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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

コンゴーニャス空港

2007-07-22 | ブラジル
ブラジルの国内線、TAM航空がサンパウロのコンゴーニャス空港で墜落して、200人が亡くなった事故から今日で5日になります。事故当日、真っ赤に大炎上していた現場は、今でも煙が立っており、消防士は遺体を探し続けています。ブラジルの飛行史上、最悪の事故だそうです。

 ポルトアレグレ発サンパウロ着のこの飛行機には、167人の乗客が乗っていました。ポルトアレグレでの仕事が予定より早く終わり、サンパウロの家族のもとへ早く帰るために、予約の時間を早めてこの便に乗ったビジネスマンがいました。

また別の男性は、ポルトアレグレの親戚を家族3人で訪ね、一緒の便が取れなかったために、自分1人だけが先の便でサンパウロに戻りました。後の便で来る奥さんと1歳半の息子さんをコンゴーニャス空港で待っていたところ、奥さんたちが乗っていた飛行機が墜落し、「なぜ自分もこの便に乗らなかったのだろう」と何度も繰り返し、悔やんでいたそうです。

コンゴーニャス空港は、サンパウロ市中心部の近くにあり、付近には高層ビルが立ち並び、パイロットはその間を縫うようにして、着陸します。空港の前の道路を車で走っていても、飛行機の離着陸が目の前で見ることができるほどです。

空港ができた数十年前は、周囲は空き地に近かったのに、サンパウロの急速な発展で、コンゴーニャス空港の周辺は、大都会になってしまったのでしょう。1日に600便もの飛行機が発着しているそうです。

事故の原因は、①滑走路の整備が不完全で、雨で滑った ②機体の右ブレーキの一部が故障していた ③空港が狭い などさまざまな見解が出ていますが、解明はこれからです。

今回の飛行機事故のニュースを知るにつれ、どこかと似ている、と思いました。私が7年間暮らした沖縄の嘉手納基地や普天間基地です。
米軍の元空軍パイロットが言っていましたが、「着陸するときに、民家がこんなに近くに見える空港は、他の基地にはない」とのことです。実際、自分の沖縄滞在中に、ヘリコプターが普天間基地のすぐ近くの沖縄国際大学に墜落しています。

コンゴーニャス空港も危ないですが、海水浴をしていて米軍のパイロットの顔が見えるほど飛行機が近くを飛ぶ沖縄の状況も本当に危険だと、地球の反対側に来て、つくづく思い知らされました。
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サンバの女王 ナニ ③

2007-07-19 | サンバ
 このシリーズのブログの続きを楽しみにしている、とのお声を何人かの方からいただき、読んでくれている人がいるのだと、嬉しく思いました。昨日、サンパウロの飛行機墜落事故で200人以上もの人が亡くなったので、そのことを書こうかとも思いましたが、サンバ女王の話を待っていてくれている方がいるなら、先にその続きを書くことにしました。

 我々が出演した「アナ・マリア・ブラガ」というテレビ番組は、日本でいえば「徹子の部屋」に相当するでしょうか。名物女性司会者、アナ・マリアが次々に色々なゲストを迎えて話をする、という全国放送のトーク番組です。
 カーニバル中に花火でやけどを負ってしまったナニと我々親子3人日本人サンビスタは、同じサンバチームですが、さすがに話の内容が全然違うために、別のコーナーで紹介されています。

 ナニのコーナーでは、悪夢ともいえる花火が顔に当たっているシーンを映しながら、アナ・マリアがナニにさまざまな質問をしていました。頭飾りの花火の仕掛けは、パレード前にナニ自身が付けたこと、花火が顔に吹きかかり、頭飾りを取ろうとしても、踊っている途中に頭飾りが外れないように、しっかりと結びつけているので、全然取れなかったことなどを話していました。
また、パレード会場で見ていた人は、これは審査員を驚かせるための演出ではないか、と思った、という話も出ていました。

このテレビのナニの話で、とっても強烈だった一言があります。
「どうして、こんなにひどいやけどをしたのに、踊り続けることができたんですか」との質問に、ナニはしばらく考えた後に、きっぱりと答えました。
「サンビスタの強さです」

 サンビスタとは、ポルトガル語で、サンバをする人、という意味です。彼女は、さらにこう続けました。
「カーニバルの一日のために、サンビスタは一年がかりで、ずーっと練習するんです。あんなに練習したのに、一瞬の事故のために、たとえ痛くても、踊りをやめようとは思わないんです」

「サンビスタの強さ」(Força de Sambista)の一言は、私にとって非常に印象的で、その後もサンバで自分がつらくなると、このナニの言葉を思い出して、自分を励ましてきています。
(続きは後日のブログで書きます。)
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サンバ女王 ナニ②

2007-07-10 | サンバ
 カーニバルのパレード中、頭飾りの仕掛けの花火の位置がずれて、顔と手に大やけどを負ってしまった、我サンバチームのハイーニャ(女王)ナニ。パレード会場から救急車で運ばれたままどうなってしまったのか、と案じていると、カーニバルの翌々日のテレビのニュースで、病院からチームの代表者に付き添われて退院してくる彼女の姿が映っていました。
 左手は包帯でグルグル巻き、黒いサングラスをかけた彼女はテレビカメラに向かって「100%良くなりました」と静かに話していました。

