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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サントスFCファンでサンバ

2022-06-21 | サッカー応援
 東海地区のサントスFCファンが集まり、サンバでサントスの応援をしました。
 この日は、応援旗と横断幕のお披露目でもあり、ブラジルから遠く離れた日本で、サントスの応援歌を歌って盛り上がりました。

 この風景、サンパウロの日系社会の県人会の集まりと共通するものがあると、ふと思いました。
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清水エスパルスのブラジル・デー

2021-07-15 | サッカー応援
17日は、清水エスパルスのブラジル・デーです。
IAIスタジアム日本平で、対 川崎フロンターレの試合です。
キックオフは、17:30。

私たちオ・ペイシも協力させていただきました。

この写真、タオルにもなりました。
スタジアムで、このタオルが舞うのは、圧巻!

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サントスにサンバが響いた!

2021-01-18 | サッカー応援
 ブラジルのサッカーの試合は、無観客で行われており、スタジアムにサンバの応援が入ることができていませんが、この日曜日は、サントスFCのホーム、サントスの町中にサンバが響き渡りました。

 リベルタドーレスの準決勝で、サントスFCがアルゼンチンのボカFCに3-0で勝ち、決勝進出フェスタがあったのです。

 サントスFCの応援団、トルシーダ・ジョーヴェンも、もちろん、サンパウロからサントスへ駆けつけ、サンバで大パレードを繰り広げました。

 決勝は、日本時間の1月31日午前4時です。Vamos Santos!

 
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サントスFC パウリスタ杯優勝!

2012-07-06 | サッカー応援
 このところ、サッカー観戦とチケット獲得争奪戦、そしてサンバの練習、と続き、なかなかブログが追いついていません。

 今日は、ようやく、サントスFC パウリスタ杯優勝のお話をアップしました。

 3年連続優勝ですから、すごいですよね。

 決勝は、サンパウロFCのホームグラウンド、モルンビ球場だったのですが、こんなにサントスファンが一堂に集まったのは、見たことがないほど、サンチスタ(サントスファン)ばかりだったので、痛快でした。

 我が応援団、トルシーダ・ジョーヴェンの応援席もチームカラーの白で埋まりました。この写真も今度アップします。

 サントスFC、トリ・カンピオン(3連覇)やったね!

(写真は、決勝の開会式)
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ネイマール選手の前でサンバ!

2012-05-22 | サッカー応援
 今、ブラジルのサッカーシーンで最も活躍しているサントスFCの得点王、ネイマール選手が我が応援団、ジョーヴェンのクワドラ(体育館)へ来る、という噂が流れてから2週間。「えっそんな、超人気選手が来るわけないでしょ」「無理だよ、この試合の忙しいときに」とサントスファンでも、否定する人が多かったほど、嘘か本当か、とぎりぎりまで色々な噂が流れていました。

 でも、ネイマール選手は、本当にジョーヴェンに来たのです!!!
 
 実は2年前、ジョーヴェン恒例のフェスタ・ド・ショッピ(ビール飲み放題パーティー)のときにもネイマール選手は、ジョーヴェンへ来て、壇上でサントスファンみんなに話をしてくれました。
 まだ子供子供していた我が家の息子は、楽屋に入れてもらい、ちゃっかりネイマールとツーショットの写真を撮り、サインまでもらったのでした。

 でも2年前と今では、かなり状況が変わって来ています。
 2年前でさえ、本物のネイマールを見て、泣き出すミーハーな女の子までいたくらいです。

 今や、ブラジル一広告収入を稼ぐ時の男。ペレと並ぶサッカーの王様、とまで言われていて、何しろブラジル一忙しい人物です。

 さらに私が舞い上がったのは、私たちジョーヴェンのコルチ(王室メンバー)は、このイベントで踊る、ということでした!!

