本田は、燃えていた。(ウム、なんとか我が手で「日銭を稼ぐ」か!でもって、毎月いくら残るか?それが楽しみだ・・・)右肩上がりで作成された計画の通り、本田の気分は十分に右肩上がりであった。時代は、いよいよ昭和から平成に移り変わろうとしていた。そんな頃、本田は初めて夜の業界に参入しよう。と、していた。
(・・第9回掲載、終節より・・)
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1)
第1回掲載「第1章」(メタリックレッドのロールスロイス)(2月9日)
2)
第2回掲載(2月10日)
3)
第3回掲載「1章」(クリームチーズ・クラッカー)(2月15日)
4)
第4回掲載(2月17日)
5)
第5回掲載:「1章」完(2月22日)
6)
第6回掲載「2章」(安易な決断-1)(2月24日)
7)
第7回掲載「2章」(安易な決断-2)(3月1日)
8)
第8回連載「2章」(安易な決断-3)(3月3日)
9)
第9回掲載「2章」(安易な決断-4)(3月8日)
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『フォワイエ・ポウ』
著:ジョージ青木
2章
2(古いボトルの贈物)
(1)
開店に踏み切ったものの、開店までの基本準備が全くできていなく、未だに開店日も定まらなかった。
本田の事務所も、そのままにした状態であった。つまり事務所を出るとなれば、それなりに経費がかかる。まず、事務所の中の事務用品をどうするか?コピー機に電話機3台とファックス、さらに巨大なワープロとプリンター。事務デスクと事務椅子がそれぞれ3台。金属製の書類入れに書棚。ソファーベッドに小型冷蔵庫から始まり、台所周りの什器などなど、これらをどこかに移動するには、すでに軽トラック程度では絶対に移動できない、誰が見ても一流の事務所設備が整っており、これらは猫の額ほどのワンルームマンション事務所にぎっしりと詰め込まれている。わずか十一㎡しかないワンルームマンションに、よくもまあこれだけのものが入ったものだ。
これらの什器備品の引越先がなかった。売って処分するつもりはない。となれば、ここに置いておくしか処理方法がない。
当分の間、毎月5万円の家賃を支払い続けることにした。事務所に出入りすればおのずと通信費に電気代や水道代が継続して経費支出となる。したがってこれらを家賃と合計すれば、おおよそ8万円以上の経費を引きずることになる。
脱サラして直ぐに開業したこの事務所には、なぜか愛着があった。
(できれば、ここは残したい・・・)
昼の仕事に見切りはつけていたものの、ちょっとはぶりのいい夜の店を持っているオーナーなら、昼間の連絡事務所があっても不思議ではない。迷ったあげく、事務所は残しておいて有効利用することにした。ファックスを含む事務所電話3本のうち、電話専用回線の1回線を、夜のお店に付け替えることにした。さっそく手続きを済ませた。1週間も立たないうち、10円玉と100円玉の両方のコインが入る、本田名義のピンク電話になった本田名義の電話がついた。
ピンク電話に成り代わった自分名義の電話を眺め、本田は単純に喜んだ。
(おう、今まで自分が電話代支払っていたが、今度は自分に代わって、電話をかけた客が電話代を支払ってくれる。ウム、100円玉をいれて、20円分の電話しかしない客も中に入るだろうなあ。こりゃ儲かるぜ。ありがとう「ピンク電話」殿・・・)
本田は、また、独り言を喋っていた。
事務所の中で、本田はあれこれ作戦を立てながら、にわかに自信が沸き上ってきた。
ちょっと視点を変え考え方を変えてみれば、夜の業界参入の最初から、昼間の連絡事務所がもてるなんて結構な事だ。これで夜の店も商売繁盛に繋がる基礎が最初から出来上がったようなもの、我が夜の店は、最初から一流の仲間入りができたも同然だ。こうなると、もう自信をとおりこして過信であり、すでに誇大妄想的である。
(よし、飲み屋がオープンしてからも、自分は先に事務所に出勤しよう。できれば午前中に出勤したい。午前11時が、自分の出社時刻だ。それでよかろう。一通り昼間の事務を済ませる。いよいよ夕方から店に赴こう)
まだ準備中である。開業すらしていない本田の気分は、すでに夜の業界で名を成し功を遂げた如く、気分が良くなり、根拠もなく舞い上がっていた。
飲み屋の出勤には自転車がいい。場合により、若しタクシーに乗ってもわずかワンメーターの距離だ。歩いても20分とかからないであろう。これは正しく自転車に乗る距離だ。自転車であれば、本来なら3分、しかし人ごみの中を走るのだから、そう、約10分か、それくらいはかかる。
まるっきり優先事項にならない問題点ばかりが粛々と解決し決定する。決定事項は本田のあたまの中のリストに記載され、ファイルに蓄積されていた。
それよりもなによりも、一番に決めなければならない事項があった。それは店で唯一の売り物である酒類である。つまりアルコール類の仕入の問題である。
どこかの小売酒屋で酒を買って来て、自分の店で売ればいい、という問題ではない。店で販売する酒を商品として仕入しなければならないのである。すなわち、仕入れ価格で買わなければならないのだ。このあたり、理論的には分かっているが、実感として把握できない本田には、さほどの緊迫感がない。しかし、とにかく仕入先の酒屋をどこにするか?決めなければならない。これについては迷うことなく、家主が紹介してくれた酒屋に決定した。ただ一つ、仕入の酒屋を決めた理由があった。他にこれといった知り合いの酒屋も無く、家主から紹介された酒屋であった。
