教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

技術立国であることを捨てた日本

2016-09-15 23:50:36 | オタネタ全般
さいきんポケモノミクスだとかマリオノミクスだとかいう新造語がちらほら見られる。

もちろんレーガノミクスをもじってつくったアベノミクスをさらにもじってつくったもので、
前者はポケモンGOによる経済効果関連、後者はオリンピック閉会式の安倍マリオ関連であることはみなさん承知のとおりである。

でだ。
いまにしてみると、実はこれ、大きな転換点の象徴なのではないかという気がしてきた。

それは何か?

技術立国であることを捨てたことについてだ。



20年くらい前の話をしよう。

当時、日本が誇れるものといったら何だっただろうか?

当時はバブルがはじけてひさしく、豊かな日本という誇りはもうなかった。
しかし科学技術ではまだ非常に大きなアドバンテージがあるとされ、それが日本の誇りだった。
また、日本の文化の誇りというと、伝統工芸みたいな公立中学で生徒がガマンして見させられるたぐいのクッソつまらんものを指していた。
その代表例の1つが長野オリンピックの開会式である。

あれ、どんなだったか覚えている人はいるだろうか?

いまYouTubeに落ちているのを見てみるといい。
ガマンしても10分以上見るに絶えないほどクッソつまらん。
当時わたしは長野にいたが、やっぱり長野オリンピックの開会式のチケットを買わなくてよかったと思うほどだ。



では現在にもどる。
2016年の現代において、それを作り直すとしたらどうなるだろうか?

科学技術の日本というイメージは全く用いられなくなった。
しかしそのかわり、アニメやゲームの分野で世界に冠たる国であることが前面に押し出された。
それがリオオリンピックの閉会式の安倍マリオである。

この違い、日本の大きな転換点であることを意味しているとは思わないだろうか?

いま我輩は電子回路のエンジニアという職種であるが、それはすでに日本においては前時代の主力産業「だった」ものになり下がったのだ!



かつてわたしが中学生のころ、父親と議論したことがある。

父「こんなピコピコ音(ゲーム音楽)なんてどこがいいんだ?」
俺「良さがわからんヤツに良さをわざわざ説明してやる気はないよ。そう言われても感性が貧困なんだと思うだけだよ」
父「クラシックのほうが聞いてて楽しいだろ?」
俺「その分野もそのうちゲーム音楽に取り込まれる。テクノロジーが進化すればすぐにアコースティックな楽器をパソコンで再現できるようになるし、そうすれば演奏者がいなくても曲を作って演奏して人に聞かせるようにすぐになる」
父「人が演奏したのの良さには絶対勝てんよ」
俺「俺は演奏の腕前の話はしてない。現物の楽器と熟練した演奏者がいなければ成り立たないクラシックはそのうちコンピュータによって全く別の進化が来るといってるんだ。さらにその先は人の声でさえ再生できるようになるし、歌い手がいなくてもボーカル曲を作れるようになるよ」
父「コンピューターなんて毎回同じものしか再生できないじゃん。そんなのつまらんよ」

これ、けっきょくどちらが正しかったかは現在では明白である。

その時代はわたしの父のような新しい日本の文化に無理解な人間が長野オリンピックを仕切っており、ご覧のありさまだよ!だったわけだ。



かつて我々の若かりしころ。
当時はしっかり勉強していい大学に入って高い給料もらえる企業に就職することがテンプレな人生設計だった。
しかしこれからはそうではないかもしれない。

とあるSF小説では、文明が進んで全く働かなくても最低限の衣食住が自動的に出て来る世界が描かれており、そこは人さまから対価を得る仕事は芸術しかなくなったという世界だった。
日本はその世界へ最も近い国である可能性がある。