Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

上深川紀行(2/3):「かぐや姫」の生れ故郷を往く・・

2006-03-12 21:21:35 | つれずれ紀行

 これら全ては『モウソウ竹』、圧巻なり!いずれも背丈高くて太いのだ!聞けば、彼の管理する竹林の広さ(面積)は、約1000坪程度の規模。YT氏のご先祖より現在まで、守り維持された『竹林』の真っ只中でシャッターを切った。画像前方やや右手が「三篠川」の位置となる。画像中には比較対照物がないので解りにくい。が、この種の竹の直径は(若干の大小あり)、約20センチ。高さは?そう、どう見ても20メーター以上ある。 いたるところ(それなりのポイント)に、直径5~60センチ、深さ2~30センチの穴がある。
「・・・?」
昼間の管理(もとい、只の周遊か?)をするUT氏になり代わり、夜になれば「プロの夜警」が徘徊し、その夜警が野生の「いのしし」なり。UT氏に代わって夜警をしつつ、竹の子(筍)を求めて穴を掘るらしい。イノシシの鼻先は頑丈で、鍬で以っても断ち切るのに厄介な「竹の地下茎」も何のその、、。地下茎もろとも掘り返して、こんな大穴を空ける。との事。
 竹と竹の林立する合い間(およそ1メーター乃至6~70センチ)には、網の目の如く竹の根、いや竹の地下茎が網羅されており、うっかりすると足を執られてしまいそうだが、かって知ったるUT氏。すたすたと難なく前進闊歩する。が、我輩はそうは行かない。平素はコンクリート舗装された(普通の)道路か歩道か、はたまた古きヨーロッパの石畳程度ならば、歩き慣れている。そんな訳で、竹林を闊歩するには、足元から目が話せないので、歩きながら周囲を見ていない。2~3分も歩けばすでに、自分の位置がわからなくなるくらいの懐深き竹林なのである。川の位置がわからなくなれば、もうおしまい。竹林の中で、完全な迷い子(いや、迷いオジサン)になってしまうが、そこはUT氏、そんな我輩の弱点を知り尽くし、ヴェテラン添乗員の如く、巧く我輩を目的の場所まで誘導する。

そんな不案内な環境の中、足元のぶっそうな場所を歩行すること約10数分。

ようやく目的地に着いた。

彼の「竹炭」製造現場である。

「・・・・?!」

この竹林を歩きつつ、思い出した。有名な昔話を・・・
「かぐや姫」の話しである。
そして、「かぐや姫」の存在を、信じた。
子供の頃、以前は、信じなかった。馬鹿にしていた、ただのおとぎ話であった。
なぜか?
信じない訳には、子供心にも、それなりの理由があった。
まず、竹から生まれた。とする、かぐや姫の大きさは、(子供心に)おおよそテニスボールからソフトボールの大きさであると想像していた。まさか、ピンポン球か?それ以下の「ラムネ玉?」程度の大きさとは、思っていなかった。と、なると、テニスボールやソフトボールの大きさの「かぐや姫の赤子」が入る、入れる直径を持った竹など、我が幼少の折、そんな大きさの竹など見た経験がなかったのである。
しかし、この竹林で、見た竹は、どの竹にも「かぐや姫」の存在可能な直径を持つ竹ばかりなのである。
参った、参った、、、。

 <・・続く・・>


(さらに、UT氏の竹炭製作現場を見てみたい・・・)


かぐや姫の存在にご納得頂いた読者、是非下記のバーをクリック願いたい。

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PS:
 竹林の中、足元には網の目のような竹の地下茎が網羅されている様子を見て、思った。大田川本流の川沿いには、それなりに大きな規模の竹林が散乱する風景を、子供時代によく目にしていたこと、思い出す。
そして今、理屈がわかった。この川沿いに林立する竹林のなかの土壌には、網の目のような地下茎が蔓延り、それが自然の土嚢となって水害から川沿いの畑や人家を守っていたに違いない、と思い出した。思い始めた。いや、何かの書物にて、そう紹介されていること、思い出した。無駄な護岸工事による、川土手の竹林を伐採するは、自然破壊であり、いざというときには、水害の被害を拡大することになる。これ、さらなる自然破壊なり・・・
日本の自然と、気候風土に適応し適度に繁茂する竹。しかし、いざ、住宅宅地造成となると、頑固な地下茎を持つ竹林は、宅地条件としては最悪。以って、邪魔者扱いにされているらしく、安易に伐採せず、邪魔者扱いせず、守らねばならないのではないか?

* ウイキペディア百科事典による詳細説明:『タケ(竹)』は、こちらから参照できます。是非ご一読下さい!

上深川紀行 (1/3 ):「初春の三篠川」(UT氏管轄「鮎の漁場」)

2006-03-12 18:45:16 | つれずれ紀行
 広島県広島市安佐北区上深川OO番地、UT氏の邸宅前には「三篠川」がある。UT邸(右手)を出て川土手を登り、徒歩約5分にて川に架かる橋の中央部に差し掛かる。川幅(南北にわたる川土手から川土手の間、約200メーターという)
 三篠川に跨る橋の中央部から、西方向に向けて撮影。上流から下流に向けて撮影した。川の流れは、写真前方より右手に曲がり「大田川」に合流の後、広島市内の三角州を形成する「7つの川」に分離する。全ての川は、最終段階にて瀬戸内海へと流れ出でる・・・
そう、
 先週金曜日(3月12日)から本日の昼まで、悪戦苦闘の末、危篤状態であったUT氏のパソコンは元気を回復し、ほぼ平常なる健康状態にまで立ち上がった。無免許ヤブ医者「不肖・エセ男爵」の処方と治療は、功を奏した。我輩、うれしかった。UT氏も喜んでくれた。(これ、すでに話した・・)
 そして本日の早朝、PC全治確認の後、再度ゆとりを持って撮影する為、カメラを持参するつもりであったが、持って行かなかった。残念かな、天気は「小雨」だった。
結果、初日の金曜日(3月10日午前中)に撮影したものを掲載・・・
やや薄曇にて、撮影には不向きな天候。偏光フィルター無しにての撮影の為、川面の反射厳しく、いかにも清らかで、透明度の高い川水の表現は、残念ながら不十分。これまた表現不十分であるが、この川床には適度に角の取れた大きな石(直径1~2メーター)が散在する。まことに以って「鮎の棲家」には最適なる場所と看た。(いや、すでにUT氏の実績があるのだ・・)
 思い起こした。昨年の初夏に、UT氏から立派な鮎の写真が届いた。が、まさにこの場所この川が、UT氏の漁場なのである。これこそ「目と鼻の先」!
朝飯前、いや、晩飯前にこの漁場に徒歩で向かい、釣上げた獲物がそのまま当日夕食の食卓に『鮎の塩焼き』として加わる・・・
(酒の肴によし!)
な、何と、
贅沢なことよ・・・
そして、釣上げたばかりの「鮎」を焼くのに、「竹炭」を使うというから信じれなかった。が、この竹炭の採集場所も生産地も、彼の領地(敷地)内にある。と、云う。(撮影ポイントは足の欄干中央。さらにや云う7~80メーター徒歩で進み川の対岸土手に着く。対岸の川土手下り右に向かうこと、さらに6~7分。UT氏所有の竹林に向かう。

我輩、壮大な規模の竹林に、行った。

この目で、見た。

そして、我輩は、彼の「言」をまのあたりにし、信じた。
「百聞より一見にしかず!」とは、
まさにこのことなり・・・

 <・・続く・・>=UT氏の竹林。