ブラジルから沖縄へ戻る10日ほど前のことです。ふと目が覚めると、私は病院のベッドの上に横たわっていました。夢ではないかと思い、何度も自分の服を見て、うん確かに、私は昨日、この服を着ていた・・・と確認していました。
通りがかった看護婦さんに「何があったんですか?」と尋ねると、「あなた、バスの中で倒れて、ここに救急車で運ばれてきたのよ」。えっ、何のこと? さっぱり理解できない。確かに、首が痛いし、腕にはアザがありました。
点滴は打たれているし、体が痛くて、寝返りを打つことさえできません。家に電話をして、自分が病院にいることを伝えなくては・・・と思うのですが、起き上がる力がありません。
看護婦さんに、「家族に自分が病院にいることを伝えたいから、電話してくれますか?」と聞くと「あなたのダンナさんと息子さん、昨日、病院に来てたわよ」
そんなのウソに決まっている。誰か別の人と間違えているんだ、この看護婦さん。
しかし何が夢で、何が現実なのか、もうろうとして、何が起きたのか、さっぱりわかりません。病院のある場所を聞いて、サンバのブーツを取りに行くところだったのかな~と自分の行動を想像していました。
また、別の看護婦さんをつかまえて、家に電話をしてくれるように頼むのですが、「オレリャン(公衆電話)ならそこにありますよ」
と言われても、私は起き上がることもできなければ、テレフォンカードも持っていません。次に通る看護婦さんには、「あとで電話代は払いますから、家に電話かけてもらえますか」とお願いしました。
しかし、今度の看護婦さんは、「ここは、外線電話がないんですよ」とどうにもなりません。
家に電話をするのは無理だとあきらめた頃、廊下の向こうから「オ・ペイシ・キ・リ」の魚が太鼓をたたいている、青いTシャツを着た夫がやってきました。
あ~、私がこの病院にいることがわかったんだ、とひと安心。聞いてみると、昨日も確かに息子と一緒にこの病院へ来たそうです。「①今日は2007年3月23日(金) ②昨日、バスの中で頭を打ち、一時的に記憶がなくなっていす・・・」と目が悪い私のために大きな文字で書いたメモを置いていきました。
メモの裏には、9歳の息子の「お母さん、早くよくなってね」とのメッセージがありました。
家族との連絡がついたことで、すっかり安心し、その日の夕方には退院することができました。
どのような状況で、こんなことになったのか、未だに事故の前後12時間くらいの記憶は全くありません。
しかしながら、倒れた私を見捨てずに救急車を呼んでくれた人、面倒をみてくれた病院、看病をしてくれた夫と息子に感謝をしています。こうして、無事に沖縄まで戻って来ることができたのですから。