のうりんの生徒がしていることで気になることがある。
晴れがつづいたあと雨が降ったら、真夜中(もしくは未明)に皆が自主的に集まって大急ぎでトマトを収穫するとか。
嵐が来たら、たまたま現地にいるメンバーが自主的に稲を守るとか。
ふつうに考えればこれは美談だ。
だがわたしはこれが気になる。
なぜか?
ふつうはそんなこと自主的にしやせんだろと思うからだ。
まずわたしの中学時代を振り返ってみる。
あそこは教育方針が肌に合わなかったため、わたしなら学校のトマトがダメになったとしても「あららwww」とでも言って何もしようとはしなかったはずし、
それで連絡網でも回ってきて学校へ集合とでもなれば憤慨するほど嫌な顔をするはずだ。
つぎにわたしの高校時代を振り返ってみる。
あそこの教育方針は
「おまえら生徒はいい大学に合格することが学校への最大の貢献であり、それ以外のめんどうな行事はなるべくしなくていいように我々学校側が極力配慮してやるから、おまえらはおとなしく勉強してろ」
というようは空気のところだった。
だから学校の一大事に皆が集合なんて雰囲気は絶対ありえなかった。
だからこの、のうりんの生徒の自主的な貢献はとても気になる。
実は農業高校ってそういうところなのだろうか?
のうりんの舞台である岐阜県はどうか知らんが、少なくとも我輩の地元ではそうとは思えん。
農業高校へは
「家から自転車で通える距離にある公立高校だとここしか受からないからここにする」
という後ろめたい理由で進学する同級生がほとんどだった。
家が農家で後を継ぐ気マンマンだったり食品加工に興味があったりする同級生はわたしの知るかぎりいなかった。
(勉強はあまりできないにしてももう少し先見性の明のある同級生は工業科や商業科の私立高校へ電車通学していた。)
そんな理由で進学する生徒が自主的に学校へ貢献するとはとても思えん。
だがそれを覆すほどに岐阜県の農業高校ってのはそんなにすごいところなのか?
まあ少なくとも自分探し目的で転校してくる元アイドルがいるほどには魅力的なようではあるが。
晴れがつづいたあと雨が降ったら、真夜中(もしくは未明)に皆が自主的に集まって大急ぎでトマトを収穫するとか。
嵐が来たら、たまたま現地にいるメンバーが自主的に稲を守るとか。
ふつうに考えればこれは美談だ。
だがわたしはこれが気になる。
なぜか?
ふつうはそんなこと自主的にしやせんだろと思うからだ。
まずわたしの中学時代を振り返ってみる。
あそこは教育方針が肌に合わなかったため、わたしなら学校のトマトがダメになったとしても「あららwww」とでも言って何もしようとはしなかったはずし、
それで連絡網でも回ってきて学校へ集合とでもなれば憤慨するほど嫌な顔をするはずだ。
つぎにわたしの高校時代を振り返ってみる。
あそこの教育方針は
「おまえら生徒はいい大学に合格することが学校への最大の貢献であり、それ以外のめんどうな行事はなるべくしなくていいように我々学校側が極力配慮してやるから、おまえらはおとなしく勉強してろ」
というようは空気のところだった。
だから学校の一大事に皆が集合なんて雰囲気は絶対ありえなかった。
だからこの、のうりんの生徒の自主的な貢献はとても気になる。
実は農業高校ってそういうところなのだろうか?
のうりんの舞台である岐阜県はどうか知らんが、少なくとも我輩の地元ではそうとは思えん。
農業高校へは
「家から自転車で通える距離にある公立高校だとここしか受からないからここにする」
という後ろめたい理由で進学する同級生がほとんどだった。
家が農家で後を継ぐ気マンマンだったり食品加工に興味があったりする同級生はわたしの知るかぎりいなかった。
(勉強はあまりできないにしてももう少し先見性の明のある同級生は工業科や商業科の私立高校へ電車通学していた。)
そんな理由で進学する生徒が自主的に学校へ貢献するとはとても思えん。
だがそれを覆すほどに岐阜県の農業高校ってのはそんなにすごいところなのか?
まあ少なくとも自分探し目的で転校してくる元アイドルがいるほどには魅力的なようではあるが。