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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サンバ・クィーン コンテスト

2009-10-31 | サンバ
 沖縄サンバカーニバルが刻一刻と迫って来ました。
 先日、エントリーの締め切りとなったサンバ・クィーン コンテストには、過去最高の22人が申し込んでくれました。

 ブラジルのいわゆるハイーニャ(サンバ・クィーン)のコンテストを参考にして始めたこのコンテスト。沖縄サンバカーニバル本体と一緒に少しずつ大きく育ってきたと思います。

 最初の頃は、ブラジルのマネをし過ぎて、サンバ衣装の他にドレスの部、水着の部も作ったりしていました。
 水着の部では、ワンピース水着で踊ります。衣装でのごまかしがきかないので、本当に踊りを見ることができるわけです。

 しかし、出場したダンサーには、「水着ではサマにならない」と評判はよくありませんでした。観客にも今一つ意味を理解してもらえなかったようです。 
 確かに異文化としてみるサンバのイメージではないのです。

 こうして、少しずつ形が変わっていき、昨年は、1対1で競うバトル形式にしてみました。沖縄サンバカーニバル独特のコンテストになりつつあります。

 さあ今年はどういう構成にするか。過去最高規模で行うコンテストです。だいぶ方向は見えてきましたが、何かいいアイディアがある方、是非、ご提案ください。

 
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カポエイラかサンバか 2 〔沖縄サンバカーニバルへ〕

2009-10-18 | サンバ
 カポエイラかサンバか、どちらかを選ぶといったら、私は当然、サンバです。
 ですが、カポエイラの昇段の認定を受けるバチズモ(洗礼式)に、「サンバの大事なイベントがあるから行けない」と言ったら、カポエイラの先生に目茶苦茶、怒られてしまいました。

「バチズモは、一年に1回しかないのに、来ないのか! 今回だけはサンバを休みなさい!」

 しかし、私の大好きなサントスFC応援団 トルシーダ・ジョーベンの40周年のフェスタが同じ時間帯にぶつかってしまいました。バテリアが演奏するので、コルチ(王室)の一員である私は、休むわけにはいかないのです。

 コルチのコンテストに出場する前から、イベントを休んだら、コルチは首で、ファイシャ(たすき)をチームに返却すること、と言われていました。しかも40周年という大イベントです。

 1週間前に、X-9の10年ぶりのコンテストで、コルチの責任の大きさを痛感したばかりでもありました。
 しかし、私にはカポエイラの先生の気持ちが、すごくよくわかるだけに、カポエイラのコルダン(帯)かサンバのファイシャ(たすき)か、と選択を迫られてました。

 私も沖縄サンバカーニバルを運営している立場で、「別の用事があって、カーニバルに来られない」とか、「遅れる」、という人がいると、かなりがっかりします。それが仕事であろうと、結婚式であろうと、1年に1度の一大行事に、なぜ他の用事を優先するのか、と思うのです。

 ジョーベンのフェスタは、今年はクアドラ(練習場)は市に取り上げられて出来なくなってしまったので、サンパウロ市から高速で2時間くらいの田舎の別荘でやることになっていました。東京から箱根くらいの距離のところです。

 私は、賭けで、カポエイラの洗礼式に出てから、タクシーを飛ばして、この別荘へ行こうかとタクシーの運転手に聞いたり、真剣に地図を調べたりしました。
 
 だけどやっぱり、私にはサンバです。このジョーベンのフェスタに遅れて行くわけにはいきません。
 カポエイラの先生には、心からあやまって、当初の予定通り、ジョーベンに行くことにしました。

 沖縄サンバカーニバルまで、あと1カ月となりました。
 今年は県外からサンビスタ(サンバ人)がたくさん参加してくれますが、他の用事より優先して、このカーニバルを選んでくれた人もいます。
 その人たちの気持ちを裏切らないカーニバルにしたいと思います。

 

 

 
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カポエイラかサンバか 1

2009-10-12 | ブラジル
 先日、恐れ多くもカポエイラの昇段試験を受けました。後発の私は、一緒に練習している仲間のなかで、一番下手。それでも力試しに、と受けてみました。
 昇段試験のために、ふだん、私たちを教えてくれている先生の師匠、メストレが、サントスからサンパウロにやってきました。

 このメストレの怖いことといったら、ありません。昇段試験は1人ずつで、メストレが言う20種類ほどの技を次々に、やります。この技の名前となかみを覚えるのは、カポエイラの動きに不慣れな私にとってなかなか、大変なことでした。
 ビデオを見ながら、家で汗だくになって覚えたものです。

 昇段試験の当日、私の出番は1番目で、これはこれは緊張しました。技は自分では大きな失敗はなく、何とかやることができました。

 しかし、問題は口頭試問。これは、たじたじでした。何より、メストレの質問の仕方が怖すぎて、それだけで圧倒されてしまいます。ななめに見て、こちらをにらみながら「カポエイラ」というのですが、これは、カポエイラの語源を説明しなさい、という意味なのです。

 ただでさえ下手なポルトガル語が、緊張で頭の中でくるくる回って、口から出てくる言葉は、めちゃくちゃです。
 このメストレは実はやさしい人だと、前に会ったときに知っていたから良かったものの、そうでなければ、私はその場で泣き出していたと思うほどの緊張感でした。その後の質問は、ほとんど答えられませんでした。

