ブラジルマニア オ・ペイシ 名古屋サンバ 沖縄サンバ

沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

沖縄サンバカーニバル10周年

2010-11-30 | 沖縄サンバ

 2001年に私たちオ・ペイシが始めた沖縄サンバカーニバル。今年、10周年を迎え、大勢の皆さんのご協力の下、成功を収めることができました。参加した皆さん、大変お疲れ様でした。

 今年は新しい試みで、パレード会場を各グループがブロックごとに移動をする、ということをやってみました。これが複雑な動きで、前日まで、実行をしていいものかどうか、迷いがありました。
 当日の朝の練習でも、まだうまく機能をしておらず、心配ではありましたが、後戻りをするわけにもいかず、誘導のスタッフの力を信じて、当初の予定通り行いました。
 
 オ・ペイシの原点でもあるコザ絵巻にも有志で参加し、途中、休憩はあったものの、5時間に及ぶ大イベントでした。
 
 カーニバル前の3日間は、あまりに慌しく、沖縄スタッフは、ご飯を食べる物理的な時間も、精神的な余裕もありませんでした。
 
 多くの参加者には、混乱を招くので、あえてお知らせしませんでしたが、9月からの準備段階で、心ない人が、私たちのカーニバルの妨害をし、2カ月以上にわたり大変な交渉がありました。

 なぜこんな思いをしながら、カーニバルをしなければならないのか、と思いましたが、オ・ペイシには、10年かけて、みんなで育て上げたカーニバルを守る責任があります。

 とりあえず、10年目のカーニバルが終わりました。やれやれです。
(パレードの写真が1枚もないので、撮影をした方は、ご提供ください。写真は、コザ絵巻の出発前です)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またしてもサンバの友が・・・

2010-11-04 | サンバ
 信じられない訃報が届きました。
 サントスFC応援団で一昨年まで、長年メストレ・サラ(旗持ちカップルの男性ダンサー)をやっていた、デメトリスさんが病気で、先週、亡くなりました。30代の元気なダンサーでした。
 日本移住100周年の年には、同じサンバチームのよしみで、沖縄県人会の100周年パーティーで一緒に踊ってくれたデメトリス。奥さんや2歳の娘さんも来てくれ、楽屋でお寿司をみんなで和気あいあいと食べた思い出があります。
 
 彼は、本当はサントスファンではなく、宿敵コリンチャンスファンなのですが、7年、ジョーベンのメストレ・サラをやっていました。カーニバルのテーマが「紙」だった年には、成田空港で、彼にメストレ・サラの小道具、紙製の扇子を買って行ってあげたこともありました。

 去年は、彼はカイシャ(スネアドラム)を叩いて、パレードに出ていました。
 私の周囲の若いサンビスタ(サンバ人)が次々に亡くなっていく気がしてなりません。

 このチームでは、現役のハイーニャ(サンバ・クィーン)が亡くなってもうすぐ3年。私のもう一つのサンバチーム、モシダージ・アレグレでは、アーラ(小集団)のリーダーが亡くなり、今年、初めてのカーニバルを迎えます。残された彼の家族の真横で、毎週、日曜日、練習をしながら、家族の思いを察すると胸が痛いです。

 悲しみのすぐ隣合わせにあるサンバ。それでもカーニバルは毎年続いていきます。

 私たちの沖縄サンバカーニバルまで、いよいよあと23日。こちらも、さまざまなハードルを越えて、続けていかなければなりません。

 〔写真〕左側の男性がデメトリスさんです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする