そうか。
来年は、3.11で亡くなられた方々の13回忌になるのか。
時がたつのは早いものだと、最近つくづく感じる。
2011年5月に南三陸町を訪れた時、津波の生映像を見せてもらって、人の生死の無常さを再認識させられた。
濁流に流されてゆく遭難者の断末魔が、ロシアの無差別爆撃に晒されるウクライナの人々の姿に重なる。
狂い始めた自然の猛威
修羅とも思えるプーチンの所業
果てることなく続くウィルスの感染
生きとし生けるものたちが、生まれ、育ち、死滅する。
昨日まで確かに呼吸をしていたものが、今日、突然動かなくなる。
「死はもしかしたら、生命体が秩序立った量子の世界との結びつきを断ち切られ、熱力学のランダムな力に対抗するパワーを失うことかもしれない」
書籍『量子力学で生命の謎を解く(Life on the Edge)』の一節である。
当時は眉唾な話かなと思っていたが、今年のノーベル物理学賞で驚いた。
「もつれ合った光子を用いた実験,ベル不等式の破れの確立と量子情報科学の開拓」が受賞理由となっている。
いわゆる量子のもつれの証明である。
こう考えると、死はそんなに特異な事象ではなく、単に量子のもつれがなくなるということなのかもしれない。
此岸から彼岸へ移ることが死であることを説く仏教のように、三途の川が熱力学のランダムな力なのかもしれない。
いずれにしても、災害や戦争のような巨大なエネルギーの暴走によって、生命を紡ぐ量子のコヒーレントな秩序が破壊されることは、御免こうむりたい。
今年、不幸にして亡くなられた多くの方々や生ある物の冥福を祈りたい。
彼らの量子は、今、自由エネルギーとなって空間に解き放たれたのだろう。
そう思えば、少しは気が鎮まるようだ。
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