> ツイッター、日本からのアクセスが24倍に。米国に次ぎ2位になる
http://blog.livedoor.jp/booq/archives/1113364.html
↑こんなニュースがあった。
今さら言うほどのものもないが、ツイッターはえらく大人気のご様子だ。
一般論として、日本人が飛びついたときがブームの頂点だという話もよくあるが、今後どうなるというのはひとまず置いておこう。
ツイッターを始めるヤツらは、大概は決まってblogと近い位置にいる。
blogを始めたはいいが更新をめんどくさく感じる人。
blogにちょっと興味はあるがめんどくさいから始めてない人。
blog1本分の記事を書く元気や時間や気力がない人。
そんな人にツイッターは向いているのだろう、きっと。
ちなみにわたしはツイッターに手を出す気は全く無い。
なぜなら。
当blogの内容と文体はツイッターに適していない。
理由はこれに尽きる。
まず、当blogの売りは何かと考えてみる。
自分で言うのも何だが・・・
恐らく、重度のアニオタだけが持つぶっ飛んだ世界観、およびそれに至る思考過程、それが当blogの売りの1つだろう。
そしてその当blogの売りは絶対にツイッターでは表現しきれない。
例を示してみる。
先日の記事、「鋳造とパンチラの奇妙な関係」の内容でつぶやいてみると仮定して改変してみよう。
> 鋳造とパンチラの奇妙な関係
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100224
オリジナルは↑こう。
それを改変するとしたら↓こう。
『
食玩フィギュアを横から見ると、うっすらと縦にスジが入っているのがわかる。
人体は曲面でできているからそんなスジが入っているのは好ましくない。
しかしパンチラの縫い目は鋳造で作るほうが向いている。
』
これで改行コードを入れて196byte、字数制限の70%の消費であり、使うとしてもまあこんなもんだろう。
これを読んでおもしろいか?
おもしろくない。
誰が読んでも「で?」というので終わりだろう。
だからこそ、blog本文はそうはしていない。
まず食玩フィギュアの現状と問題点を指摘し、
プラモデラーとの対比により状況分析を行い、
製法上の観点からの得失を解説し、
欠点のある現状の製法のなかにある隠れた絶大なメリットを洗い出す。
カッコ良く書くとそうなる。
そうやって思考過程を順を追って書いていけば、そこそこ読めるものに仕上がっているはずなのだ。
(興味がある人はblog本文と読み比べてほしいところだが・・・)
まあ、いくらカッコつけたところでパンチラの話なんだけどさ(笑)。
それはいいとして。
この問題は140字以内という字数制限では説明しきらないことに起因している。
第一に。
当blogは当の本人が自覚するほど世間一般からずれたところに住んでいるため、結論だけ書いても意味が通じない。
第二に。
当blogでおかしな結論だけ簡潔に書いてあるより、おかしな結論にたどり着いてしまった思考過程がついているほうがおもしろい。
第三に。
思考過程まで書こうとすると字数がそれなりに必要になる。
だから当blogはツイッターに適していないのだ。
この問題は小説においても同じことが言えるように思う。
かつてわたしは、小説1冊分というのは内容の割には文字数が多すぎると感じていた。
あらすじや設定資料だけ読んでも面白い小説があるべき姿なのだと思っていた。
しかし今はそう思う機会はかつてほどではない。
たしかに文字数が多すぎて冗長な内容のうすっぺらいモノも中にはある。
とはいっても、作者の独特の文体が持つ雰囲気、セリフから受ける臨場感、登場人物の描写から浮かび上がる人物像、そういったものは小説にはかかせないもので、それを表現するにはそこそこの字数を要求する。
それは本が好きなヤツなら誰しもが知るところだろう。
ツイッターにはそれがない。
小説に例えると、背表紙だけ読んでおしまいにするのがツイッターだろうか。
お手軽さとトレードオフで捨てたものがそういうものなのだ。
別にわたしはアンチではない。
お手軽さというものは時に何よりも勝る。
ツイッターを使いこなせる、140字で気の利いたことを書いていくヤツも多いし、そういうヤツは積極的にblogから乗り換えて使ったら良い。
ツイッターがどこまではやるか。
ツイッターがどこまでblog形態を駆逐できるか。
それは、お手軽さと引き換えにしたものをどこまで回収できるかにかかっているような気もする。
【※1 鋳造とパンチラの奇妙な関係】
鋳造とパンチラの奇妙な関係
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100224
