最近になり、ますます敬愛してやまない櫻井よしこ女史。彼女の半生を描いた自伝=「何があっても大丈夫」、昨夜、読み終えた。今までに、桜井女史の著書は10数冊読んでいるが、あくまでも社会政治評論エッセイであり我輩にとっても常識、その常識を整理整頓する為に桜井女史のご意見を聞く。したがって読後感はあくまでも単調にして納得そのもの。それ以上も以下もなし!といったところであった。しかし、女史の自伝なる「著書」は、かなり面白い。桜井女史フアン必携必読の一冊であると我輩は豪語する。
あらためて「読書感想文」を書きたくなった。しかし、後日の記事としたい。
なぜならば、本日、
どうしても「抜粋」し記憶に留めたい個所がある。
女史の「ハワイ大学」における学生時代に専攻された「東洋史を学問する」入り口が記されている。
今叫ばれている、我国の歴史認識の重要性を鑑みれば、一体全体、何処から歴史の再学習に取組めばよいのか?一旦社会人となって久しい我々、互いに歴史再入門の学問的ゲートに迷い試行錯誤の繰り返しにて、今尚見えない路をさまよっているはず。そんな中、桜井女史の半生自伝の書の一節に、入り口の「見つけ方」を再確認した次第である。
そして、何故に「読書感想文」を後回しにしたいかという理由を、再度述べる。
すなわち、桜井女史的「理性と常識」は、日本の立場と位置を明確に掌握されており、その大きな基盤の中、日本を含む歴史認識と把握の仕方に正しさがあると考えるからだ。
過去から現在、そして今から取組むべき姿勢、そんな我々の学ぶべき歴史学習に関し、非常に興味深い切り口がある。先ず一番最初に、そこの個所を抜粋掲載したい。
総じて、殊に「社会学」たるもの、色眼鏡をかけずに「比較対照論」を学問的(教養的と言い換えてもいい・・)に、学習実行し、異なる「意見と論旨」に対し、真摯に耳を傾けるフィールドワークなくして「成立」しない研究分野であること、あらためて櫻井よしこ女史著の「何があっても大丈夫」の一節に、観た。
歴史学習研究の切り口と入り口を、再確認した。
以って、女史の著書の一節を(無断で)切り取り、本日記事掲載する。
PS:
約10日前、同時に購入した「ビル・エモット著:日はまた昇る」はすでに読了。マイケル・L・ブッシュ著「貧乏貴族と金持ち貴族」は、今週中頃より読書開始する予定。翻訳本且つ歴史関係書であるから、経験上、この手合いの著書には自己満足的悪筆著書多く、いざ、内容に興味を失ったら最期、読み辛くて仕方のないジャンルである。と、想定するから読了は予測がつかない。本著購読の目的は、「ダンディズムの研究」に他ならない・・・
櫻井女史フアンの方、すでに本書を読み終えておられる方も、そうでない方も、本著に興味をお持ち頂き、「不肖・エセ男爵ブログ」のランクアップにお力添えを・・・
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<以下:櫻井よしこ著:「何があっても大丈夫」より、抜粋引用・・>
第二章 私達は二番目なんだ ― 父からの自立
(第7項・打ち上げ花火) (p-212~p-214)-抜粋
父に貰ったレミントンのタイプライターは大学卒業までずっと使った。父のように古めかしく、重々しく、年を重ねたタイプライターは、いつも私に、父が私に注ぎ込んでくれたプラスの要素を想いおこさせた。反発し父から離れてしまったけれど、人生の先輩として、父が教えてくれた幾つかのことは、紛れもなくきわめて重要な事だった。
日本を含むアジア史を専攻した私は、中国の近代史が面白いと思った。日本で歴史を学ぶと、近現代はサッと表面をなぞるだけだが、ハワイ大学の歴史の講義はもっと面白かった。とはいっても、いま振り返ってみると、ずいぶん簡単なことしか学んでいない。それでも面白かったのは、当時の私がそれだけ、歴史を知らなかったからにすぎない。
歴史は往々にして政治的な衣装を纏(まと)う。ハワイ大学でも、中国現代史は教授によって教える軸が異なっていた、と思う。
“思う”というのは、私自身が異なる教授のクラスを全てとったわけではなく、学生仲間の情報交換でそのように感じたからである。
大国清の衰亡と辛亥革命、日中戦争、国民党と共産党軍の面白くも複雑な関係などは、当時生存中の毛沢東や蒋介石も題材にしていたために、非常に臨場感があった。
そして、アジア現代史の中での日本の描かれ方は往々にしてあまり好意的でないトーンで教えられていると感じた。米西戦争以降、外絵と勢力を広げ始めた米国が、アジアで英国に変わって覇権を握る事を目指し、その過程で日本を排斥していった歴史を考えれば、日本人学生としては日本が批判される立場に立たされるのは自然の流れかもしれない。けれど、日本人学生としては居心地はよくない。ただ、第二次世界大戦に関連する時代以降に目立つ傾向で、それ以前の日本の歴史は、日本人が日本で教わる内容よりは前向きの評価を与えられていた。日本人とは何かという問いを、さまざまな形で突きつけられていた私は、日本の明治以前、江戸時代の幕府の統治によって、豊かな文化的繁栄を築いていったとの指摘が、嬉しかった事を思い出す。
人口の増減から歴史を評価する方法は、今では当然だと思うが、私がはじめて明確な形で、江戸時代に日本の人口はほぼ倍増し、それは士農工商すべての国民が豊かに暮らしていたことを示すと教わったのは、ハワイ大学でだった。秀吉の時代の日本の総人口は約1600万人といわれてきた。最近、1200万人説も出ているが、それが260年余りの江戸時代にほぼ倍増して、明治はじめまでには2600万人から3000万人になったのだ。
