どうも、なんだか、父上か?母上?のどちらか、外国人か。ウム?出生地=ベトナム。卒業大学=ハワイ州立大学。ならば、たぶん父上がベトナム国籍の華僑なのか?いや、母上が華僑のシナ人系ベトナム人であったか。そうえいば、何処となく日本人離れしたお顔立ちに、優雅にゆったりした(少々皮肉か)立ち居振る舞い。日本語の話し方も、少しスローテンポ。江戸弁でもなく大阪弁でもない・・・
何故、日本テレビ夜のニュース番組「今日の出来事」のキャスターに、このような女性を選んだのか?解らない。
でも、
なかなか感じの良い落ち着いた雰囲気のある女性だ。
好感が持てる。
でも、あの遅すぎる喋りは、けっしてうまくない。少し頼りないかなあ~・・・
等と、
「櫻井よしこ」と称するTVニュースキャスターとの最初の出会いは既に10数年前。いや、それ以上も前の話になるか。端正、まるで能面のような知的な美しさ容姿は、数年後、なぜかテレビで見かけなくなった。
それから暫くたって、本屋さんに立ち寄った際、政治社会関連本棚に、どこかで見た顔と名前「櫻井よしこ・著」なる本の表紙が、思わず目に入った。紛れもなく、数年前までTVキャスターをされていた櫻井よしこ女史の著作であった。タイトルは忘れた。が、その本を手にし、一夜にして通読。読破した後、我輩は思った。
「テレビでの女史は、すべからくスローモーション、、、。かったるい喋りをしていた能面顔の女性。社会論評を書かせると、何と、すばらしいではないか。こんなに毅然と理路整然とした意見の書ける人だとは、思いもしなかった。喋るよりは書く方が良い。ちゃらちゃらとテレビに出る人ではなく、しっかりと書く人なのだ・・・」
かくして我輩、一夜にして「櫻井よしこ」女史のフアンになった。
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そう、、、
最初に手にした本のブック・カヴァーの端に、「櫻井よしこ」の略歴が載っていた。生まれは「ベトナム」にして「ハワイ大学卒」という、女史の基本的プロファイルは、既に知っていた。
そんな経緯で、ジャーナリスト桜井女史の「最初の印象」を持ち、既に女史の著になる多くの「著書と論評」に目を通した。女史の著作からは、自分自身の思考方向の整理を可能にした。理路整然とした論陣で構成された女史の切り口には、賛同可能なるもの、多くあった。
そして一ヶ月前、
この一冊に、出合った。
な、何と、本著「何があっても大丈夫」を通読して後、何故に出生地は「ヴェトナム・サイゴン」なのか?何故に「ハワイ州立大学」卒業なのか?これら、まず分かった。
そして、
よりいっそう「櫻井よしこ女史」ファンになった。
何故にそこまで、堅固な祖国愛に基く非共産主義志向の鷹派的論評をされるか。何故にそこまで、強い「意志表示」をなさるのか?
堅固な意思表示の根源は、何処から湧き出るのか!何処から発生するか?
女史の出生から大学進学、さらに社会人に育つまでの経緯を知れば、全てが理解できる。
本著は、いわゆる小説家の手になるような美文にして美辞麗句など、何処にも見当たらない。淡々と朴訥に「桜井女史の辿った半生」は書き連ねられ、いかにも単純にストーリーは進行する。感情の起伏少なき文章の流れは、逆に読者の想像力を書き立てる。読者は、文章の行間を読み取らねばならぬ。直接読者の判断に委ねられた修飾語の少ない文章構成は、見事である。
通読後、既に一ヶ月が経つ。が、いまだに本著に書き下された「ストーリー」は、ほとんど完全に思い出せる。しかし、この読書感想文を書くなか、本著のストーリーを思い出しながら「物語の集約」を行なうつもりはない。
以下、私的感度にて「行間を読んだ」ポイントとして3点。視点を箇条書きしておく。
1)母上の愛情と知性と経験を、「一身」に受け仰ぎならが成長された若き日の「櫻井よしこ像」が見え、現在の毅然とした女性論客の姿に納得できる。加えて、不幸にも父上との接点が、あまりにも薄かった事実がある。しかし、女史の現在には、プラスに作用している。いや、少なくとも女史の母上に於いてして、女史の面前にて絶対に「父親の悪口・批判・卑下」等、なさったことは無い。と、言い切ってある。優しく且つ気丈な母上と、家族を顧みずにビジネスに徹せられた父上の「わがまま」なる姿。父上をして、男の一生涯を賭け「ビジネスと戦う」姿を観てこられた櫻井女史。以って櫻井よしこ女史の現在は、ご両親に対する、言葉少なき敬意の表現となるのか。
母上の存在に、父上のとられた行動とは(女史にとっては)何ぞや。櫻井女史における、両親に対する愛情深き前向きの解釈に、圧倒される。
2)若き頃の貧乏のどん底生活。お金に縁のない生活の、連続に継ぐ連続。父親のいない家庭。お金では、けっして手に入らない「それ以上に価値あるもの」が、この世に存在する。と、母上から教わり続けた中高生時代。そんななか、父上のビジネスを手伝うこととなり、計らずもハワイに一人赴いた桜井女史は、当事、日本での大学入学を諦め、家業である父のレストランを手伝う目的にてハワイに向け、渡米する。日々、忙しくレストランを手伝う傍ら、ハワイ大学に進学。東洋史を専攻。東洋の文物に研究レベルの興味を持つ米国本土からの白人女子学生との交友はもちろん、広くアジア各国からの留学生などと直接交友可能であった女史の学生時代の活動は、現在の櫻井女史の発想の「大きさの土台」となっているに違いない。
