昨日は、エニアグラムのワークショップで知り合ったSさんと、仕事絡みで3年ぶりに再会しておりました。
3年前、私はタイプ3(ウイングタイプ4)との仮定のもとワークショップに参加していました。
正直、自分がタイプ3だって認めるのは、当時はなぜか抵抗があり、9つのタイプのどれかに自分を落ち着けるなら、
タイプ3がぼんやり自分を網羅していたぐらいの曖昧さでした。
エニアグラムが難しいのは、眼に見える行動のスタイルではなく、行動の動機にフォーカスしたタイプ分けであること。
傍目からみて特徴的な行動はあれど、動機は本人しかわからんのですよ・・・・
私の自己理解は、エニアグラムからスタートしています。
現在は、自分のタイプをあまり意識することはなくなっておりますが、
Sさんは引き続きエニアグラムを理想的に活用され、自己理解も他者理解の仕方も熟しているなぁ・・・・と感じました。
Sさんとは、ウイングも同じらしいです。
同じタイプの2人の打ち合わせです。
よく考えると、ストレスなく話は進んだのかなぁと思います。成熟したタイプ3であり、システム関連の方なので、サクサクと。
Sさんも、マインドマップ(PC上でソフトを使って)利用者でした。
私たちが大事にするのは「イメージ」
日々の行動は、現実と自分のありたい姿のイメージ(理想)のギャップを埋めること。
ありのままの自分なんてワークショップに参加するまで考えたことなかったです。
相手に与えたいイメージという仮面をかぶって自分に逆行してでも欺きながら生きる・・・・(笑)
でも、そういうイメージって誰でもあるんじゃないのかなぁと思っていたんですが、案外そうでもないらしいですね。
効率・目標達成重視のタイプ3ですが、私の「最近はユルユルですよぉ~」の発言に
「最近でしょ?」って。
そやそや、つらくなったから手放したんやった・・・・
でも、ストレス時の「退行」の時間は、もうダルダルですよ
どうしようもないくらい。
エニアグラムのワークショップに通っていた頃、ファシリテーターの方に「もし、仕事をしなくていいという状況になったら、何をなさりますか?」と聴かれて
「仕事をしていないなんて考えられません」と回答しました。
確かに、今も大切に考えることは変わってないですし、目標も仕事の延長にあります。
それがダメかと言ったら、そうは思っていません。
周囲と調和できていればの話ですが。
だって、それが私を私たらしめるエネルギーであるから。
エニアグラムで、自分の中から沸いてくるエネルギーや素直に「ありたい自分」を取り戻した時に、涙がこぼれてきたの瞬間は今でも忘れられません。
だれもが、ありのままの自分で認められたく、ありのままの自分でいたいんだってこと。
頑張りたい時は頑張ればよくって、
認められたければ認められるように行動すればよくって、
涙を我慢したい時は我慢すればいいし、
でも、
頑張りたいのに頑張れない時もあってもいいし、
認められたくても認められない時もあってよくって、
泣きたい時は、泣けばよくって
人からどんな風に見られようとも、
あるがままでいいやろ・・・・
じゃないとしんどいし。
私どものようなタイプは、外向きの自分演じがちなので、本当の自分に向かい合うことはとても難しいことらしいです。
こうして書きながら、
「げっ、私って何か演じてる?」と自問自答してみるのですが、
多分、大丈夫と思う・・・と思う
まだまだ、深いところの自分を知るには至らぬ若造です。
な、訳で、この夏、座禅組み行くことになりました。
詳しくはまた後日。
「読んだよ」のクリックをありがとう!