担当は、酒屋のオーナーの次男坊、市内中区の岡本酒店・岡本洋一君である。年のころ30過ぎの独身の男の子であった。おとなしい雰囲気であるが、どことなく生真面目な雰囲気を持ち、未だ出会ったことのない『誠意』の感じられる男であった。家主に紹介され、初めて挨拶を交わしたその日、なぜか彼には好感が持てた。本田は彼が気に入っていた。
当然ながら、酒の肴も取り扱っていた。
つまり、業界でいうところの『かわきもの一式』を取扱うのである。本田はチーズを扱ってくれるかどうか?尋ねた。答えは、OKだった。サンプルも取り寄せた。よいものがあった。それは、クリームチーズである。近い将来、自分の店で商品として取り扱ってみたいと思い、料金をたずねた。目標の月間取扱い数量や消費数量も前もって伝えた。
翌々日、料金表を持ってきた。小売価格の表示と、この店に卸す卸価格が列記されていた。
チーズの価格表、つまりプライスリストを受け取った。
はずかしながら本田には、その数字が高いものか安いのか、全く見当が付かなかった。
自分が酒屋で買って飲んだ経験がないから、たちまち有名ブランド国産ウイスキーの価格すら、わからない。自分が全く飲まないから、日本酒の値段ときたらこれがさっぱりだめである。自分が飲まないから、興味がないから値段を知ろうとも思わない。缶ビールの値段は自動販売機で分かる程度、しかし大中小の瓶ビール価格にいたっては、これを何度聞いても覚えておらず、今も全く覚えていない。
"Intermission"(・・・休息・・・)
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(2)
過去、本田の周囲の酒の出入りといえば、贈答品でもらったもの、自分が海外旅行中に免税売店で買ったウイスキーなど、、、。
したがって酒の値段は、当節流行の免税売店で売っているウイスキー及びヴランデーなど、とびきり安い海外免税価格のみである。それ以外の酒の値段で分かっているものは何か。しいて云えば、なくもない。その値段は、今まで自分自身が出入りしていた夜の巷の値段、すなわちナイトクラブやスナックバーでの、ボトルキープ価格のみであった。日本での酒の価格は、けっして安いものではなく、それなりに高いものであるという認識が、本田の常識であった。
(なんと、酒の値段とはそんなものなのか。岡本酒店の提出する酒の価格は、意外に安いではないか!)
酒を売る商売をはじめようとしている本田は、肝心な日本国内での酒の相場が全く分かっていなかった。
本田の計画は、ショットバー方式でスタートしたかった。
ショット方式を展開しようとの考え方で、酒屋と仕入の打ち合わせをした。が、酒屋の岡本洋一氏の専門的観点からの勧めもあり、ある程度はボトルキープの対応をすることにした。洋一は、決して多くを語らなかった。しかし、どう見ても経験の少なすぎる本田との会話の中から、彼はすでに見抜いていた。ショットパブ形式のみで先行き逆に成り立たない。旅行屋であった本田が狙っているもの、つまり一度にたくさんの客が押し寄せた場合を考えると、ショットバー形式では速度的に対応が遅くなる。団体様ご一行の対応は無理、いや、不可能である事、岡本洋一は最初から『酒屋の経験と視点』で見抜き、理解していた。まずは、本田のプライドに傷が付かぬよう、しかも本田を持ち上げながら、今、岡本が売りたいアイテムの売込みに、半ば成功していた。あとは本田が、いかに多くを売ってくれるか?という点に尽きる。すでに本田という顧客の新規開拓が済んだ岡本にとって、今後は、本田の店舗展開がどうなるかにかかっているのであって、成り行きに任せるほか致し方なかった。
酒の段取りが終わって、あらためて店内を見た。いたるところ汚れていた。掃除に取り掛かった。しっかりした建てつけの厚い板の床、いくら雑巾がけで磨いても汚れが取れない。磨き上げるのに四日かかった。テーブルも、椅子も、カウンターも、カウンターの中も、トイレも、ありとあらゆる場所を磨いた。
掃除し忘れていたところがあった。
以前の経営者の客がキープしていたボトルが、約100本近くあった。多くのボトルはほこりにまみれていた。ほこりにまみれたボトルの半数は、さらに油性でタバコのヤニらしき粘着性のある茶色の薄幕でおおわれており、粘着性だからさらにほこりが付く。一度や二度の布巾がけでは間に合わない、洗剤と水を使った布巾がけで、落ちるか落ちないかわからない強力な油脂が全てのボトル全体に、みごとにコーティングされた状態であった。
(ほとんどのボトルは一年以上経っているものと見る。少なくとも半年以上は手付かずの状態で放置されていたはずだ)
(この以前のマスターの客のボトルは、もう、残しておく必要はない)
当然ながら、本田は考えた。
(破棄する必要はない。同じ種類のボトルに詰め替えよう。そして、あらためてお客に売ればいい。そう、営業に使ってしまえばいいのだ・・・)
お客のキープボトルには、必ず名札がついている。キープした客は、必ず名札に自分のサインかまたは名前を書き込む。場合により、ボトルのガラスの表面に油性のマジックでサインをする客もいる。しかしなぜか、ボトルに直接サインをした客のボトルは、一本も見つからなかった。
(このキープボトルは、そのまま商品として使えるじゃないか!)