3)大学卒業後は、直接日本に帰国された由。続いて、日本での就職活動の中、すでにハワイ大学教授の推薦状にて、アメリカから派遣された女性ジャーナリストの秘書として就職。最初の数年間は、日本語の全く出来ない米人女性ジャーナリストの活動を補佐する仕事の連続。すなわち、毎週は週刊誌。そして毎朝は、主だった日本の新聞の主だった記事と興味ある記事を、上司の米人記者に理解可能となるよう、報告するのが仕事。つまり通訳翻訳が彼女の最初の仕事であった。ほとんど和文英訳と取材通訳が女史の仕事であった。と、記してある。
櫻井女史の語学力は、大学を卒業後、そして就職し社会人となった後にも、ますますレベルが高まったはず。その後フリージャーナリストとして独立されるまでに、アジア系の優秀なジャーナリストたちとも仕事を通した交友があったと記されている。
以って、理解できる。
現在の櫻井女史の情報収集力は、アメリカはもとより広く全アジアに跨ってなされるもの。情報の分析力は、女史の「東洋史研究」の基礎と、欧米人ジャーナリストの中で研ぎ磨かれ鍛えられた揺るぎなき「ジャーナリズム正義」に基くもの。
櫻井女史から発信される論評の切り口と目的には、いずれをとっても、人間愛と自国を愛する基本軸が存在する。いずれの場合の論評も、同じ基本軸から外れておらず、断固として揺るぎない。
論旨の背骨となっている「信念」は、女史の辿った「起伏多き半生」の中から育まれたものか。堅固な信念を持ち、且つ日本人の立場にて世界に通用する言論人。高所高見から物事を捉え判断し、日本人の立場に立脚した論評発信可能な人物なり。この一冊から、「そんな人物」を育んできた基盤、基礎となっているものが確実に見えた。
そして「この一冊」、
読んでよかった・・・
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それから暫くたって、本屋さんに立ち寄った際、政治社会関連本棚に、どこかで見た顔と名前「櫻井よしこ・著」なる本の表紙が、思わず目に入った。紛れもなく、数年前までTVキャスターをされていた櫻井よしこ女史の著作であった。タイトルは忘れた。が、その本を手にし、一夜にして通読。読破した後、我輩は思った。
「テレビでの女史は、すべからくスローモーション、、、。かったるい喋りをしていた能面顔の女性。社会論評を書かせると、何と、すばらしいではないか。こんなに毅然と理路整然とした意見の書ける人だとは、思いもしなかった。喋るよりは書く方が良い。ちゃらちゃらとテレビに出る人ではなく、しっかりと書く人なのだ・・・」
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そう、、、
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そして一ヶ月前、
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女史の出生から大学進学、さらに社会人に育つまでの経緯を知れば、全てが理解できる。
本著は、いわゆる小説家の手になるような美文にして美辞麗句など、何処にも見当たらない。淡々と朴訥に「桜井女史の辿った半生」は書き連ねられ、いかにも単純にストーリーは進行する。感情の起伏少なき文章の流れは、逆に読者の想像力を書き立てる。読者は、文章の行間を読み取らねばならぬ。直接読者の判断に委ねられた修飾語の少ない文章構成は、見事である。
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母上の存在に、父上のとられた行動とは(女史にとっては)何ぞや。櫻井女史における、両親に対する愛情深き前向きの解釈に、圧倒される。
2)若き頃の貧乏のどん底生活。お金に縁のない生活の、連続に継ぐ連続。父親のいない家庭。お金では、けっして手に入らない「それ以上に価値あるもの」が、この世に存在する。と、母上から教わり続けた中高生時代。そんななか、父上のビジネスを手伝うこととなり、計らずもハワイに一人赴いた桜井女史は、当事、日本での大学入学を諦め、家業である父のレストランを手伝う目的にてハワイに向け、渡米する。日々、忙しくレストランを手伝う傍ら、ハワイ大学に進学。東洋史を専攻。東洋の文物に研究レベルの興味を持つ米国本土からの白人女子学生との交友はもちろん、広くアジア各国からの留学生などと直接交友可能であった女史の学生時代の活動は、現在の櫻井女史の発想の「大きさの土台」となっているに違いない。
3)大学卒業後は、直接日本に帰国された由。続いて、日本での就職活動の中、すでにハワイ大学教授の推薦状にて、アメリカから派遣された女性ジャーナリストの秘書として就職。最初の数年間は、日本語の全く出来ない米人女性ジャーナリストの活動を補佐する仕事の連続。すなわち、毎週は週刊誌。そして毎朝は、主だった日本の新聞の主だった記事と興味ある記事を、上司の米人記者に理解可能となるよう、報告するのが仕事。つまり通訳翻訳が彼女の最初の仕事であった。ほとんど和文英訳と取材通訳が女史の仕事であった。と、記してある。
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