とおっしゃったことがある。言葉の内容もさることながら、その発語の真剣さや思いの深さが滲み出ていて、おもわず、はっとした。生涯忘れられないような口調が耳に残った。
顔立ちはともかく、アンニュイな雰囲気は太宰治似の現代国語の先生は、近代文学を読む、という課題を提出された。これがなければ、田山花袋の「蒲団」も二葉亭四迷の「浮雲」も夏目漱石の「それから」も読まなかったかも。たんに文学史の文脈で憶えただけだったのでは。
現代国語の授業で森鴎外の「舞姫」に入った時には、クラス中が(もちろんすべて女子)主人公に非難轟々で、「恋人を妊娠させたあげく捨てるなんてサイテー!」と大ブーイングが巻き起こり、とても格調高い文学の香気を味わう!?どころではなかった。それにしても、風紀の点で問題がありそうな女の子の方が、大変な剣幕で怒りをあらわにしていたのはなぜなのか?
いまにして「舞姫」と合わせて島崎藤村の「新生」を読んでおけばよかった、とやや後悔している。そうすれば、斎藤美奈子さんの「妊娠小説」(主人公が恋人を妊娠させる小説群についての評論)をもっと楽しめたかも。(いやしかし「舞姫」を論じた部分だけでも、充分笑かしていただきました♪)
読み終えて思い出したのは、タレントが妊娠した時のTV映像アングル。ふっくらしたお腹をことさら強調して映す発想は女性にはありません。
彼女が昔、子どもの図鑑やハウツーものの編集をされていたって、なんだか深く納得してしまいます。子どもの図鑑って、機知や幅広い知識やそれを使いこなす柔軟さがなければできない仕事ですよね。
岩波の「21世紀文学の創造7 男女という制度」を斎藤さんが編集されていますが、編集者としても素晴らしい人材であることを、この本でしかと思い知りました。