大本山石山寺のおみくじ売り場に、びわ湖トラストのCF募金箱が設置されました。ぜひ、訪れて募金をお願いします。
【私説石山寺縁起】
石山には、紫式部が源氏物語の構想を練ったと言われる石山寺がある。あくまで言い伝えなので事の真偽は確かではないが、京都や滋賀には紫式部伝説が多い中で、石山寺が世界最古の長編小説とまで言われる源氏物語の誕生地だとすれば、これほど素晴らしいことはない気がする。
話によると、このお寺は硅灰石(けいかいせき)という石灰岩にマグマが侵入してできたという、大変珍しい石の上に立っているのだそうだ。だから石山寺というのか、などと妙に感心してしまう。
石山寺は七四七年に建立されたから、奈良時代の中頃の話である。聖徳太子が持っていた観音菩薩像を祀っているというのだから、一級品のパワースポットと言っていいだろう。観音菩薩というのは、般若心経の初めに出てくる観自在菩薩と同じ意味で、智慧を司る菩薩のことである。ラマ教の教祖であるのダライ・ラマは、この観音菩薩の生まれ変わりと言われている。ちなみに、ダライというのは、『海のように深い知識を持つ人』という意味のモンゴル語なのだそうだ。
石山寺ほど平安時代の女流作家と深い縁があったお寺はない。蜻蛉日記、更級日記、枕草子、源氏物語などを著した当時の著名な女流作家がこのお寺を訪れた記録が残っているらしい。おそらく観音菩薩の導きだろうという話だが、瀬田川に面した景勝の地が、当時の女流作家たちの信仰心をかき立てたのではないだろうか。
「あれ、こんなところに変なおじーさんの像がある」
JR石山駅から京阪石山駅の改札口へ向かうテラスに、杖を持った人の銅像が立っていた。
「松尾芭蕉って書いてある。あの俳句の芭蕉のことかな。たしか五七五の人だよね」
「きっとそーだよ。そう言えば、石坂線の途中に芭蕉の墓があるって聞いたことがある」
「えっ、そんな場所があるの。どこどこ」
「たしか膳所駅と石場駅の間かなー」
「やはりそうだね。大津市馬場一丁目だ。芭蕉は遺言で一六九四年に、義仲寺(ギチュウジ)に埋葬されたらしいよ」
国語の時間に習った芭蕉の俳句を思い出した。
行く春を 近江の人と 惜しみける
芭蕉って、それほどに近江が好きだったのだろうか。この句が作られたのは、一六九〇年らしい。芭蕉は大津にいて、俳句の弟子たちと一緒に、過ぎ行く湖辺の春を惜しんでいたのだ。
「ギチュウジって、漢字では義仲寺って書いてあるね。木曽義仲のお墓もこのお寺にあるのかなー」
「そうだね。木曽義仲の奥さんだった巴御前(ともえごぜん)が、義仲の死後この場所に墓を作って菩提を弔ったようだね。はじめの頃は無名庵(むみょうあん)と言っていたらしいけど、その後、義仲寺と呼ばれたのだって。芭蕉は義仲の熱烈なファンで、たびたびこの場所を訪れて弟子たちと句会を開いていたみたいだね。その頃の義仲寺は琵琶湖に面していて、とても風情があったらしいよ。芭蕉が作ったこんな句もある」
世の夏や 湖水に浮(うか)む 浪の上
この句は、一六八八年に芭蕉が琵琶湖の湖畔で作ったもので、井狩昨卜(いかりさくぼく)という弟子の家に招かれたときの作だ。おそらく、琵琶湖に面した部屋だったのだろう。暑い夏だというのに、浪が打ち寄せ、まるで自分の体が水面に浮かんでいるように涼しく思われる。そんな意味の句なのだろうか。
今でも琵琶湖の湖岸に立つとき、この湖が持つ長い歴史と湖の大きさを感じることがある。
その風情を芭蕉は心から愛したのかもしれない。
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