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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サンバ・クィーン コンテスト サンパウロ

2009-12-22 | サンバ
 サンパウロのカーニバル全体のコルチ(王室)のメンバーを決めるコンテストに行って来ました。
 来年の沖縄サンバカーニバルの「サンバ・クィーン コンテスト」の参考になればと、モシダージの練習をさぼって行くことにしました。

 会場に着いて感じたのは、私もサンパウロのサンビスタ(サンバ人)の はしくれになっているのだな、ということでした。サンパウロのカーニバルに出場し続けて今年で15年。
 まず会場へ行くバスを待っている間、上下真っ白の服を着たベーリャ・グアルダ(カーニバルの長老)に「あなたモシダージでいつも出ているでしょ。知ってるわよ」と声をかけられました。

 コンテスト会場でも、色々な場面で知り合ったサンビスタが来ており、お互い「あなたも好きだね」と挨拶をしては、苦笑いをしていました。

 サンバの王様、クィーンを選ぶこのコンテスト。踊りもさることながら、スピーチの部がかなり重要な要素となって、1人1分の持ち時間で話をしました。
 サンバ魂をゆする熱のこもったスピーチには、観客は大声援で反応します。

 今年の沖縄サンバカーニバルのコンテストでは、時間がないばかりに、スピーチは1人10秒以内、と極端に短くしてしまいましたが、ちょっと物足りなかったかもしれません。女王の品格は、ダンスと衣装だけでは決められないのです。

 王様候補もクィーン候補も、サンビスタという自分の立場に誇りを持って話をし、会場のサンビスタの共感を得ていました。
 クィーンに選ばれた女性は「私には、サンビスタの血が流れていて、おばあちゃんもサンバ人、母親も過去のクィーンでした」と堂々と話し、大歓声を浴びていました。

 彼女に比べれば、私は、祖母も母もサンバには一切関わっていませんから、サンビスタのほんの「ひよっこ」でしかありません。サンビスタのはしくれ、と思っていても、実は1代、たかが15年ばかりでは、まだまだなのです。

 これが息子から自分の孫の代になって、ようやく正真正銘の「サンビスタ」となるのでしょう。

 本当のサンビスタの血の濃さを感じたコンテストでした。

 
 
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カーニバル2010 CD、DVD、雑誌

2009-12-17 | サンバ
 サンパウロのカーニバル2010のCDが発売になりました。今年は、CDとDVDと雑誌の3点セット。「リーガ」というサンバ連盟に所属する13チームの来年のカーニバルの曲を紹介しているのですが、今年は初めてDVDと雑誌もセットになりました。
 
 このDVDは13チームもあるので、全部で1時間半以上あるのですが、チームごとの特徴がよく出ていて、とっても面白く、いっきに見てしまいました。
 各チーム、歌手、カバキーニョ(4弦ミニギター)、ギター、打楽器、ダンサー、ポルタ・バンデイラ&メストレ・サラ(チームの団旗を持って踊るカップル)が出演しています。

 なかには、自分が過去にお世話になった打楽器の指揮者や、知り合いのギタリストやダンサーが出ていたりして、彼らの表情から、みんなサンバ好きだな~、とつくづく感心しました。

 特に面白かったのは、付録のメーキング・オフ・DVD。我がチーム、モシダージ・アレグレで、夫の打楽器隊の先生であるメストレ・ソンブラが、録音スタジオで、難しい顔をしながら、打楽器の音の重なり具合の指示を出していたりします。

 11月の沖縄サンバカーニバルに来てくれた人たちには、さんざん「サンバは歌です!」というメールを送らせてもらい、この言葉が、みなさんの合言葉になりましたが、このDVDのメーキング・オフには、正にそれを裏付ける映像が入っています。

 チームのおそろいのTシャツに白い長ズボンをはいて、コーラスの収録のために、元気いっぱいに歌っている人たちは、チームのダンサーであったり、打楽器奏者であったり、役員であったり、ポルタ・バンデイラであったり・・・。とにかくパレードに出場する人、みんなが歌っているのです。
 
 サンバは歌! を確認するためにも、皆さん、是非このDVDを観てくださいね。
 オ・ペイシでも販売しています。

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戻ってきたサンバ練習場

2009-12-15 | サンバ
 カーニバル2010の曲の決勝の日が、サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンの練習場と決別の日となってしまいました。
 
 選曲会で選ばれたのは、私たち家族の15年来のサンバ仲間、マホンの曲でした。マホンはここ数年、毎年のように自分で曲を作って、ジョーベンやスペシャル・グループのサンバチーム、モシダージ・アレグレの選曲会に曲を出していたのですが、泣かず飛ばず。

 マホンは、ここ2年、私のバテリア(打楽器)の先生で、カイシャ(スネアドラム)の叩き方を一から教えてくれている人であり、夫のモシダージのタンボリン仲間であり、苦楽を共にしているサンビスタ(サンバ人)です。

 マホンの曲が、カーニバル2010の曲に決まった! と発表された瞬間、彼は舞台上で大泣きに泣きました。

「自分の曲で、アニェンビーをパレードするのがずっと夢だった。応援してくれた皆、ありがとう!」。
 そして「今日でこのクアドラ(練習場)とお別れだけど、雨が降っても、どんな天気でも、外で練習しよう!」とマイクでみんなに叫びました。

 マホンのこの言葉は、私の胸に強く響きました。

 あれから3カ月。大雨で、これではスピーカーがずぶぬれになって練習できない、とわかっていても、とにかく練習には行って、みんなで、屋台の軒先でひしめき合いながら、早く雨やまないかなと待ったものです。それが、門が固く閉ざされた、いつもの練習場のまん前だけに、悔しい思いをしていました。