 思ったほどひどくはなさそうで、少しは安心しましたが、やけどをしてしまうと痕が残ってしまうだろうな・・・と気になりました。別のチームのサンバ仲間との話でも、ナニのやけどはどうなってしまうのだろう、とみんな同情的でした。

 我が家にとって、この年最後のカーニバル行事は、トルシーダ・ジョーベンというモシダージと並んで、十数年ずっと出場し続けているもう一つのサンバチームのパレードでした。朝5時過ぎにこのパレードから家に戻り、30分も仮眠をとらないうちに、ブラジルの人気テレビ局グローボの車が迎えに来ました。

 この日、我が家の3人は、カーニバルの名物日本人一家として、朝の生トーク番組に出演することになっていました。テレビ局へ向かう途中、車のドライバーが、ナニのだんなさんは彼の同僚で、同じ番組に今日、ナニも呼ばれていることを教えてくれました。

 確かに控え室に着くと、私たちの部屋の前には、「ナニ・モレイラ控室」と表示が出ていました。ドキドキしながら、挨拶しにいくと、顔にも手にも包帯を巻いたナニがいました。

 チームのために、こんな姿になってしまったナニを見て、何と声をかけたらいいかわからず、「ナニ、尊敬するよ。やけどの方は大丈夫だよ。うちの息子も三度のやけどを負ったけど、痕はきれいに消えたから・・・」と言いながらも、色々な感情が交じり合って、涙が出てきてしまいました。
「泣かないで」と逆に私の方が彼女に励まされてしまいました。
 夫も彼女に「チームのためにいい仕事をしたよ」と声をかけました。

 この日、家に帰ってから、ナニが同じトーク番組で語っていたことを録画で見て、再び彼女のたくましさを実感しました。(続きは次のブログで書きます。)
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サンバ女王 ナニ ①

2007-07-07 | サンバ
 オ・ペイシでは、ブラジル一有名なサンバダンサー、ナニを講師に迎えて、サンバのダンスレッスンを開講することになりました。ナニをご存知の方も多いと思いますが、彼女がどれだけ素晴らしいダンサーか紹介したいと思います。
 ナニは、今年のサンパウロのカーニバルの優勝チーム、モシダージ・アレグレのサンバクィーン(ハイーニャ・ダ・バテリア)で、300人の打楽器隊員の前で1人堂々と8年間踊り続けています。
 
 一昨年のカーニバルでは、大事件が起きました。パレードの途中、打楽器隊(バテリア)は審査員の前で演奏をするのですが、モシダージはここ5、6年、この場を一番の見せ場であると考え、ナニを中心にバテリアが踊るなど演出に凝っていました。昨年は、この場所でナニの頭飾りから花火が出る、という仕掛けをしていたのですが、いざ、審査員の前に来たら、ナニの頭の上から出るはずの花火が、位置がずれてしまい、彼女の顔に向かってしまったのです。彼女はうずくまったまま、花火を避けることができないでいました。
 
 バテリアの最前列で演奏をしていた夫は、この一部始終を見ていました。「助けに行きたい!」と思うものの、ここで自分が動いたら、チームの減点になることは確実です。幸い、もしものために控えていた救急隊員が救助に入り、彼女の頭飾りを取りはずしました。

 ナニのすごいところは、この後、救急車の中でやけどの手当てを受けながらも、何事もなかったかのように最後までパレードを続けたことです。手と顔にやけどをした状態で踊り続けることができますか? 正直、私にはその自信がありません。 

 私はこの年のモシダージのパレードでは、バテリアよりも先に踊り終えてゴール地点に着いていたので、途中、何が起きたのかも知らずに、終点でバテリアの到着を待ちわびていました。ナニがゴールの黄色いラインを踏んだと同時に救急隊員が、彼女を抱きかかえて救急車に乗せ、サイレンを鳴らして物々しくカーニバル会場から救急病院へと搬送して行きました。

 この日のテレビのニュースでは、ナニがパレード中に、花火の仕掛けでやけどを負ったシーンが何度も放送されました。彼女のやけどは大丈夫なのか、同じチームの一員として心配しました。夫と何度となく、チームの優勝のために怪我人を出してしまう、というのはどういうことなのか、と話をしました。

 このパレードの3日後、思いがけず、ナニとテレビ局の控え室で会いました。
 
 (続きは次回のブログで書きます。)

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新鮮サンバレッスン

2007-07-02 | サンバ
 ブラジルに二度目の引越をして、1カ月が経ちました。ようやく生活が落ち着いてきたので、久しぶりにサンバレッスンを受けてみました。
 
 生徒の列に入って、人に教えてもらう、この感覚、なんて懐かしいのでしょう。考えてみれば、沖縄にいた7年間、サンバを人に教えるばかりで、自分が習う、ということは一度もなかったので、人に教えてもらうのは、いいな~と忘れていた感覚に感激しました。

 生徒同士の横のつながりもとっても強いクラスで、次回のレッスンの後には、生徒の誕生日会があるし、生徒たちでイベントも主催するし、サンバのダンスというキーワードで集まって来た人たちの「部活」みたいな雰囲気があります。

 ブラジル語で、生徒のことは、ALUNO(アルーノ)、女性の場合はALUNAというのですが、7年ぶりにサンバのALUNAの立場もじっくり体験していきたいと思います。

 
 
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