日本史の教授は、日本が好きで日本研究を始めたに違いない。だから、鎖国時代の日本の繁栄や、明治政府の近代国家建設のための努力や、驚嘆すべき成功や、大正デモクラシーの花開いた時期のことなど、日本で詳しく学ばなかったことを、熱意を込めて教えてくれた。
(櫻井よしこ著:「何があっても大丈夫」引用抜粋・了)
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あらためて「読書感想文」を書きたくなった。しかし、後日の記事としたい。
なぜならば、本日、
どうしても「抜粋」し記憶に留めたい個所がある。
女史の「ハワイ大学」における学生時代に専攻された「東洋史を学問する」入り口が記されている。
今叫ばれている、我国の歴史認識の重要性を鑑みれば、一体全体、何処から歴史の再学習に取組めばよいのか?一旦社会人となって久しい我々、互いに歴史再入門の学問的ゲートに迷い試行錯誤の繰り返しにて、今尚見えない路をさまよっているはず。そんな中、桜井女史の半生自伝の書の一節に、入り口の「見つけ方」を再確認した次第である。
そして、何故に「読書感想文」を後回しにしたいかという理由を、再度述べる。
すなわち、桜井女史的「理性と常識」は、日本の立場と位置を明確に掌握されており、その大きな基盤の中、日本を含む歴史認識と把握の仕方に正しさがあると考えるからだ。
過去から現在、そして今から取組むべき姿勢、そんな我々の学ぶべき歴史学習に関し、非常に興味深い切り口がある。先ず一番最初に、そこの個所を抜粋掲載したい。
総じて、殊に「社会学」たるもの、色眼鏡をかけずに「比較対照論」を学問的(教養的と言い換えてもいい・・)に、学習実行し、異なる「意見と論旨」に対し、真摯に耳を傾けるフィールドワークなくして「成立」しない研究分野であること、あらためて櫻井よしこ女史著の「何があっても大丈夫」の一節に、観た。
歴史学習研究の切り口と入り口を、再確認した。
以って、女史の著書の一節を(無断で)切り取り、本日記事掲載する。
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<以下:櫻井よしこ著:「何があっても大丈夫」より、抜粋引用・・>
第二章 私達は二番目なんだ ― 父からの自立
(第7項・打ち上げ花火) (p-212~p-214)-抜粋
父に貰ったレミントンのタイプライターは大学卒業までずっと使った。父のように古めかしく、重々しく、年を重ねたタイプライターは、いつも私に、父が私に注ぎ込んでくれたプラスの要素を想いおこさせた。反発し父から離れてしまったけれど、人生の先輩として、父が教えてくれた幾つかのことは、紛れもなくきわめて重要な事だった。
日本を含むアジア史を専攻した私は、中国の近代史が面白いと思った。日本で歴史を学ぶと、近現代はサッと表面をなぞるだけだが、ハワイ大学の歴史の講義はもっと面白かった。とはいっても、いま振り返ってみると、ずいぶん簡単なことしか学んでいない。それでも面白かったのは、当時の私がそれだけ、歴史を知らなかったからにすぎない。
歴史は往々にして政治的な衣装を纏(まと)う。ハワイ大学でも、中国現代史は教授によって教える軸が異なっていた、と思う。
“思う”というのは、私自身が異なる教授のクラスを全てとったわけではなく、学生仲間の情報交換でそのように感じたからである。
大国清の衰亡と辛亥革命、日中戦争、国民党と共産党軍の面白くも複雑な関係などは、当時生存中の毛沢東や蒋介石も題材にしていたために、非常に臨場感があった。
そして、アジア現代史の中での日本の描かれ方は往々にしてあまり好意的でないトーンで教えられていると感じた。米西戦争以降、外絵と勢力を広げ始めた米国が、アジアで英国に変わって覇権を握る事を目指し、その過程で日本を排斥していった歴史を考えれば、日本人学生としては日本が批判される立場に立たされるのは自然の流れかもしれない。けれど、日本人学生としては居心地はよくない。ただ、第二次世界大戦に関連する時代以降に目立つ傾向で、それ以前の日本の歴史は、日本人が日本で教わる内容よりは前向きの評価を与えられていた。日本人とは何かという問いを、さまざまな形で突きつけられていた私は、日本の明治以前、江戸時代の幕府の統治によって、豊かな文化的繁栄を築いていったとの指摘が、嬉しかった事を思い出す。
人口の増減から歴史を評価する方法は、今では当然だと思うが、私がはじめて明確な形で、江戸時代に日本の人口はほぼ倍増し、それは士農工商すべての国民が豊かに暮らしていたことを示すと教わったのは、ハワイ大学でだった。秀吉の時代の日本の総人口は約1600万人といわれてきた。最近、1200万人説も出ているが、それが260年余りの江戸時代にほぼ倍増して、明治はじめまでには2600万人から3000万人になったのだ。
日本史の教授は、日本が好きで日本研究を始めたに違いない。だから、鎖国時代の日本の繁栄や、明治政府の近代国家建設のための努力や、驚嘆すべき成功や、大正デモクラシーの花開いた時期のことなど、日本で詳しく学ばなかったことを、熱意を込めて教えてくれた。
(櫻井よしこ著:「何があっても大丈夫」引用抜粋・了)
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