今日は慰霊の日です。
沖縄戦の終戦から71年目だそう。
うちな~んちゅにとっては
忘れてはいけない…いや、忘れらない日ですね。
σ(・_・)父方の祖父と叔父は
沖縄戦で戦死しているので他人事ではありません。
平和の礎には名前も刻まれています。
いつか旦那を連れていかないとね
もちろん仏壇には手を合わせて挨拶していますが
やっぱり名前が刻まれた「平和の礎」はなんとなく特別です。
朝、旦那が出勤前に
旦那「…ちょっとウ―トートーしようかね(^^)」
σ(・・)「慰霊の日だから?今日は正午にも黙祷するんだよ」
旦那「もちろん黙祷もするけどさ。
ほら…ちょうどこの時期じゃなかった?
模合の友達が亡くなって少ししてから。。。
昨年のB'zのLIVEの頃は…居たでしょ?」
ちょうど昨年の今頃、
2回目の陽性判定を貰うも胎嚢確認できず。
結局は化学流産というカタチに。
その時は身体もココロも限界で。
MMFを飲み始めることになり妊活休止。
今に至る…という感じ。
2回目の陽性判定を貰った時は
胎嚢確認できずに化学流産だったので。
それはよくあることだから。。。
そう。化学流産なんてよくあることだから。。。
そう自分に言い聞かせて。
1回目の時よりはショックは少なかったけど。
でもやっぱり忘れられないです。
ただ仕事を休めることは嬉しかったかもしれない(^^;
流産のことと慰霊の日のことと
一緒にウ―トートーするのもどうかとも思いましたがw
「平和」だからこそ妊活もできるんだしね。
なにより旦那が覚えていてくれたことが嬉しかったです
「こんなに優しいパパが待ってるぞー
早くココに戻って来れるようにママも頑張るからね~」と、
未来の我が子へ思いを馳せると共に
「戦争の悲劇は二度と繰り返しません」と
平和な世の中が続くように戦没者への祈りを捧げました
…あ、やばい。
なんか書いてて涙でてきた(^^;
沖縄戦で亡くなった方たちにとって
私たちが幸せに暮らすことが一番の供養だと思います。
世間も不倫やら公私混同とか、
そんなクダラナイことは置いといて。
今日はもっと大きな視点を持って
「平和」を願って欲しいものです。
沖縄戦の終戦から71年目だそう。
うちな~んちゅにとっては
忘れてはいけない…いや、忘れらない日ですね。
σ(・_・)父方の祖父と叔父は
沖縄戦で戦死しているので他人事ではありません。
平和の礎には名前も刻まれています。
いつか旦那を連れていかないとね
もちろん仏壇には手を合わせて挨拶していますが
やっぱり名前が刻まれた「平和の礎」はなんとなく特別です。
朝、旦那が出勤前に
旦那「…ちょっとウ―トートーしようかね(^^)」
σ(・・)「慰霊の日だから?今日は正午にも黙祷するんだよ」
旦那「もちろん黙祷もするけどさ。
ほら…ちょうどこの時期じゃなかった?
模合の友達が亡くなって少ししてから。。。
昨年のB'zのLIVEの頃は…居たでしょ?」
ちょうど昨年の今頃、
2回目の陽性判定を貰うも胎嚢確認できず。
結局は化学流産というカタチに。
その時は身体もココロも限界で。
MMFを飲み始めることになり妊活休止。
今に至る…という感じ。
2回目の陽性判定を貰った時は
胎嚢確認できずに化学流産だったので。
それはよくあることだから。。。
そう。化学流産なんてよくあることだから。。。
そう自分に言い聞かせて。
1回目の時よりはショックは少なかったけど。
でもやっぱり忘れられないです。
ただ仕事を休めることは嬉しかったかもしれない(^^;
流産のことと慰霊の日のことと
一緒にウ―トートーするのもどうかとも思いましたがw
「平和」だからこそ妊活もできるんだしね。
なにより旦那が覚えていてくれたことが嬉しかったです
「こんなに優しいパパが待ってるぞー
早くココに戻って来れるようにママも頑張るからね~」と、
未来の我が子へ思いを馳せると共に
「戦争の悲劇は二度と繰り返しません」と
平和な世の中が続くように戦没者への祈りを捧げました
…あ、やばい。
なんか書いてて涙でてきた(^^;
沖縄戦で亡くなった方たちにとって
私たちが幸せに暮らすことが一番の供養だと思います。
世間も不倫やら公私混同とか、
そんなクダラナイことは置いといて。
今日はもっと大きな視点を持って
「平和」を願って欲しいものです。