 このイベントとは、サンパウロ市議会がネイマール選手に「サンパウロ名誉市民」の称号を贈るというセレモニーです。

 会場がごったがえしては、と公に告知はされず、ジョーヴェンのメンバーとその周囲の人だけに知らされました。

 月曜日の夕方、サンパウロの帰宅大ラッシュの中、私も地下鉄を乗り継ぎ、バスに乗り、大慌てでジョーヴェンに駆けつけました。

 私たちは、そこでメイクをして、サンバ用の服にも着替えなければなりません。あわてにあわてました。

 しかしネイマール選手は、ブラジル一忙しい男。何しろ、この会場にいられるのは、わずか15分だけ、とのこと。ヘリコプターで会場に来て、その後、すぐ広告の仕事で、別の町へ飛ぶ、とのことです。
 それでもネイマール選手は本当に、ジョーヴェンに来ました。

 サッカー場で見るネイマール選手もさわやかですが、ネービー色のスタジャンでジョーヴェンのステージに国歌斉唱の後、登場したネイマールも実にさわやかでした!!



 夢のような時間が過ぎました。

 我がサンバチームが演奏し、踊ったときには、すでにネイマールの姿はステージにはなかったのですが、それでも同じイベントに参加できたこと、とても嬉しかったです。

 ちなみに、サンバの写真を撮ってくれたのは、沖縄サンバカーニバルで頑張っている、しょーこちゃんです。彼女は、サンパウロに宿泊する唯一の日が、ネイマールが来た、というすごいめぐりあわせでした。

 

 

 
 
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サントスFC100周年フェスタへ 

2012-04-11 | サッカー応援
 2012年4月14日は、サントスFC100周年です。
 13日の夜は、サントスFC応援団 トルシーダ・ジョーベンで、夜12時と共に花火をあげ、バテリア(打楽器隊)で演奏をします。

 サントスFCは、サントス市にあるチームですが、私たち応援団の本部はサンパウロ市内にあり、人口の圧倒的な違いから、ファンもサンパウロ市内の方がサントスより多くいます。

 100周年イベントは、本拠地サントスが中心ですが、サンパウロ唯一のフェスタは、このジョーベンのクアドラ(練習場)で行います。

 このフェスタのために、バテリアの前で踊るコルチ(王室)の私たちは、先週から大慌てです。

 何かというと、何を着て踊るか?

 応援団の男性陣にしてみれば、そんなのは、どうでもいいことなのですが、我々にとっては大問題。何しろ4人いるコルチのメンバーで、統一感を持たせなければいけないわけですから。

 メールや電話でやりとりをして「どうする?」

 サンバチームの活動とは少々違い、サントスFCの100周年ですから、サンバチームの黄色は使わずに、白と黒だけにしようと、ハイーニャ(サンバ・クィーン)と相談しました。

 問題は、制作期間が1週間しかないこと。おかかえのアトリエに駆け込みました。

 100周年まで、あと3日。楽しいフェスタにしたいものです。

 目を開けることもできないほど、土砂降りの中でも、大負けした時でも応援し続けているサントス。100周年の場にいられるとは、本当に幸せなことだと思います。

(写真は、サントスFC対サンカエターノFCの試合前 4月8日)
 
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サントスFC 新たな1年へ!

2011-12-25 | サッカー応援
 サントスFCの世界一は、残念ながら、今年は叶いませんでした。
 でも、また新たな1年に向けて、チームも私たち応援団も頑張ります。

 横浜スタジアムには、6万8千人の観客が来ていましたが、悲しいことに、圧倒的にバルセロナファンばかり。日本の人たちは、サントスの魅力を全然知らないのです。

 この点については、日本人であり、日本人の応援の姿勢を知っている私が、頑張らなければいけなかったのですが、本当に力不足でした。深く反省しなければなりません。

 横浜のサントスのゴール裏で、日本の観客の人たちに、サントスFC応援団、ジョーヴェンの応援に協力してもらえるように駆け回りましたが、急にやって何とかなるものではありません。時間をかけて、少なくとも1年がかりで、きちんと準備をしなければ、としみじみ感じました。

 サンパウロから来たジョーヴェンのみんなと、試合結果については、泣きました。
 
 けれど、ボロ負けしても、サントスの選手たちには、最後の最後まで、温かくサントスの応援歌を歌い続け、熱く感動しました。

 ジョーヴェンの1人ひとりの応援魂には、熱く温かいドラマがありました。またゆっくり書きたいと思います。

 
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サントスFCクラブ選手権決勝! 

