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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

倖田來未さんのサンバ衣装

2006-03-30 | 沖縄サンバ
 春になってイベントシーズンに入ったせいか、このところ急にオ・ペイシにサンバのレンタル衣装の問い合わせが増えてきました。
 なかでも、目立つのが「倖田來未のCDジャケットになった白い衣装を借りたい」というご依頼。今日など、この衣装を使いたい方が同じ日のイベントに重なってしまって、困ってしまいました。

 確かに、何かのイベントで、「これ、倖田來未が着ていた衣装だよ」と言えば、それだけで話として盛り上がりますよね。お陰で、沖縄くんだりまで衣装を借りてくださり、オ・ペイシとしては本当にありがたいことです。しかも、あの衣装はすべて私の手作りの作品なので、CDはいい記念になりました。

 CDの写真は、オ・ペイシではお客さんが一番よく見るトイレに貼っているのですが、あるお客さんは「これは、トイレなんかじゃなくて、お店の外に大きく貼り出した方がいいよ」なんて言ってくれました。
 オ・ペイシも倖田來未さんの成功にあやかれるでしょうか? 

 

 
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ブラジル移住

2006-03-29 | ブラジル
「ハルとナツ」 NHKで今、連続5日間、再放送しているテレビ番組にはまっています。
 1930年代のブラジル移住で、別れ別れになった姉妹を描いているドラマです。このテレビを見ながら、ブラジルで聞かせてもらった移住の体験談が再びよみがえってきました。
 
 私は、ブラジルに住んでいたとき「おばあちゃんのれんぶらんさ」というコーナーを日系の雑誌でもたせてもらっていました。「れんぶらんさ」というのは、ポルトガル語で「思い出」という意味で、日本から移住してきた女性に思い出を語ってもらう、という企画です。40人近い方々にお会いしたでしょうか。

 彼女たちのお話には、ドラマと同じような出来事がいくつもありました。
 
 目の伝染病(トラホーム)で、お兄さんが神戸の移民収容所の検査でひっかかり、このお兄さん1人を残して、家族がブラジルへ出発した人。
 カフェザール(コーヒー農園)で働いている間に、妹がマラリアにかかり、隣町の医者まで妹をかついで行った人。
 お話を聞いた本人がマラリアになり、高熱にうなされながらも、家族が働いていた農園の木の下で横たわるしかなかった人。
 野菜が何もなくて、青い葉を見つけると、走って行って、食べることができるか試してみた人。

 こんなお話を聞かせてもらった人たちの表情を「ハルとナツ」のドラマに重ね合わせて見ていました。

 私は「移住」という言葉に、ものすごいロマンを感じています。何でもインターネットで検索できる今と違って、戦前、ブラジルがどのような国かという情報は、日本にはわずかしかなかったはずです。その時代に地球の真反対のブラジルへ渡るということは、とてつもなく大きな夢とロマンがあったと想像できます。

 たとえそのロマンが厳しい現実とは、かけ離れていたとしても、ブラジルに暮らした日本の先駆者たちの歩みは、とても美しいと思います。

 サンパウロの日本移民資料館で、戦前からの移住者の白黒写真を撮影させてもらったり、お話を聞かせてくれたおばあさんたちの家でアルバムの写真を撮らせてもらいました。
 その写真の人物は、みんなとても生き生きしていた、と「ハルとナツ」のドラマをきっかけに思い出すことができました。

 
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沖縄のブラジル人

2006-03-27 | 沖縄ブラジル
 沖縄に住むブラジル人は、約600人だと言われています。人口130万人の島に600人、というのは、かなり多いようにも思います。

 他府県と明らかに違うのは、この600人のうち、いわゆる出稼ぎのブラジル人は、ほんの一握りです。ほとんどは、家族が沖縄出身でブラジルに一度は移住したけれど、再び戻って来た人たちです。

 そんな1人、照屋さんが、今日、オ・ペイシにご飯を食べに来ました。彼は今、38歳で、3歳のときに家族でブラジルへ渡りました。船で50日かけて行ったそうです。
 彼は見かけは、よくいるウチナーンチュですが、メンタリティーはブラジル人そのもの。赤ちゃんから中学生までブラジルに住んでいたのですから、そうですよね。

 照屋さんが、オ・ペイシでいつも食べる料理はフェイジョアーダ。日本語では、黒豆と干し肉の煮込み、と言っている料理です。やはり、ブラジル人にとっては、これが一番懐かしい料理のようです。

 沖縄には、照屋さんのようなブラジル系ウチナーンチュもいれば、米軍で働くブラジル人、あるいは米軍のアメリカ人の奥さん、サッカー選手、ダンサーらがいます。

 今度、オ・ペイシでは沖縄在住のブラジル人を一同に集めたフェスタをやります。ふだん、彼らの生活にはブラジル人があまりいないだけに、おもしろい会になりそうです。

 
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ウチナーンチュ大会

2006-03-25 | 沖縄ブラジル
 今日は(正確には昨日ですが)、世界ウチナーンチュ大会の200日前イベントがあり、那覇のパレット久茂地で、サンバのショーをしてきました。どういうわけか、私たちのサンバが今日のイベントのトリでした。
 
 プレイベントとはいえ、県知事も挨拶をした今日のイベント。なぜ、その大事なイベントのトリに、主催者はサンバを選んでくれたのでしょうか?
 
