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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

洪水でもサンバイベント

2011-03-23 | サンバ
 カーニバル前の話に戻りますが、恒例の最後のイベントの日、サンパウロは大洪水に見舞われました。
 サントス行きのバスが出発する練習場に行こうにも道は大渋滞。これでは出発時間に間に合わないと思い、途中でバスを降り地下鉄に。しかし地下鉄も改札口から人があふれ出ていて整理入場です。

 途中、同じチームの仲間と会い、出発予定時間を過ぎているので小走りで行きましたが、唖然としました。練習場へあと50メートルの場所で、水が電話ボックスの高さまで来ている大洪水。もう海です。幹線道路も車が完全にストップ。これでは私たちが乗っていたバスがここまで到達できるわけもありません。

 洪水を見て、すっかり固まってしまったチームのメンバーが10数名。
「こりゃ、舟がないとクアドラ(練習場)までたどり着けないね」と真顔で話しました。
 こんな大洪水で、今日のサントスのイベントは、もうあるわけない、クアドラにあるサンバの楽器も取り出すこともできない、ということで、メンバーが1人、また1人と断念して帰って行きます。

 私もこりゃだめだ、と内心思いましたが、コルチ(王室)の一員として、さっさと帰るわけにもいかず、「もう今日はイベント中止だよ」という夫を引きとめながら、自分の身長より高い位置まで溜まっている泥水を橋の下で雨をしのぎながら、見ていました。

 2時間後に残留メンバーは、我々夫婦を含めて5名のみ。少し水は引いたかな~と思いクアドラへ近づきましたが、まだ無理。
 別の場所で雨宿りをし、ようやく雨がおさまったころ、クアドラへ行ってみると、カーニバル直前の追い込み制作をしていた人たちが、みんなモップを手に水を外へ掃き出しています。

 今年4回目、クアドラは大洪水に見舞われました。洪水の後片付けに各地を回っている市の清掃車が来て「このチームはいつパレードなの?」と心配そうに見ています。
 こんな状況でも、この日、サントスへ出発しました。

 ハイーニャ(サンバ・クィーン)もタクシーの中で2時間動けず、さらに1時間以上歩いて、とへとへとになりながら到着しました。
 サントス球場では、雨の中のパレード。それでもみんな、来るのですから大したものです。
 サンビスタ(サンバ人)はこうでなければいけないですね。(笑)

 (写真は、大洪水の後、決行したサントス球場前のサンバイベント)

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ジョーベンのカーニバル2011

2011-03-11 | サンバ
サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンのカーニバルが終わりました。

 この日を迎えるまで、本当に色々なことがあったので、無事に終わって、とにかくほっとしました。
踊っている途中に、審査員の目の前で、衣装のパーツがごそっと落ちてしまったら・・・、バテリア(打楽器隊)の前で転んでしまったら・・・とあらぬ心配をして、ドキドキしていました。
衣装のチェックは、家で何回もしました。
 
 私たちコルチ(王室)は、直接の審査項目にはなっていませんが、2,000人の隊列の中で一番注目されるバテリアの前、という重要なポジションです。
 しかも、ジョーベンにとって、初めての大舞台。2部リーグ初出場です。

 スタートの直前には、王室4名と私たちのコーディネーターとで、バテリアの脇で円陣を組み、お互いの手を握りながら、「神が私たちを守ってくれますように・・・」というカトリックのお決まりのお祈りを心を込めてしました。

 パレードコースに入ってからは、ダンサー4人の配置に注意しながら、お互いアイ・コンタクトをして、なるべく大きく動くように進んでいきました。
 バテリアの停滞位置に入ると、私たちの真正面は審査員がずっと見ている場所です。

 そこで信じられないことが起きました。ただ事が大きいわりには、誰もあわてることなく、気がついていないようなので、審査員もどうか気がつきませんように・・・と願いました。

 そんなアクシデントなど忘れてしまうほど、ジョーベンのパレードは素晴らしかったです。
 こんなジョーベンのパレードは、この15年、一度も見たことがありません。

 今はとにかく無事終わったことが嬉しいです。

〔写真はパレードコースに入ったばかりの打楽器隊。一番左が私、一番右がハイーニャ(サンバ・クィーン)〕
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16年目のカーニバル 山車が・・・

2011-03-08 | サンバ
 2011年、サンパウロの我々のカーニバル、何とか乗り切ることができました。私たち夫婦にとって16年目のカーニバルです。
カーニバルにはハプニングがつきものなので、そんなに驚くことではないのですが、モシダージ・アレグレもサントスFC応援団のトルシーダ・ジョーベンもパレード中に大きなアクシデントが起きてしまいました。

 3,200人の参加者の最後尾がゴールに入ると、緑のゲートが閉まります。いつもなら、ゲートが閉まったと同時に、みんなで大喜びをするのですが、今年は誰も喜ぶことなく、シーンと静かです。アルモニア(統制係)の主だったメンバーが泣いています。成功の感激の涙ではなく、悔しさをかみしめるような静かな涙です。

 私が出た場所は、前の方なので、後列で何が起きているのかはわかりません。練習にいつも来ている知り合いに聞いたところ、モシダージでは、4台目の山車の車軸が壊れて、パレードコースに出ることができなかったようです。
 この車は3Dの効果を駆使したハイテク山車だっただけに、装置の重さに耐え切れなかったのでしょう。

 私が好きなダンサーが、4台目の車で踊ると聞いていたので、彼女が来るのをゴール地点で待ち構えていたのですが、確かに彼女の姿は見ませんでした。
 出発前にテクノの一団がバッチリの化粧をして、4台目の山車に乗っているところを見たのですが、彼らも来ていません。
 練習をよくしていた人たちが出場できなかったとは、残念でなりません。

 2003年以来、この8年間、毎年3位以内に入っていたこのチーム。そんなにいいことばかりは続きません。1999年、バイーアをテーマにした年も車が重過ぎて、壊れてしまい、7位になったということもありました。

 沖縄サンバカーニバルでも、山車は無事に移動できるよう、本当に気を使います。

 明日、結果発表ですが、山車が大きく響かないことを願うばかりです。

 ジョーベンについては、また後日書きたいと思います。こちらも、明日の結果に影響がないことを願うしかありません。
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カーニバル衣装を今さら・・・

2011-03-02 | サンバ
 多くのサンバチームでは、今年のカーニバル、最後の練習を迎えました。
 最後の練習は、毎年のことながら、いつも感動があるので、また後日、書きたいと思います。
 
 サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの衣装については、今年も最後のドタバタがありました。
 
 バテリア(打楽器隊)の前で踊るコルチ(王室)の衣装は、「大きくてはいけない」。こんなお達しが、カーニバル2週間前になって、突然、チームで出ました。でも、私の衣装は、チームのカルナバレスコ(舞台監督)が作ってくれたこのデザイン画の通り、かなり大きいです。

 そして何よりも、衣装はすでにもう出来上がってしまっていて、今さら直すことができません。
 ハイーニャ(サンバ・クィーン)と2人、顔を見合わせ「どうしようね」。

 衣装は小さい方が踊りやすいに決まっていますが、10月からもらっていたデザイン画に従わないわけにはいきません。

 デザイン画になるべく忠実に、と試行錯誤をしながら衣装を作っていた夫も「そんな今さら・・・」と言葉がありません。

 衣装を着用して色々な方向から写真を撮り、大きいけれど、決して大き過ぎはしない、ということを認めてもらい、何とかOKをもらいました。最後の最後まで、色々なことがあります。

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