長編小説「フォワイエ・ポウ」3章
著:ジョージ青木
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掲載済みの「小説フォワイエ・ポウ」を遡ってお読みになりたい方、下記から入れます。
1)第1回掲載「第1章」(メタリックレッドのロールスロイス)(2月9日)
2)第2回掲載(2月10日)
3)第3回掲載「1章」(クリームチーズ・クラッカー)(2月15日)
4)第4回掲載(2月17日)
5)第5回掲載:「1章」完(2月22日)
6)第6回掲載「2章」(安易な決断-1)(2月24日)
7)第7回掲載「2章」(安易な決断-2)(3月1日)
8)第8回連載「2章」(安易な決断-3)(3月3日)
9)第9回掲載「2章」(安易な決断-4)(3月8日)
10)第10回掲載「2章」(安易な決断-5)最終章(3月10日)
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3章
1(開店)
(1)
開店まで、いよいよ残り10日間ばかりとなっていた。
本田の頭の中に、何度も何度も押し寄せるてくる絶え間ない些細なためらいがあった。そのためらいは、開店予定日画近くなればなるほど大きくなる。大きくなったものは決して消え去ることなく、ためらいは苦悩に変化した。苦悩は、尚も続いていた。
「プロの広告代理店に依頼するか?それとも印刷屋に直接頼んでみるか?」
「必要枚数は? そうだな、約100枚もあれば十分なのだ」
「数万枚か数千枚であれば、話は別だ。しかしこの数量ならば、間違ってもプロに依頼する枚数でないことくらいは、分っている!」
「ウム、自分で作るか・・・」
迷いに迷ったあげく、飲み屋開店の案内状を作ったのは、ごくごく近い将来には、開店案内状に掲載される店のマスターになり、カウンターに立つ本田自身であった。
チラシの内容は、
『フォワイエ・ポウ・・・』
『新装開店です! 何月何日・・・』
『店の住所、開店と閉店の時間、祝祭日オープン、年中無休・・・』
などなど、単なる文字の羅列である。
なぜか、その文字の9割は英語。そのうちの数行は、まるっきり英文の文章もあった。
なにが?どう?書いてあるのか。
何しろ印字されたほとんどの活字が英文であるから、書いた本人しか理解できそうもない。どこからどう見たって、飲み屋の開店案内状としては、あまりふさわしくないチラシであった。が、見た目には、そしてデザイン的には、何とか見てくれの良い『チラシ』ができていた。大きさはA4、紙の色は、ライトブルー。印字の色は、グリーンである。本田の事務所のワープロで作成したものである。(昭和60年代、平成時代の始まる寸前の「業務用・大型ワープロ」を、読者に想像して頂きたい・・・)
チラシが完成した日の夕刻、かねてからチラシの完成を待ちわびていた本田の弟・譲治は、颯爽と本田の事務所に現れた。
出来たばかりのチラシを見た。
「これは!ウム・・・」
「このチラシは、どうも飲み屋のチラシと雰囲気が違うよなあ・・・」
譲治はいささか驚いた。
「ウム・・・」
心なしに、本田が答える。
「まず、英語が多すぎるな・・・」
確かに英語の活字が多かった。
「英語をカタカナで書くのは実に滑稽だ。広告として、バランス的に、すでに、カタカナのカタチそのものが古くさい!美的感覚から外れすぎている。だから、あっさり英語で書いて印字しただけだよ・・・」
本田にとっては常識であり、正統な理屈である。
「英語だけじゃないぜ、若干のフランス語もある・・・」
と、本田は付け加えた。
「ま、兄貴が作るのだからこうなるだろう。ま、どこからどう見たって飲み屋のチラシにはみえないし、ウム、まるで新規開店する輸入洋品雑貨屋か?いや、ブティックのチラシかなあ~」
「・・・」
あえて言葉を返さなかった無言のままの本田の口元は、珍しくも、久しぶりに微笑んでいた。
紙と印字の色バランス。バランスの取れた文字のレイアウト。デザイン的にはプロ並のセンスを持った本田の感性に、譲治は喜んで合格点をつけた。あらためて満足していた。ここまでくれば、互いにウンチクを言い合っている時間も無かった。内容は、もうどうでもよかった。人の気を引くもの、であり、見栄えがするもの、であり、内容は自分が説明すれば、全てが間にあった。だから、英語で書かれていようがフランス語だろうが、彼にとってはむしろ、『人の注意を喚起するもの』でありさえすれば、それで十分であった。
さっそくチラシを30枚ほど持ち、取り巻き連中に配ると約束し、喜び勇んで事務所を出た。30枚のチラシは、譲治の遊び仲間と取巻き連中に、しかも限られた知人にのみ配られた。それで目的は十分達成されていた。3日後、譲治から電話連絡が入る。譲治は最初に受け取ったチラシ全部を配りつくし、さらに追加の50枚を増刷してほしいと言ってきた。しかし、本田自身の手元のチラシは、ほとんどなくなっていなかった。
にわかに忙しくなった事務員の小林美智子は、単純な忙しさを喜んだ。譲治からの注文の連絡が入るたびに、そのつど、事務所のコピー器を使ってチラシのコピーをとる。
結果として開店日までに、約200枚のチラシが配られていた。
チラシ配りは、小林美智子も参加し協力していた。
本田が、自分自身の身体を張って始める「夜の商売参入」の発想そのものが、彼女にとっては不思議で興味深い出来事であった。
「なんだか面白い発想ですね・・・」
などと言いながら、
すでに事務員の小林も、10数枚のチラシを配っていた。
が、しかし、本田は違った。自分でデザインし工夫して創りあげたチラシを、自分で自分の客には持って回れなかった。
チラシが出来上がってから、少し本田の気分が変化した。やることなすこと、全てが気恥ずかしくなった。ここ数日、本田は消極的になっていた。
頭の中で、つぶやいていた。
(親しい知人には、こんなチラシは見せたくないし、まして店などに来て欲しくもない・・・)
夜の商売参入に、けっして迷いが生じて来たのではない。
最初の決断も早く、かなり前向きな姿勢で取り組み、気分はますます高揚していたにもかかわらず、いよいよ開店の段になって、さらに開店日が近くなればなるほど、本田の気分は沈んできた。
さらに自問自答した。
(カウンターの中で、ほんとうに自分が自分でやっていけるかどうか? 自分の自己流のやり方で客が満足するだろうか?満足しない客の方が多いはずだ。さあ、どうする、でも、すでにチラシで告知した開店日、いまさら中止はできんぞ・・・)
(開店日が、遅くなれば遅くなるだけ、伸びれば伸びるほど、ありがたい。もう2~3ヶ月くらい開店日が遅くなればいい・・・)
実際問題として、この段階になっての本田の気分は変わりに変わり、すでに180度の変化を来たしていた。自分が現場に立つ事そのものに、嫌悪感を持ち始めた。
<・・続く・(次回掲載予定3月17日(金曜日)>
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<添付画像>
撮影場所:スペイン・バルセロナ市内、レストランのオブジェ
撮影日:1998年7月
撮影者:ジョージ青木