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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サントスFC決勝とサンバ

2010-04-29 | サッカー応援
 今年はサントスFCが非常に強い。
 去年は、行く試合行く試合、見事に負けていたのに、今年は10対0、9対1と圧勝した試合も多く、誰もサントスの勢いを止められません。

 先週は、パウリスタ杯の決勝、第一戦のサントスFCの試合観戦に家族で行きました。しかし、このチケットを入手するのは大変なことでした。
 ふだんより1日早くチケットが発売され、それを知った3分以内に、大急ぎで家を出て、チケット発売所へ向かいました。そこで長蛇の列で待つこと、ナント4時間! 私は、家族代表、一人で列の中にいました。
 
 この4時間、沖縄サンバカーニバル10周年の歌詞を考えて、時間をつぶしました。
 あまり良い歌詞は浮かびませんでしたが、それでも考える以外することがない、という状況があったのは、よかったかもしれません。

 そうして観に行った試合は、3対2でサントスFCの勝利! やった!!
 
 試合後、応援団の主要メンバーが打楽器を叩きながら、喜びのバトゥカーダ(打楽器演奏)で球場を退場するとき、応援団の名誉会長が私を見つけ出して、「あんたバテリア(打楽器隊)の前で踊りなさい」と合図を送ってきました。
 この応援団のサンバチームのコルチ(王室)の一員である私は、本当は進み出て踊るべきなのですが、大球場で、つい恥ずかしさが先に立ってしまい、逃げてしまいました。

 明日は、決勝2戦目のチケット発売日。今度はイスを持って、早朝から並ぶ予定です。
うまくチケットをゲットできるでしょうか? 早起きしないと。
 
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サンバチームとフェイジョアーダ

2010-04-20 | サンバ
 昨日は、サントスFC対サンパウロFCのパウリスタ杯 準優勝の試合がありましたが、
その前日、サントスFC応援団、ジョーベンでは、フェイジョアーダがありました。

 フェイジョアーダは、ご存知ブラジル一の名物料理。オ・ペイシ沖縄では、「黒豆と肉の煮込み」という名前で出していた料理です。
 ジョーベンは、サンバチームとサッカー応援団という二つの顔を持っていますが、このフェイジョアーダには、ジョーベンにふだん出入りしている人たちが、一同、顔を合わせる機会です。

 ふだんサンバの練習をしている会場は、この写真のように、大衆食堂になりかわり、みんなで同じ釜の飯を食べるのです。
 ゆったり聴けるサンバの演奏、パゴージもあり、とても和やかな会となります。

 カーニバル後、応援団のメンバーとは、サントスの試合で会っていましたが、サンバのメンバーでは、カーニバル後の祝賀フェスタ以来、久しぶりに会った人たちも多くいました。
こうしたフェイジョアーダは各サンバチームで、開かれ、お互いに知った顔を見ては、安心をする、といった役割があります。
 
 サンバ、サンバばかりではなく、こういうのんびりした機会も必要だな、と感じたひと時でした。
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リオ カーニバルDVD 2010 

2010-04-10 | サンバ
 今年のリオ カーニバルDVDが発売されました。
 
 いつも、このDVDは、カーニバル熱が冷めた頃、静かに発売がスタートします。テレビやラジオで、大々的な宣伝があるわけでもなく、今年はそろそろかな~と思った頃に、町に出回り始めます。カーニバル前の過熱ぶりに比べると、知る人だけが知る、といった感じです。
 
 それでもカーニバルファンにとっては、見逃せないDVDで、今年のカーニバルを3時間たっぷり見せてくれます。グルッポ・エスペシャウ(1部リーグ)12チームのハイライトシーンが、15分ずつあります。

 「秘密」をテーマにパレードをして優勝したチジューカのコミサン・ジ・フレンチ(先頭隊)の早着替えは、何度見ても、まねできません。

 2010年のカーニバルの記念に、よかったらどうぞ。オ・ペイシでも扱っています。

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多すぎる若い死

2010-04-07 | ブラジル
 2回続けて悲しい話を書くことになってしまいました。
 私が所属しているサンバチームのアーラ(グループ)のリーダー、ジュニオが火事で亡くなった日は、もう一つのサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの前会長がバイクの事故で亡くなって1週間、初七日のミサの日でした。

 前会長は、2年前、このブログでも書きましたが、前ハイーニャ(サンバ・クィーン)が急病で亡くなったとき、途方に暮れてクアドラ(練習場)へ行った私をお通夜の会場まで車で連れて行ってくれた人です。

 超コワモテで、筋肉モリモリの前会長(当時は会長)は、正にサッカー応援団の「顔」で、怖くて近寄りがたい人でした。でも、ハイーニャのお通夜で初めて話をして、実は優しい人なのだと知りました。

 ハイーニャの棺までサンバチームの団旗を持って行き、ハイーニャのお父さんで、我々のバテリア(打楽器隊)のメストレ(指揮者)に、チームの代表として話をしに行った前会長。この人が、トラックと衝突して、彼自身が亡くなってしまうとは、本当に信じられないことでした。

 今日は前会長の初七日か、と夜道を考え深く歩いて帰って来た直後。夫が「アキ、ショックな話がある。ジュニオが亡くなった」と言いました。
 私は世の中、何が起きているのか理解できませんでした。

 30代のマッチョな兄ちゃんが1週間立て続けに不慮の事故で亡くなる。しかも、どちらも私たちのサンバチームの超重要人物。
 考えてみれば、ハイーニャも18歳で亡くなり、その前の年には、ジョーベンのバテリアのメンバーが、フェスタの帰り、クアドラの前の幹線道路を渡る途中、車にひかれて即死でした。他にも若くして病死した人たちがいます。

 日本でこんなに若い人がたくさん亡くなることがあるでしょうか。
 ふと、いつか沖縄で同じ感情を抱いたことを思い出しました。沖縄では、近所の人や、お店の常連さんだった人までが自殺で亡くなっていました。このブログにも「多すぎる自殺」というタイトルで書いたことがあったように思います。

 サンパウロでは事故や病気で若い人が亡くなり、沖縄では自殺で亡くなっていく。
 どちらも本当に悲しいことで、ただただ、冥福を祈るのみです。

 (写真は、前会長が愛したサントスFC応援団、ジョーベン)
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