ベコが行く!涅槃な旅路

旅するベコのゆるみ系ブログ。

萩紀行5 松陰神社で至誠の極みだべこ!

2023年06月04日 | ベコの萩紀行2022

ベコの萩紀行は3日目。

今日は朝から快晴です!

ベコ 「爽やかな朝だべこ!」

そんな朝にまずやってきたのは松陰神社

萩といえばご存じ吉田松陰

松下村塾を主宰し、多くの志士たちに影響を与えた萩の偉人。

その吉田松陰を祀る神社です。

それでは、深々と一礼して鳥居をくぐりましょう。

ベコも霊験あらたかな雰囲気にドキドキですね。

ベコ 「いざまいるだべこ!」

鳥居をくぐって参道を進みましょう。

境内に立つ木々の緑もきれいですね。

それにしても、この葉っぱは馴染みがありません。

なんという木なのでしょうか?

ま、とりあえず参道を進むと現れるのがこちら!

そう、松下村塾です!

ひょえー

松陰が講義をした小屋で、新しい日本を作る原動力となったのですね。

建物の内部には入れないのですが、ちょっと近づいてみましょう。

内部を覗き込んでみると、部屋の壁には門人たちの写真。

そして、建物の周囲をぐるりと一周してみると…

ベコ 「意外と小さいべこ〜」

そう、ホントに小さな小屋なのでした。

まるで寺子屋のようなイメージ。

ちょっとびっくりでしたが、そんな松下村塾のお隣に建っているのがこれ。

ベコ 「軟禁だべこ!」

松陰が幽閉されていた幽囚の旧宅だそうです。

この小さな屋敷に閉じ込められていたのですね。

ところで、参道沿いの木々には、なぜか小さな和傘がたくさん。

いったい何かと思ったら、これはおみくじでした。

ほー、洒落たおみくじですね!

ベコもちょっとおみくじを引いてみたところ、

なんと大吉の「快晴」でした!

快晴の日に幸先の良いお告げですね。

さて、いよいよ境内の一番奥にあるのが松陰神社の本殿。

それほど大きくはありませんが、豊かな緑に囲まれて神聖な雰囲気です。

お参りを済ませたら、復路の小道をてくてく歩いて帰ります。

これは、小道沿いにひっそりとたたずむ茶室・花月楼

藩主である毛利重就の別邸に建てられたものだそうです。

松陰とは関係なさそうですが、なかなか味わいのある建物でした。

さあ、それでは松陰神社はここまで。

次のスポットへまいりましょう!

つづく

 

<ベコたびinformation>

松陰神社と松下村塾

吉田松陰を祀る神社で創建は明治期。松下村塾出身の伊藤博文などが中心となって作ったそうです。御神体は遺品である硯と書簡など。現在の社殿は昭和のものだそうです。

境内には、松下村塾の建物をはじめ、幽閉された実家の屋敷、そして宝物殿や資料館などもあり思いのほか充実していました。

松下村塾そのものは意外に小さい小屋でびっくりでしたが、もとは松陰の叔父である玉木文之助という人が開設し、後に松陰が引き継いだのだそうです。

松下村塾の門下生には伊藤博文、山縣有朋、高杉晋作、久坂玄瑞など錚々たる面々がいますが、実際にここで講義が行われたのは1年間程度だったそうです。

なお、松陰神社は萩の城下町から離れた場所にあり、中心部から徒歩での移動はちょっと大変かも。バスかタクシー利用がおすすめです。

吉田松陰

そんな吉田松陰はもともと杉家の生まれで、幼少期に兵学師範を務める吉田家の養子に。その後才覚を発揮して、なんと10歳の時に藩校・明倫館で兵学を教え、11歳の時にはお殿様に兵学の御前講義をしたそうです。

青年期には日本全国を遊学し、ペリーの黒船来航に出くわします。よく知られる通り、翌年の黒船再来に乗じて密航を企てるも失敗。獄につながれます。

故郷の萩では獄中生活を送りながらも孟子などを講義。獄を出たのちは実家の杉家で幽閉されたものの、自らの考えを教え続けたとのことです。

しかし、政策批判を強める松陰は、安政の大獄でとうとう処刑されてしまったのです。享年29歳と言いますから、駆け抜けるような生涯ですね。


 


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