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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

2009年カーニバルの曲が決定!

2008-08-31 | サンバ
 サンパウロの主要サンバチームでは、2009年のカーニバルの曲を選曲会(エリミナトリア)で絞り込んでいる最中です。
 我がサントスFC応援団のサンバチームでは、今日、選曲会の決勝で、来年のカーニバルの曲が早くも決まりました。

 発表の前には、去年の歌をもう一度みんなで演奏し、歌い、別れを告げます。もったいつけて、1981年の歌までさかのぼって演奏しました。

 いよいよ発表です。応援団の団長が、ステージで、優勝した作曲者の名前を呼び上げます。予想通りの結果でしたが、優勝者は大喜びして、飛び上がっています。

 私たちコルチ(王室)は、バテリア(打楽器隊)の前でスタンバイをして、2009年の歌に決まった曲を初めて踊りました。サビは、5回の選曲会で聴いて覚えていましたが、フルコーラスを踊るのは初めてなので、何とも新鮮です。
 この曲をこれから、さんざん歌い、踊り込むことになるのです。

 応援団の会長もポルタ・バンデイラ(旗持ち)もみんな、いい表情をしていました。また新しいカーニバルの始まりです。
 練習場の入口では、チームの役員が、大きな筒の花火を持ち、祝福の花火をバンバンと威勢いい音を鳴らしてあげていました。

 来年のテーマは、「紙」です。エジプト文明のパピルスから、現代の紙のリサイクルまで、壮大な紙の歴史を語っている歌です。この新しい歌に、これから、さまざまな思いが込められるようになると思うと、何とも愛おしい歌に感じてなりません。

 さあ、2009年のカーニバルも頑張るぞ! 
 その前に「沖縄サンバカーニバル2008」があります。こちらも成功させなくては!

 

 
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沖縄ブラジル100周年 1

2008-08-28 | 沖縄ブラジル
日本人ブラジル移住100周年の式典は、6月にありましたが、沖縄のブラジル移住100周年の式典は、8月でした。
 沖縄でサンバカーニバルを行っている私たち、オ・ペイシにとって、これは、日本全体の100周年以上に重要なイベントでした。ブラジルの沖縄県人会の役員さんとは、サンバはどのように出場するのか、去年から話をしていましたが、なかなか具体的な内容が決まらず、直前まで、かなりヤキモキしていました。

 オ・ペイシを沖縄ブラジル100周年で起用してもらおうという狙いがあって、私は県人会の行事には積極的に加わっていました。
 もちろん、興味もあってのことですが、例えば、「ミス・琉装コンテスト」があるから審査員をしてくれ、と頼まれれば、日曜日の朝から夜10時までのイベントで審査をやらせてもらい、とある支部でサンバを踊ってくれ、と言われれば、サンバチームに行きたいのを我慢して、県人会の行事を優先させました。県人会役員の関係のバンドプロフィールを翻訳してくれ、との頼みもすぐに引き受けました。

 自分としてはできる限りのことは、やってきたのですが、それでも、肝心の沖縄100周年でのサンバがなかなか見えてきません。あまり動きがないので、一時は、これは、もう何もないかな、とあきらめかけたくらいです。

 結果としては、8月23日(土)は、ビラ・カハン支部でサンバパレード、8月24日(日)は、ジアデーマの沖縄文化センターでステージ、そして25日(月)は、リベルダージの沖縄県人会でステージと3日連続のイベントが決まりました。

 この3日連続の沖縄100周年のイベントは、今、振り返るとカーニバル出場のようなものでした。朝、目が覚めると、家の中が昨日の衣装で埋め尽くされており、体も疲れきっているのですが、またすぐ、今日のイベントに向けて衣装の準備をしなければならない・・・という、実にあわただしい3日間。
 しかも、その間に、サンバチームの練習に出たり、仕事に行ったり、とカーニバル期間中にはない、プラスアルファーの用事が入っているのです。

 すでに、楽しかった思い出となっていますが、個々のイベントについては、次回のブログで書きたいと思います。

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首切り会議 2 バテリア控室にて

2008-08-04 | サンバ
 カーニバルが近づいてくると、メンバーは、日に日に神経質になってきます。
前回の王室メンバーを決める、チームの会長の意見を聞く「首切り会議」のあと、バテリア(打楽器隊)の前で踊る女の子たちの人間関係は、非常にギスギスとしてきました。

 会長から首切りを言い渡された女の子からは、私の家に電話がかかってきて、自分の進退はどうなるのか、と聞かれましたが、私の口からは言うわけにいかず、「レアンドラが王室のコーディネーターになったから、彼女に聞いてみたらいいよ」とお茶をにごしたような返事しかできませんでした。

 翌週には、バテリアが練習の仕上げをしている最中に、王室メンバー全員がバテリアの控室に集められました。
 レアンドラがみんなに「本当はこの中に、すでにコルチ(王室)から外されている人がいるのだけど、特別に猶予を与えてあげます。その代わり、これからカーニバルまで1回でも練習を休んだ人は、もうバテリアの前から、外れてもらいます」

 ハイーニャは、そんなのは当然だという顔をして聞いていましたが、とあるダンサーは、「そんなの無理。12時過ぎたらバスがないんだから、もう帰ることができない」と反論しました。
 私も全体練習は、全出席していましたが、土曜日のバテリア練習は他チームと重なっていて来ることができません。
 カーニバルまで3週間で、1回も休めない、というのは、私にとってもかなり厳しい条件です。しかし、レアンドラは、「アキを見てごらん。彼女はバスで来てるのに、ずっと練習に出てるよ」とフォローしてくれました。

 このチームは、バスで行くには、非常に不便です。練習が終わるのは、午前2時、3時。それから誰か車に乗せてくれる人を見つけない限り、帰ることができないのです。
 反論をした子は、今度はハイーニャに向かって「あなた、どうやって帰るの」。
ハイーニャは、「彼氏が車で送ってくれる。でも私は、今、母親が入院していて、ICU(集中治療室)に入ってるけど、それでも、練習に来てるよ」とキツイ口調で返しました。

 それから、話が発展し、とある子が、以前、ハイーニャにプレッシャーを与えることを言った言わない、ということにまでなってきました。

 私たちのミーティングが長引いているので、会長がバテリアの控室をのぞきに来たくらいでした。

 以前、ダンス友達が、とあるチームの王室メンバーに入選したけれど、地元の女の子に顔をぶたれて、もうあのチームには、二度と行かない、と言っていたことを思い出しました。
 私は、新顔だから気をつけなければ、と気を引き締めなおしました。

 カーニバル当日、バテリアの前は、一番、華のあるポジションですが、それまでは、かなりドロドロした人間関係があります。まあ、どんな世界もそうだと思いますが・・・。
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