琵琶湖北湖に葛篭尾(つづらお)崎という岬がある。
大正時代に、この沖合、水深20mから70m付近の湖底から縄文時代の遺物が発見された。
中には平安時代(7-8世紀)のものも混じっていることから、神事として奉納したという説もある。
しかし、古いもので9000年前の土器もあったりして、結局、何を意味しているのかよくわかっていない。
まさか9000年前に神事を行っていたということもあるまい。
今なお、謎に包まれたままである。
私は、津波によって流されてきたのではないかと思っている。
というのは、塩津湾の奥から流れ出たとしたら、このあたりで水流が弱まるからである。
湾は、入口が狭まっているが、中は広くて深い。
塩津湾は、琵琶湖で一番大きな湾だ。
そう思って調べると、平安時代に塩津の港にあった大きな神社が津波で流されたという記録があるらしい。
元暦2年(1185)のことだ。
当時の日記「山塊記」には、大きな地震が起こり琵琶湖の水が北に向かって流れたと記されているそうだ。
ということは、縄文時代にも大きな津波があったことを物語っている。
つじつまは合いそうだ。
琵琶湖で津波が起こる可能性は、部分的な陥没もしくは隆起か、大きな崖崩れが起こった場合である。
じつは、それらの両方の痕跡が、琵琶湖の湖底には残っている。
くれぐれも気を付けていただきたい。
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