 そしてホーダ。これは、もう、カポエイラをやっていく根性を試されているようなものです。七転八起とは、まさにこのこと。
 何度、転ばされても立ち向かっていかなくてはなりません。メストレ相手に、ふだんの練習以上に体力を消耗し、へとへとでした。
 先生によると、この昇段試験で、緊張のあまり、気分が悪くなって、吐いた人もいたそうです。

 この昇段試験は、4時間半にもおよびました。試験を経て、次に行われるのが、バチズモ、洗礼式です。この洗礼式で、腰に巻く帯、コルダンが渡されます。

 洗礼式の日程は、私の愛するサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの40周年記念のイベントとばっちり重なってしまいました。
 カポエイラかサンバか。私は、この選択に悩まされる日々を送ることとなりました。

 
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沖縄サンバカーニバル 振付

2009-10-09 | 沖縄サンバ
 沖縄サンバカーニバル2009まであと43日です。もう直前です。かなり焦ってきました。
 
 パシスタ(フリーダンサー)の振付、ようやくアップしました。

一般参加者用の振付 http://www.youtube.com/watch?v=Mw7h6RqoueM
パシスタ振付 http://www.youtube.com/watch?v=-luKDKu7Mjo

 これを見て、皆さん一緒にカーニバルに出ましょう。
 沖縄サンバカーニバルは、11月22日(日)です。
 
 参加にご興味のある方は、opeixe38@hotmail.com ヘご連絡ください。
 
 今年は東京、名古屋でも練習会を開催する予定です。内地組の盛り上がりがジワジワと来ており、とてもいい雰囲気が出来ています。
 皆さん、頑張りましょう。

 
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10年ぶりのコンテスト

2009-10-02 | サンバ
 サンパウロのサンバチーム、Xー9パウリスターナでハイーニャ(サンバ・クィーン)を選ぶコンテストが10年ぶりに行われました。
 10年前、1999年に行われたコンテストに私は出場をし、ミス・シンパチアに選ばれました。
 今、考えても、よそのチームから来た私が、よく受かったと思います。
 
 イブニング・ドレスでのスピーチ、水着でのダンス、サンバ衣装でのダンス。
 コンテストに臨む女の子たちは、サンバも美貌もかなりのものです。

 10年前の自分と照らし合わせながら、みんな、さぞ緊張しているだろうな・・・ と、コンテストの決勝に残った女の子たちを見ていました。

 踊り終わった後、自分の次の出場者が「私、上手く踊れてた?」と心配そうに聞いてきたっけ。
 すっかり忘れていたシーンがよみがえってきました。

 新しいコルチ(王室)、入賞者が発表される前に、これまでのコルチが、バテリア(打楽器隊)の前で最後に踊って、別れを告げる、という儀式があります。

 そこに登場したのが、10年前のコンテストで私と一緒に入賞したプリシーラでした。
 私は2000年のカーニバルの後、ブラジルから沖縄へ引越したので、X-9のコルチを泣く泣く辞退しましたが、彼女はそれからずっとコルチにいました。

 彼女はプリンセーザ(王妃)、ムーザ(女神)、ハイーニャ(女王)など、役職を変えながら、ずっとコルチに在籍していました。
 これはすごいことだと思います。

 コルチは名誉なポジションですが、カーニバル前は過酷な日程でショーやテレビ出演に行かなければならず、普通の生活はできなくなります。
 踊っているのは楽しいですが、もう限界だ、と思うことが何度もあります。

 私が7年間、沖縄でサンバをしている間も、同期だったプリシーラは、ず~っと、このチームで、コルチの責任を果たしてきたのです。大きなお腹で、妊婦でカーニバルに出場した年もありました。

 新しいコルチの発表の前に、プリシーラがバテリアの前での最後のサンバをしました。女王の王冠とバストンを、スルド(大太鼓)の上に返還し、この10年間の役目を終えました。

 私は彼女の1年目しか一緒ではありませんでしたが、お互い励まし合って踊っていました。移動のバスやテレビ局では、出番まで永遠、一緒に待ったものでした。 私の10倍、この任務をこなしたのですから、本当に尊敬に値します。

 女王として最後のスピーチをする彼女は、感極まり、泣いていました。私も元同僚として、ジーンときていました。

 新たなプリンセーザとサンバ・クィーンが発表されました。
 10年前、ここで自分の名前が呼ばれたとき、お客さんも大喜びをしてくれたな・・・と思い出しました。

 発表をしたのは、10年前も今年もメストレ・ダ・バテリア(打楽器隊の指揮者)でした。そして、最後に大サプライズがありました。

 10年間の務めを終えて、コルチを引退したばかりのプリシーラに向かって、メストレが「バテリアから出て行ってはだめだ。プリシーラは、ハイーニャ・エテルナ(永遠の女王)だ!」
 「ハイーニャ・エテルナ」と記された、たすきが彼女に贈られました。

 大きな大きな拍手が湧き上がりました。
 「プリシーラ、おめでとう!」
 私も彼女のところへ祝福に行きました。

 サンビスタ(サンバ人)であること、コルチの一員であること。
 プリシーラがX-9で果たしている責任を、私もここ5年連続、自分がコルチを務めている、トルシーダ・ジョーベン・ド・サントスで、しっかり果たさなければ・・・と強く誓って、X-9を後にしました。

 

 

 
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