
本日やっと熊野とケッコンした。
(鈴谷と夕張は先月末、朝潮と翔鶴は3月、瑞鶴はカッコカリ実装当日)
明日から2週間ほど、我々提督はアリューシャン諸島近海とミッドウェー諸島近海で人類の存続を賭けた戦いに赴かねばならない。
その前日になりようやく間に合ったのだ。
かつてヒロインとは、勇者様に助けられるのをガマンして待っているかわいらしい存在だった。
たとえばドラクエ1のローラ姫。
だが。
それはただの戦果物でしかない。
とある男は
「アラブでは女は家具だ」
と言ったが、ローラ姫こそまさにその戦果でゲットした調度品そのものだ。
わたしはそれを望んでいない。
命をかけて戦う戦場で背中をまかせられるだけ信頼する娘、
「おまえがいて撃たれたんなら、そりゃーしかたないな、ははは…」
と死ぬ前に笑って許せる娘こそがいいと思っている。
それが上のその娘たちだ。
信頼とは、戦力上の強さではない。
戦力としてなら、朝潮より夕立、五航戦より一航戦、鈴谷型より利根型、夕張より川内型を選ぶ。
そうなっていないのは、純粋に愛の強さがそれを上回っているという説明以外に妥当な説明は不可能である。
我々は明日から死と隣り合わせの新婚旅行に行ってくる。
せっかくの砲撃の怒号ひびくピクニックなのにケッコンまだだったら、そりゃー何かもったいないじゃないか。
「俺、戦争が終わったら地元の娘とケッコンするんだ…」
じゃない!
「明日は戦場へ出発だ。だからケッコンしよう。俺たちは必ず生きて戻ってくるんだ。そうだろ?」
こうだよ。