『聖闘士星矢 黄金魂-soul of gold-』というアニメをいまやっている。
ハーデス編の裏でおきたゴールドセイントの話ということになっている。
さて。
わたしがこれを見て聖闘士星矢シリーズではじめて起きた変化を感じた。
それは何か?
それは、はじめてかわいいメインヒロインが登場したということである。
もちろんあのリフィアとかいう青い髪の娘のことだ。
実のところ、わたしが聖闘士星矢シリーズを網羅的にすべて見たわけではないので”はじめて”なのかどうなのかは断言しかねる。
チャンピオンREDのあれも見てないし、Ωも数話でやめてしまった。
だが、わたしから見ればそういうものだ。
ではなぜこんなことを言うかというとだな。
沙織お嬢様のメインヒロインとしてのガッカリ感がハンパじゃないということだ。
soul of goldのリフィアはかわいい。
こんな娘に慕われたら命を賭してでも守ると誓うのは当然である。
対して沙織お嬢様。
星矢をはじめセイントのほとんどがアテナのために命をささげる覚悟があるという描写がなされている。
しかしどうだ?
アテナのために命をささげられると思えたか?
無理。
わたしが聖闘士だとしたら沙織お嬢様に命はささげられない。
むしろこんなんが上司だったらクロスを置いて下野するかもしれんほどに感じる。
どうしたってリフィアは異性として見てしまう。
沙織お嬢様は異性として見れない。
それどころか超然としすぎていて人としても見れないほどだ。
わたしが聖闘士星矢シリーズをみてどうしてもぬぐえない心のしこりがこれだ。
命をかけて何かを守るその姿には心打たれるが、
なんでこんなヤツに命をかけるんだというのがどうしても理解できないのだ。
ではなぜ聖闘士は命をかける?
しばらく考えてみた。
これは、沙織お嬢様とアテナの違いに答えがあるのではないかと気がついた。
沙織お嬢様といえば、グラード財団の総帥であり、ようは金持ちの譲さんである。
アテナといえば、ギリシャ陣営のボスであり、ゴールドセイント以上に世界をどうこうできる特殊能力を備える。
つまりセイントは、個人ではなく、上司であったりレアスキルであったりを守ろうとしているのだ。
こいつが死んだら俺が嫌だからこいつを守る、ではない。
こいつが死んだら世界が滅びるからやむを得ずこいつを守る、という義務感である。
これは、恋人や妻や娘を守るという感覚ではない。
ようするに、非常に有能だがたびたび暗殺未遂をうける国家元首がいたとして、いまが有事でこいつが死んだら国が亡びるかもしれないから、SPの方々は職業がら命を賭して国家元首のAさんを守る、という寸法だ。
戦いが終わったあと、星矢はどうしたかったのだろう?
じつは星矢には選択肢は残されてはいなかった。
ハーデス編のあと星矢は植物状態になっていることが天界編で明かされた。
そこでは沙織お嬢様に献身的な介護を受けているようだった。
まあこれまでも沙織お嬢様は星矢に特別好意をいだいているんじゃなかろうかという描写はあったため、
財閥総帥でもあり日銭の心配のいらないし戦いが済んでヒマになった沙織お嬢様にしてみればまんざらでもなかろう。
しかし星矢はどうなのさ?
孤児院でいっしょだったあの女の子(名前忘れた)は、わたしが名前を忘れたのみならず存在も忘れ去られてしまっているが、
星矢にとっては義務感がなければ、沙織お嬢様と、孤児院での初恋の女の子と、いったいどちらを選んだだろうか。
いやそうでなくても、作中で唯一明確に好意を示してくれたシャイナさんだって姉さん女房としては最高の逸材だし、
原作終了間際で突如現れた実の姉(さんざん引っぱっておいてマリンさんじゃないのには驚いたがw)といっしょに暮らす小さな幸せだってあってよかった。
悪役とはいえヒルダ様のほうがアテナよりほよど生きている感じがして人としての魅力を感じる。
しかし現実は非情である。
非情なのは植物状態になったことだけを言っているのではない。
わたしにとっては、沙織お嬢様が孤児院で飼っている子に馬乗りになっておしりぺんぺんして遊んでいたあのシーンが脳裏にこびりついている。
引退後は沙織お嬢様と暮らすというのは、わたしにとっては
「うーん・・・ この・・・」
と言わざるをえんのだよ。
ハーデス編の裏でおきたゴールドセイントの話ということになっている。
さて。
わたしがこれを見て聖闘士星矢シリーズではじめて起きた変化を感じた。
それは何か?