http://blog.livedoor.jp/booq/archives/1113364.html
↑こんなニュースがあった。
今さら言うほどのものもないが、ツイッターはえらく大人気のご様子だ。
一般論として、日本人が飛びついたときがブームの頂点だという話もよくあるが、今後どうなるというのはひとまず置いておこう。
ツイッターを始めるヤツらは、大概は決まってblogと近い位置にいる。
blogを始めたはいいが更新をめんどくさく感じる人。
blogにちょっと興味はあるがめんどくさいから始めてない人。
blog1本分の記事を書く元気や時間や気力がない人。
そんな人にツイッターは向いているのだろう、きっと。
ちなみにわたしはツイッターに手を出す気は全く無い。
なぜなら。
当blogの内容と文体はツイッターに適していない。
理由はこれに尽きる。
まず、当blogの売りは何かと考えてみる。
自分で言うのも何だが・・・
恐らく、重度のアニオタだけが持つぶっ飛んだ世界観、およびそれに至る思考過程、それが当blogの売りの1つだろう。
そしてその当blogの売りは絶対にツイッターでは表現しきれない。
例を示してみる。
先日の記事、「鋳造とパンチラの奇妙な関係」の内容でつぶやいてみると仮定して改変してみよう。
> 鋳造とパンチラの奇妙な関係
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100224
オリジナルは↑こう。
それを改変するとしたら↓こう。
『
食玩フィギュアを横から見ると、うっすらと縦にスジが入っているのがわかる。
人体は曲面でできているからそんなスジが入っているのは好ましくない。
しかしパンチラの縫い目は鋳造で作るほうが向いている。
』
これで改行コードを入れて196byte、字数制限の70%の消費であり、使うとしてもまあこんなもんだろう。
これを読んでおもしろいか?
おもしろくない。
誰が読んでも「で?」というので終わりだろう。
だからこそ、blog本文はそうはしていない。
まず食玩フィギュアの現状と問題点を指摘し、
プラモデラーとの対比により状況分析を行い、
製法上の観点からの得失を解説し、
欠点のある現状の製法のなかにある隠れた絶大なメリットを洗い出す。
カッコ良く書くとそうなる。
そうやって思考過程を順を追って書いていけば、そこそこ読めるものに仕上がっているはずなのだ。
(興味がある人はblog本文と読み比べてほしいところだが・・・)
まあ、いくらカッコつけたところでパンチラの話なんだけどさ(笑)。
それはいいとして。
この問題は140字以内という字数制限では説明しきらないことに起因している。
第一に。
当blogは当の本人が自覚するほど世間一般からずれたところに住んでいるため、結論だけ書いても意味が通じない。
第二に。
当blogでおかしな結論だけ簡潔に書いてあるより、おかしな結論にたどり着いてしまった思考過程がついているほうがおもしろい。
第三に。
思考過程まで書こうとすると字数がそれなりに必要になる。
だから当blogはツイッターに適していないのだ。
この問題は小説においても同じことが言えるように思う。
かつてわたしは、小説1冊分というのは内容の割には文字数が多すぎると感じていた。
あらすじや設定資料だけ読んでも面白い小説があるべき姿なのだと思っていた。
しかし今はそう思う機会はかつてほどではない。
たしかに文字数が多すぎて冗長な内容のうすっぺらいモノも中にはある。
とはいっても、作者の独特の文体が持つ雰囲気、セリフから受ける臨場感、登場人物の描写から浮かび上がる人物像、そういったものは小説にはかかせないもので、それを表現するにはそこそこの字数を要求する。
それは本が好きなヤツなら誰しもが知るところだろう。
ツイッターにはそれがない。
小説に例えると、背表紙だけ読んでおしまいにするのがツイッターだろうか。
お手軽さとトレードオフで捨てたものがそういうものなのだ。
別にわたしはアンチではない。
お手軽さというものは時に何よりも勝る。
ツイッターを使いこなせる、140字で気の利いたことを書いていくヤツも多いし、そういうヤツは積極的にblogから乗り換えて使ったら良い。
ツイッターがどこまではやるか。
ツイッターがどこまでblog形態を駆逐できるか。
それは、お手軽さと引き換えにしたものをどこまで回収できるかにかかっているような気もする。
【※1 鋳造とパンチラの奇妙な関係】
鋳造とパンチラの奇妙な関係
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100224