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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

練習場所がなくなる! 2

2009-09-26 | サンバ
 私たちのサンバの練習場所がなくなる。
 本当にそうなってしまうのか、サンパウロ市から退去命令を受けている、という期日の直前の土曜日、ドキドキしながら、練習場所に足を踏み入れました。

 その途端、すぐに答えはわかりました。
 カーニバルの衣装の山はきれいさっぱりと片付けられ、バテリア(打楽器隊)の部屋も楽器がなくなり、ガラーンとしていました。

 もう、この練習場所から出て行くことは決定的です。
 
 愕然としました。

 ジョーベンの広い練習場所には、住み込みのスタッフが3人います。そのうちの1人に「出て行くんだね」と声をかけると、彼は目に涙を浮かべていました。

 昔からいる役員に「どこに引っ越すの?」と尋ねてみると
 「アキは、ジョーベンのファミリアだから、どこへ行っても、これからも一緒だよ。またこの場所に必ず戻って来よう!」
 彼も、もう、えらく感傷的になっていました。

 私にとっても思い出がたっぷりつまったクアドラ(練習場所)です。

 思い切りサンバを踊った会場
 4回のコンテストに出場したステージ
 去年、カーニバル直前に突然、病死してしまった、ハイーニャ(女王)カーリンとおしゃべりをしながら着替えたトイレの片隅
 荷物を置いていたバテリアの控え室
 サッカーのチケットを買った事務所
 コンテストのミーティングをした応接室
 カーニバル当日のみんなの集合場所
 
 さまざまな思い出があります
 
 その場所と本当に今日でお別れなのです。
 チームの旗の前で、バテリア(打楽器隊)に入るタイミングを待っているとき、
「この場所で踊るのも最後だね・・・ 」とコルチ(王室)の女の子たちと話していると、私は思わず涙ぐんでしまいました。

 新人の女の子に「アキ、泣くな!」と励まされ、ぐっとこらえて、いつもの踊りに入りました。
                                 (続く)
 
 
 
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サントスFC監督とツーショット!

2009-09-15 | サッカー応援
 毎年、この時期になると、サントスFC応援団サントス支部の創立記念パーティーがあります。応援団本部は今年40年を迎え、サントス支部は15年なります。
 
 今年は球場のサロンでパーティが行われました。私たちは、バス1台にギュウギュウ詰めで、サンパウロから楽器と旗を持って駆けつけました。

 ふだんサッカーの試合をやっている球場のすぐ横にあるサロンでのショー。いつも、この真横で選手が試合をしているのかと思うと、それだけでわくわくします。
 地元サンバチームも招いて演奏交流。バテリア(打楽器隊)の前で、ハイーニャ(女王)とプリンセーザ(王妃)である私の2人で、永遠、踊り続けました。
 
 そのステージに現れたのが、なんとなんと、サントスFCナンバー1の時の人、ルセンブルゴ監督です。彼も一瞬ですが、バテリアの前で我々と踊り、ステージで往年のサンバを歌いました。
 
 球場では、選手を怒鳴りつけてばかりいる怖い監督、というイメージがありましたが、実は、とってもサンビスタの監督だったんですね。

 それに、「君たち応援団は、サントスFCの選手として戦っている」と監督は、私たちに激励の言葉もくれました。

 そして、ショーが終わって球場を出たところで、私はルセンブルゴ監督と一緒にツーショットを撮ってしまいました! やった!!!

 後でそれを知った小学6年生の息子は、「監督に選手、誰を使うのか、色々聞きたいことがあったのに・・・」と、とても悔しがっていました。
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練習場所がなくなる! 1

2009-09-07 | サンバ
「31日までにサントスFC応援団が退去しなければ、機動隊を突入させる」
 こんな突然の通告が、サンパウロ市から、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンに突きつけられました。

 私たちのサンバの練習場所はどうなるのでしょう。他の多くのサンバチームと同様、ジョーベンは市から無償で土地を借りて、練習場所、クアドラを作っていました。

 私がジョーベンに入ったときは、まだこの土地はなく、私の家の近くのプラッサ(広場)で、屋根もないところで練習していました。しかし、病院が目の前にあり、いつも騒音の苦情を受けていました。

 市の土地を借りることになったのは、11年前のことです。当時、間借りしていたジョーベンの事務所で、役員のおじさんにジムや、フットサルのコートもあるクアドラの図面を見せてもらい、夢のような練習場が出来るのだな、と思っていました。

 最初は、当然のことですが、ただ、だだっ広い、泥んこの土地があるだけでした。サンパウロ東部の田舎です。住所を頼りに行ってみると、バスの運転手もバス停があることを知らないほど、人の行き来がない辺ぴなところでした。

 このだだっ広い土地に、屋根を作り、壁を作り、部屋を作り、事務所を作り、楽器の保管場所を作り、バテリア(打楽器隊)の部屋を作り、ステージを作り、サッカーコートを作り、二階にVIP席を作り、売店を作り・・・

 この11年で、お金が貯まるたびに、少しずつ工事を進めて、ようやく今のクアドラが出来ました。
 それが、来週には、市に返還しなさい、というのです。

 応援団の本拠地、そして、私たちのサンバの練習場所はどうなってしまうのでしょう。

 

 
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