それは、はじめてかわいいメインヒロインが登場したということである。
もちろんあのリフィアとかいう青い髪の娘のことだ。
実のところ、わたしが聖闘士星矢シリーズを網羅的にすべて見たわけではないので”はじめて”なのかどうなのかは断言しかねる。
チャンピオンREDのあれも見てないし、Ωも数話でやめてしまった。
だが、わたしから見ればそういうものだ。
ではなぜこんなことを言うかというとだな。
沙織お嬢様のメインヒロインとしてのガッカリ感がハンパじゃないということだ。
soul of goldのリフィアはかわいい。
こんな娘に慕われたら命を賭してでも守ると誓うのは当然である。
対して沙織お嬢様。
星矢をはじめセイントのほとんどがアテナのために命をささげる覚悟があるという描写がなされている。
しかしどうだ?
アテナのために命をささげられると思えたか?
無理。
わたしが聖闘士だとしたら沙織お嬢様に命はささげられない。
むしろこんなんが上司だったらクロスを置いて下野するかもしれんほどに感じる。
どうしたってリフィアは異性として見てしまう。
沙織お嬢様は異性として見れない。
それどころか超然としすぎていて人としても見れないほどだ。
わたしが聖闘士星矢シリーズをみてどうしてもぬぐえない心のしこりがこれだ。
命をかけて何かを守るその姿には心打たれるが、
なんでこんなヤツに命をかけるんだというのがどうしても理解できないのだ。
ではなぜ聖闘士は命をかける?
しばらく考えてみた。
これは、沙織お嬢様とアテナの違いに答えがあるのではないかと気がついた。
沙織お嬢様といえば、グラード財団の総帥であり、ようは金持ちの譲さんである。
アテナといえば、ギリシャ陣営のボスであり、ゴールドセイント以上に世界をどうこうできる特殊能力を備える。
つまりセイントは、個人ではなく、上司であったりレアスキルであったりを守ろうとしているのだ。
こいつが死んだら俺が嫌だからこいつを守る、ではない。
こいつが死んだら世界が滅びるからやむを得ずこいつを守る、という義務感である。
これは、恋人や妻や娘を守るという感覚ではない。
ようするに、非常に有能だがたびたび暗殺未遂をうける国家元首がいたとして、いまが有事でこいつが死んだら国が亡びるかもしれないから、SPの方々は職業がら命を賭して国家元首のAさんを守る、という寸法だ。
戦いが終わったあと、星矢はどうしたかったのだろう?
じつは星矢には選択肢は残されてはいなかった。
ハーデス編のあと星矢は植物状態になっていることが天界編で明かされた。
そこでは沙織お嬢様に献身的な介護を受けているようだった。
まあこれまでも沙織お嬢様は星矢に特別好意をいだいているんじゃなかろうかという描写はあったため、
財閥総帥でもあり日銭の心配のいらないし戦いが済んでヒマになった沙織お嬢様にしてみればまんざらでもなかろう。
しかし星矢はどうなのさ?
孤児院でいっしょだったあの女の子(名前忘れた)は、わたしが名前を忘れたのみならず存在も忘れ去られてしまっているが、
星矢にとっては義務感がなければ、沙織お嬢様と、孤児院での初恋の女の子と、いったいどちらを選んだだろうか。
いやそうでなくても、作中で唯一明確に好意を示してくれたシャイナさんだって姉さん女房としては最高の逸材だし、
原作終了間際で突如現れた実の姉(さんざん引っぱっておいてマリンさんじゃないのには驚いたがw)といっしょに暮らす小さな幸せだってあってよかった。
悪役とはいえヒルダ様のほうがアテナよりほよど生きている感じがして人としての魅力を感じる。
しかし現実は非情である。
非情なのは植物状態になったことだけを言っているのではない。
わたしにとっては、沙織お嬢様が孤児院で飼っている子に馬乗りになっておしりぺんぺんして遊んでいたあのシーンが脳裏にこびりついている。
引退後は沙織お嬢様と暮らすというのは、わたしにとっては
「うーん・・・ この・・・」
と言わざるをえんのだよ。