 ですが、先週の練習の前日。朗報が入りました。
 チームの会長が、サンパウロ市から、練習場の使用許可の文書を受け取ったというのです。使用期限は、2010のカーニバルまで、と期限付きではありますが、ここで再び練習もできるし、山車制作もできるのです。

 名誉会長がチームの旗を持ち、みんなで拍手をしながら「♪ ここが我らの地、我らの場所 楽しみを分かち合おう ♪」と去年のサンバを歌い、3カ月ぶりに、練習場に戻ったのです。
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カポエイラ洗礼式

2009-12-10 | ブラジル
サンバの練習の合間をぬって、カポエイラの洗礼式、バチズモに初めて参加してきました。自分のいるチームの本家本元の行事で、サンパウロから車で2時間のスポーツセンターでありました。

 自分がコルダン(ベルト)を受け取る洗礼式は、よりによって、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーベンの結成40周年のフェスタと重なり、私は欠席してしまいました。
 洗礼式を休んで、先生にはさんざん怒られ、、大ひんしゅくを買ったのに、次の練習でベルトをちゃっかりもらってしまった私。それだけに、今回は道義的にも是非とも参加すべき行事でした。

 今回の洗礼式の一番の目玉は、我々の先生が、「プロフェッソール」(指導者)から「コントラ・メストレ」という、カポエイラの世界で一番格が上の「メストレ」(師匠)の一歩手前の地位に昇進したことです。
 私たちサンパウロのメンバーは、新しい青と白の混合のベルトを受け取った先生に、思い切り大きな拍手を送りました。

 この洗礼式で私が何よりも驚いたのは、カポエイラのすそ野の広さです。4時間にわたり、生徒や先生クラスの人たちが次々に戦ったあとに、ベルトを巻く儀式が行われるのですが、そこには、幼稚園にもまだ入っていないちびっ子の姿がたくさんいるのです。
 ベルトは、それぞれのお母さんやお父さんが巻いてくれるのですが、家族のほほえましい光景がありました。

 カポエイラは、筋肉盛り盛りの兄ちゃんだけのものではありません。こんな小さいうちから、年数を重ねて、少しずつ立派なカポエリスタになっていくわけですね。

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時差ボケサンバ

2009-12-03 | サンバ
 沖縄サンバカーニバル2009を無事終えて、サンパウロにもどってきて1週間。時差ボケのまま、ブラジルのカーニバルの練習に突入する、というのが、この3年間の習慣になっています。

 2週間ぶりに、サンパウロの練習に復帰してみると、2月の本番に向けて、急激にカーニバル指数が高まっていました。

 サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンでは、打楽器隊の大将や主な役員には、「私は2週間、練習を休みますけど、日本のカーニバルのためなので、許してくださいね」と1カ月前から予告をして、留守にしました。

 ですが、この間、まずいことに他チームに招待されたショーがあったようで、私は欠席をしてしまいました。

 2週間ぶりの練習で、超時差ボケのサンバ。今年初めて、町内を一周するパレードの練習をしたのですが、そこで、私は足場の悪い道路ではあったものの、バテリア(打楽器隊)の前で踊っている最中、ドタッ! と大転びをしてしまいました。

 何ということか!
 隣で踊っていたハイーニャ(サンバ・クィーン)が「アキ、ケガなかった?」と単純にびっくりしていました。
 私は、笑って、ごまかすしかない、という状況でした。
 カポエイラでさんざん転ぶ練習をしたのが幸いしたのか、うまく道路に両手をついて、けがなく転ぶことができました。(笑)

 そして帰りのバス。
 決して治安のいい場所ではないので、いつも心のどこかで緊張して乗っているのですが、この日は10数年にして、初めてバクスイ。
 終点近くで目が覚めたときには、一緒にバスに乗ったはずのバテリアのメンバーは、みんなすでに下車して、姿がありませんでした。

 時差ボケサンバはつらいですが、これを乗り越えないことには、日本とブラジル、年2回のカーニバルを迎えることができません。

 さあ、沖縄の次は、サンパウロのカーニバルのピークがせまってきます。
 頑張ろう! オー!

 
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沖縄サンバカーニバル2009 NHK出演

2009-12-01 | 沖縄サンバ
 沖縄サンバカーニバルの前に、NHK沖縄「ハイサイ! ニュース」に生出演させていただきました。
 8分間の生放送のわくをいただき、とても光栄でしたが、この準備には、かなりめまぐるしいものがありました。

 サトウキビがテーマのこのカーニバル。せっかくならテーマ性のある衣装を見てもらいたい。ですが、こちらは沖縄に到着したばかりで、まだ素材も全部そろっていない。

 生放送の時間までに、どう衣装制作を間に合わせるか。カーニバルを指揮する夫、ユウジはNHK用の衣装を数時間で作るために、綿密な設計図を作っていました。素材調達と同時に、制作にこなれたメンバーが、即、取りかかりました。

 テレビ用にとにかく1着! を合言葉にウージ(サトウキビ)とティーダ(太陽)の衣装が完成しました。

 この日、出演したのは、美原小学校バレー部の子供たち、ブラジルからの研修生、私の総勢20名。
 バレー部の子供たちの衣装は、即、使えるように、名古屋からスーツケースに詰め込んで運びました。

 主要メンバーは、同じ時間帯に沖縄市で全体練習があったので、NHKには参加できず。とにかく忙しい一日でした。

 我々の大学の先輩で、カーニバルでは毎年、ボーカルをしている案納さんにもお付き合いをいただきました。

 20人分の衣装を用意し、大忙しでしたが、テレビを観て、沖縄サンバカーニバルに参加しよう! という人が増えれば、うれしいです。


 
 


 
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