 ブラジルにたくさんのウチナーンチュがいるから、とも考えましたが、ハワイ、ペルー、アルゼンチン、アメリカ本土、カナダ・・・と沖縄出身者が多い国はいくつもあります。イベントの各国の出し物を見ながら、突然、あ~そうか! と納得しました。

 サンバのイメージというのは、「華やか」のひと言に尽きるからではないでしょうか。本当はTシャツに短パンで踊るサンバも立派なサンバなのですが、どれだけガンガンにサンバを踊ろうと、見る人によっては、それはサンバではないのです。
 昨日のブログに書いた、オーストリッチの羽根を背負って、スパンコールできらきらの衣装を着て踊るのが、一般にイメージするサンバなのでしょうね。

 このイメージがあるから、イベントではよく、サンバを最後にもってくるんですね。サンバ愛好者としては、これはとっても光栄なことです。でも、Tシャツに短パンだって、サンバだという意識をもってもらえたら、もっと嬉しいですよね。
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サンバの羽根

2006-03-24 | 沖縄ブラジル
 沖縄市のオ・ペイシでは、サンバ居酒屋の他に、さまざまなブラジルグッズを販売しています。その1つが、サンバの衣装に使う羽根です。紅白歌合戦でもよくお目見えしますよね。
 
 ブラジルから帰って来て今日でちょうど2週間になるのですが、まだ整理がついておらず、羽根に埋もれながら、一生懸命仕分けをしています。
 
 この羽根、世界をぐるりと回って、沖縄までたどり着いています。オーストリッチの羽根が多いのですが、原産地は南アフリカです。南アフリカは、ダチョウの養殖が盛んですよね。その羽根がブラジルに輸出されているのです。すでに製品となってブラジルに届く商品も多くありますが、ブラジルで羽根を染色したり、加工したりしています。

 思えば羽根もよく旅しますよね。南アフリカからブラジル、そして日本へ。沖縄にたとり着いた羽根は、さらに全国各地へ旅立ちます。今日は岡山県に羽根を送ったところです。何でも遊園地でサンバショーをやっており、そこで販売するそうです。次は、関東のサンバチームに送る準備に入っています。
 南アフリカを出発した羽根が世界を旅して、最終的に日本のどこかにたどり着くかと思うと、「いってらっしゃい」と我が子を送り出すような気持ちになります。
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土曜日の夜は、サンバを踊ろう

2006-03-23 | 沖縄ブラジル
 3月25日、今度の土曜日は、沖縄市のサンバ居酒屋「オ・ペイシ」にて、ライブがあります。ミュージシャンは、ターチです。参加型ライブなので、楽器持込みも大歓迎。
 サンバのダンスレッスンもあるし、思う存分踊れます。土曜日の夜は、皆でサンバを踊ろう! 夜10時スタートです。
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アメリカ海軍上陸

2006-03-22 | 沖縄ブラジル
 沖縄市にあるサンバ居酒屋「オ・ペイシ」は、米軍基地の門前町にあるので、アメリカ人のお客さんがよく来てくれます。そんな中でも今日は特別な日。アメリカ海軍の船が近くのホワイトビーチに入港しているので、彼らはこぞって町に繰り出してくるのです。
 アメリカ人相手の店は、外まで人があふれ出て、地元の人は「こりゃ選挙事務所並みの賑わいだ」と言うほどごった返します。

 ブラジル色の強いオ・ペイシに来るのは、アングロサクソン系のアメリカ人は少数派で、米軍で働くブラジル人やメキシコ人、プエルトリコ人が圧倒的に多いのです。
 今日初めてオ・ペイシに来た、リオ・で・ジャネイロ出身のアントニオ君は「わーここは、ブラジルにいるかと錯覚するよ」と随分、いこごちよさそうで、カイピリーニャをガブガブ飲んでいました。

 船から来る彼らの共通点は、陸にいる時間を非常に大切にすること。「船に戻るまで、あと2時間」「あと1時間」と携帯の時計を見ながら、短期集中で仲間とのお酒を楽しんでいるのです。
 そしてもう一つの共通点は、やたら気前よくチップをくれるのです。今日などチップを2000円もくれた人がいました。
 
 オ・ペイシにとって、海軍のしばしの上陸は、ありがたい出来事には違いありません。
 
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