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カーニバル前 最後の土曜日

2008-04-17 | サンバ
 この日は、私にとって一番忙しい日でした。よく、カーニバル当日、1日に何チームでもパレードする人のことを「カーニバルのマラソンだね」と言って笑うのですが、最後の土曜日は、正に「練習のマラソン」で、練習から練習へ走りました。
 
 まずスタートは、午後6時。サンパウロの北部にあるサンバ会場、アニェンビーでの予行練習でした。サンバチーム、モシダージ・アレグレの本番前、最後の予行練習でした。本番さながらに行うのですが、一年間、狭いクアドラ(練習場)で積み重ねてきた成果を、パレード会場で、実際に試して見る大事な練習です。そして、並び順が決まる日でもあるので、休むわけにいきません。例年通り、私は一番前の左端と決まり、ひと安心でした。

 その次は、午後9時。うまい具合に直通の市バスを見つけ、日本をテーマにしたブロッコ(小集団)のイベントに駆けつけました。会場に着くと、もう観客もまばらで、終わりかけていました。猛ダッシュしながら、このチームのTシャツを服の上からかぶり、ぎりぎり、最後5分のパレードに間に合い、一瞬だけ踊りました。
午後10時、サンパウロの西部、ビラ・マダレーナでの打ち上げに顔だけ出し、11時前には、会場を出ました。

 そして、カーニバル前の一大イベント、サントスFC応援団の最後の練習に行く時間です。しかし、私は、パシスタ(フリーダンサー)の七つ道具、セクシー系の服とサンバシューズを持って家を出ていません。車があれば、何も問題はないのですが、予行練習もイベントも荷物を持ちながら踊ることができないので、最低限の物しか持っていません。

 夫と息子は、直接、次の練習に向かいましたが、私は彼らとは別れ、サンパウロ中心部にある、自宅へと荷物を取りに、再び、走りました。地下鉄は夜12時までしか走っていないので、終電に間に合わなくなってしまうのです。
 それに、ハイーニャ(女王)カーリンが亡くなって、初めての練習でもあったので、絶対に遅刻するわけにもいかないし、いい加減な服で行くこともできません。
 練習から練習へ、踊るのと同じくらいの体力を使って、真剣に走りました。本当に練習のマラソンでした。
 
 サンパウロ東部、最後の練習場に到着したのは、日付けが変わって、午前12時半になっていました。カーリンがいない練習場に、ドキドキしながら、入って行きました。そこでは、感動的な場面がありました。
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