↓
3年前、私はタイプ3(ウイングタイプ4)との仮定のもとワークショップに参加していました。
正直、自分がタイプ3だって認めるのは、当時はなぜか抵抗があり、9つのタイプのどれかに自分を落ち着けるなら、
タイプ3がぼんやり自分を網羅していたぐらいの曖昧さでした。
エニアグラムが難しいのは、眼に見える行動のスタイルではなく、行動の動機にフォーカスしたタイプ分けであること。
傍目からみて特徴的な行動はあれど、動機は本人しかわからんのですよ・・・・
私の自己理解は、エニアグラムからスタートしています。
現在は、自分のタイプをあまり意識することはなくなっておりますが、
Sさんは引き続きエニアグラムを理想的に活用され、自己理解も他者理解の仕方も熟しているなぁ・・・・と感じました。
Sさんとは、ウイングも同じらしいです。
同じタイプの2人の打ち合わせです。
よく考えると、ストレスなく話は進んだのかなぁと思います。成熟したタイプ3であり、システム関連の方なので、サクサクと。
Sさんも、マインドマップ(PC上でソフトを使って)利用者でした。
私たちが大事にするのは「イメージ」
日々の行動は、現実と自分のありたい姿のイメージ(理想)のギャップを埋めること。
ありのままの自分なんてワークショップに参加するまで考えたことなかったです。
相手に与えたいイメージという仮面をかぶって自分に逆行してでも欺きながら生きる・・・・(笑)
でも、そういうイメージって誰でもあるんじゃないのかなぁと思っていたんですが、案外そうでもないらしいですね。
効率・目標達成重視のタイプ3ですが、私の「最近はユルユルですよぉ~」の発言に
「最近でしょ?」って。
そやそや、つらくなったから手放したんやった・・・・
でも、ストレス時の「退行」の時間は、もうダルダルですよ
どうしようもないくらい。
エニアグラムのワークショップに通っていた頃、ファシリテーターの方に「もし、仕事をしなくていいという状況になったら、何をなさりますか?」と聴かれて
「仕事をしていないなんて考えられません」と回答しました。
確かに、今も大切に考えることは変わってないですし、目標も仕事の延長にあります。
それがダメかと言ったら、そうは思っていません。
周囲と調和できていればの話ですが。
だって、それが私を私たらしめるエネルギーであるから。
エニアグラムで、自分の中から沸いてくるエネルギーや素直に「ありたい自分」を取り戻した時に、涙がこぼれてきたの瞬間は今でも忘れられません。
だれもが、ありのままの自分で認められたく、ありのままの自分でいたいんだってこと。
頑張りたい時は頑張ればよくって、
認められたければ認められるように行動すればよくって、
涙を我慢したい時は我慢すればいいし、
でも、
頑張りたいのに頑張れない時もあってもいいし、
認められたくても認められない時もあってよくって、
泣きたい時は、泣けばよくって
人からどんな風に見られようとも、
あるがままでいいやろ・・・・
じゃないとしんどいし。
私どものようなタイプは、外向きの自分演じがちなので、本当の自分に向かい合うことはとても難しいことらしいです。
こうして書きながら、
「げっ、私って何か演じてる?」と自問自答してみるのですが、
多分、大丈夫と思う・・・と思う
まだまだ、深いところの自分を知るには至らぬ若造です。
な、訳で、この夏、座禅組み行くことになりました。
詳しくはまた後日。
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今日、私はやっぱりタイプ9だと思いました。
胸の中につかえが何もなく、すっきり晴れ渡った
青空のような感じを覚えた時、最高の自分であると
感じたのです。
達成感では、ないんですよね。
自分がすべてのものを受け入れられているという
感覚なのです。
受容感・・・・
私が感じているのは、受け入れられなかったらどうしようという感覚
受け容れられたって、自分の価値が認められたってことで、全てのものというつながりの中で認められることよりも、
相手に、印象付け、そして巻き込み、目標に向かっていく上での「受け容れOK感」です。
最近、その目標をもう少し、自分だけではなく周囲にも受け容れられるものにする必要を感じています。
社会と調和しながら、自分らしさを大切にしていくこと、で「親交・親密」の時間を得る・・・(とおもむろに交流分析に飛びますが)
で、禅を組むことになりそうです。
私は自分がタイプ3だということを、最初は直感で「なるほど、わかるかも」と納得し、その後は時間をかけて「ぎゃー、確実に3だわ」と腑に落ちました。
タイプ3の特徴である「効率主義、結果重視、イメージありき、自分の感情にアクセスしにくい」などは、最初は「え、全然違うけど?私はプロセス重視で、カッコ悪くてもいいし、超ハートフルなのにぃ?」と思ったんですね~。
でも、内観を繰り返すうちに、やっとやっと、タイプ3の特徴すべては、自分の中では「前提」であり、あまりにも「自然、当たり前」なことだった、ということに気付きました。
それまで無自覚・無意識に「テキパキとイメージ作り&感情コントロールと称する感情無視」をしていたことに気付きました。
気付くだけでずいぶん違うなぁと。
そしてやっと最近、性格には良いも悪いもなくて、ただそういう「特徴」なんだな、と分かるようになりました。
それにしても、はるさんが「若造」とおっしゃる謙虚な姿勢は素晴らしいです。タイプ3の人は、実はすごく正直に開示できる力があるんじゃないかな、と思います。
坐禅を組みにいくだなんて、超素敵!!!!
あー私も座禅したいーーー。
久しぶりのエニアネタでした。
>「前提」であり、あまりにも「自然、当たり前」なことだった
そうだったんでしょうね・・・
当たり前のようにできて当然だと思ってるから、テキパキできない時、多大なストレスを感じ、理想に向けて上手くいかない時、落ち込みがひどいのかもしれません。
自分が効率よく自分の短期的・長期的いずれの目標を達成するために妨げになるようなモノは簡単に切り離します。
感情を大きく波打たせるものも邪魔です。
そんな習性に気づいて、切り離すことだけが解決方法でないことも知りました。
自分を知ると、外部環境のせいにせずに済むので、振り回されることが少なくなりましたね。
厳密には振り回されていることに気づくことができるようになったということです。
坐禅は、この硬い股関節でどうしようかという悩みはありますが、8月からになると思います。
自転車で行けるお寺に行きます。
曹洞宗はピシャリとされないようです。
またレポートします。