ボトルに直接サインがなかったのが幸いした)
(よ~し、何日かかっても構わない。同じ品種ならば、全部詰め替えてやろう!)
ただちに決まった。
(一滴も残さず、同じ種類の酒をボトルからボトルへ、詰め替えるだけ詰め替えよう。できるだけラベルの汚れていないボトルに詰め替えれば、照明を落とした暗い店内では、まったく新品と見間違うほどになる。詰め替えが終わって空になったボトルだけすてる。詰め替えたボトルは新品同様と見間違うほど、みがいてみがいてとことんきれいにしよう!)
だから、
(空になったボトルは、捨ててしまえばいい。捨てるボトルは掃除する必要なし!)
3日がかりで作業した。
本田からお願いし、一連の掃除は事務員の小林美智子も手伝った。
がしかし、今から始まる水商売に関係のない小林の動きは、ただ単なる時間つぶしであり、ボトル整理という単純作業に対する集中力を欠いていた。下手をすると、ボトルを壊しかねない動作であった。小林美智子が手伝ったのは、最初の一日だけであった。お願いした本田から、小林の手伝いを断った。
なぜか?
実際にカウンターに立って仕事をする人間以外、この作業には全く向かないと、すぐに本田は判断した。ボトルの詰め替えなど、残量の多いボトルへ残量のより少ないボトルから移す。漏斗を使う。が、十分に気をつけておかないと、余分につぎ込んで一杯になり、こぼしてしまう。つまり結構手先と手元の細かな動きを必要とし、つぎ込む酒量の残量とボトルに詰込める酒量の予測と微細な判断が要求される。判断が間違ってしまえば、大切な酒が、零れてしまう。ただ、ただの酒が零れる。こぼれてしまえばただの液体!でも、液体がボトルの内部にある限り、お金になる液体であるから、みかけの古いボトルから、より見栄えのするボトルへ移す、しかも大切に、細心の注意を払って丁寧に注ぎこまなくてはいけない。
自分の手で、自分がやってみて、ようやくそれなりに、難しい作業であることに気付いた。
本田は、作業しながら考えた。
ボトルの中身の入れ替え作業、そんな単純作業を繰り返しながら、ふと思いつき、新しい結論を得た。
(これ、なんだかカウンターの中の基本運動だよ。現場に入ればそれなりの特殊な動きがあるのだ。これなんて、毎日の動作の勉強だ、そうだ、客のキープしているボトルから、客のグラスに酒を注ぐ練習をしていると想定すればいいのだ・・・)
本田自ら、今まで気付かなかった新しい動作の勉強をしていた。そう思い始めたときから、本田のボトル詰め替え動作はますます正確になり、その作業はよりいっそう早くなった。
ボトルの詰め替え作業に取り組み始めたとき、店の「ボトルキープ棚」に存在していた約100本前後のボトル数があった。ボトルの詰め替え作業が終了した時点で、ちょうど65本の満杯のボトルに替わってしまった。それそれ満杯になったボトルは、新しい清潔なダスターで丁寧にみがいた。油煙とタバコのヤニで貼り付けられた塵とほこりは、見事に落ちていた。
<第2章・完>
(次回、第3章へ、3月15日掲載予定・・・)
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<添付写真:a local Spanish-Style Restaurant & Bar in Madrid Spain, on Jul. 1998. Photo by Mr. G.A. >