2011-12-17 | サッカー応援
明日は、サントスFCがクラブ選手権決勝でバルセロナFCと対決。この日が、とうとう来ました。  

 サントスFCの応援団、トルシーダ・ジョーベンの一員として、自分ができる範囲のことはしてきました。ジョーベンが、日本に初上陸。12月14日のトヨタでの試合でも、ジョーベンとして、私は頑張りましたが、明日はいよいよ決勝。

 沖縄サンバカーニバルの運営と同じで、応援団のスタッフも少ないので、もうてんてこ舞いなのです。ブラジルと日本という観客の文化の違いも大きく、そのあたり、私が本当に頑張って、手伝わなければならないことです。

 応援の様子については、決勝が終わってから、ゆっくり書きたいと思います。

 とにかく、サントス世界一に向けて、ジョーベンと共に燃え尽きます!!!
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ロナウド ありがとう!

2011-06-09 | サッカー応援
 昨日は、サッカーのロナウド選手の「引退試合」で、ブラジル代表に最後に出場しました。私がこのところ、サントスFCの試合で、よく通っているサンパウロ市内のパカエンブー球場が会場だったこともあり、テレビで見ていても、とても親しみをもてました。

 ファンへの最後の挨拶で、ロナウド選手は「ブラジル人として誇りをもっています」とブラジル国民の胸に響く言葉を述べました。
 
 思えば、オ・ペイシの歴史もロナウドと共にあります。
 
 2002年6月、7月。沖縄市でサンバ居酒屋「オ・ペイシ」をやっていたとき、ブラジル代表で、ロナウドは華々しいプレーで、ブラジル優勝をもたらしました。沖縄市のパークアベニューのオ・ペイシの前で私たちは、サンバで応援し、大勢のお客さんと共にブラジル優勝を心から祝ったものでした。

 翌日には、オ・ペイシの近所に住む人のところへワインを持って「昨日は、うるさくてすみませんでした」とお詫びに行った途端、わーブラジルは、本当に優勝したのだ、と感動がどっと押し寄せて、泣けてきました。
 
 当時、まだ保育園へ行っていた息子は、このワールドカップ中、夫に連れられて床屋へ行き、髪をおでこに一部だけ残すロナウドカットにして、保育園の先生や友達に驚かれていました。
 
 去年、コリンチャスでプレーをしていたロナウドを見たときは、相変わらずの名シュートを決めるサントスのうらむべき敵でした。
 でも、こうして現役サッカー選手を引退していくロナウドを見ると、心から言いたいです。たくさんの感動をありがとう!

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サントスFC リベルタドーレス決勝へ!

2011-06-06 | サッカー応援
 サントスFCは、リベルタドーレス杯準決勝を見事勝ち抜き、決勝へ進むことが決まりました。準決勝の最終戦は、パラグアイだったため、応援団からは2台のマイクロバスが出ました。残留組の私たちは、ジョーベンのクアドラ(体育館)の大スクリーンで応援観戦をしました。
 決勝進出が決まった途端、何が起きたでしょう?

 応援団旗を持った人たちを先頭に、大通りへ突進。ジョーベンの近くには、サンパウロ中心部と東部をつなぐ幹線道路があります。片道3車線の大きな道で、東京でいえば、国道246のような道です。
 そこで、時速80キロくらいの速度でビュンビュン走る車の通行を止め、「サ~ントス!」と叫びながら、道路の真ん中に人が押し寄せ、フェスタを始めたのです。
 団旗をふる人。太鼓を叩く人。飛び跳ねる人。歌う人。
 誰も止められません。

 突然、大渋滞になり、こんなことをしていいのか、と思いながらも、私は車の通行が止まったことを幸いに、反対の道に渡り、終バスを逃しては大変、と家路へと急いだのでした。
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