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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サンバ主要メンバー決定

2011-06-13 | サンバ
 サンパウロの多くのサンバチームは、この時期、来年のカーニバルの主要メンバーを決めます。歌手、打楽器の指揮者、カーニバルの演出家、旗持ちカップル、コルチ(王室)などがそうです。

 あるチームでは、12年連続、このチームで旗持ちダンサー、ポルタ・バンデイラを務めていた女性がクビになってしまいました。
 私は、彼女が12歳のときから、このチームで子供ポルタ・バンデイラとして頑張っていた時代をよく知っているだけに、残念でなりませんでした。

 でも、チームが優勝するためには、高得点を取れるポルタ・バンデイラを他チームからスカウトすることが大事になってしまうのです。

 また、バテリア(打楽器)の指揮者も、カーニバルの成績が悪いと、交代になってしまいます。バテリアの一メンバーとして長年叩いていて、同じチームのメストレ(指揮者)にたたき上げでなっていた人も、クビになってしまいました。

 チームをよく変わっている人ならまだしも、ずっと同じチームで長年やっている人が、ポジションをなくしてしまったら、どこへ行くのでしょう。

 かく言う私もサントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンのコルチ(王室)に入れてもらって、11年目。コルチの寿命としては異例の長さです。去年は、ハイーニャ(女王)と二人、この時期、私たちの場所はどうなるのか、と幹部のメンバーに尋ねていました。

 私は自分からコルチからはずれても、このチームで続けていきますが、サンビスタ(サンバ人)にとっては、今は、ドキドキする時期であるのです。
 
 それでも、主要メンバーが誰であれ、チームは続いていくのが、カーニバルの醍醐味であると思います。

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ロナウド ありがとう!

2011-06-09 | サッカー応援
 昨日は、サッカーのロナウド選手の「引退試合」で、ブラジル代表に最後に出場しました。私がこのところ、サントスFCの試合で、よく通っているサンパウロ市内のパカエンブー球場が会場だったこともあり、テレビで見ていても、とても親しみをもてました。

 ファンへの最後の挨拶で、ロナウド選手は「ブラジル人として誇りをもっています」とブラジル国民の胸に響く言葉を述べました。
 
 思えば、オ・ペイシの歴史もロナウドと共にあります。
 
 2002年6月、7月。沖縄市でサンバ居酒屋「オ・ペイシ」をやっていたとき、ブラジル代表で、ロナウドは華々しいプレーで、ブラジル優勝をもたらしました。沖縄市のパークアベニューのオ・ペイシの前で私たちは、サンバで応援し、大勢のお客さんと共にブラジル優勝を心から祝ったものでした。

 翌日には、オ・ペイシの近所に住む人のところへワインを持って「昨日は、うるさくてすみませんでした」とお詫びに行った途端、わーブラジルは、本当に優勝したのだ、と感動がどっと押し寄せて、泣けてきました。
 
 当時、まだ保育園へ行っていた息子は、このワールドカップ中、夫に連れられて床屋へ行き、髪をおでこに一部だけ残すロナウドカットにして、保育園の先生や友達に驚かれていました。
 
 去年、コリンチャスでプレーをしていたロナウドを見たときは、相変わらずの名シュートを決めるサントスのうらむべき敵でした。
 でも、こうして現役サッカー選手を引退していくロナウドを見ると、心から言いたいです。たくさんの感動をありがとう!

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サントスFC リベルタドーレス決勝へ!

2011-06-06 | サッカー応援
 サントスFCは、リベルタドーレス杯準決勝を見事勝ち抜き、決勝へ進むことが決まりました。準決勝の最終戦は、パラグアイだったため、応援団からは2台のマイクロバスが出ました。残留組の私たちは、ジョーベンのクアドラ(体育館)の大スクリーンで応援観戦をしました。
 決勝進出が決まった途端、何が起きたでしょう?

 応援団旗を持った人たちを先頭に、大通りへ突進。ジョーベンの近くには、サンパウロ中心部と東部をつなぐ幹線道路があります。片道3車線の大きな道で、東京でいえば、国道246のような道です。
 そこで、時速80キロくらいの速度でビュンビュン走る車の通行を止め、「サ~ントス!」と叫びながら、道路の真ん中に人が押し寄せ、フェスタを始めたのです。
 団旗をふる人。太鼓を叩く人。飛び跳ねる人。歌う人。
 誰も止められません。

 突然、大渋滞になり、こんなことをしていいのか、と思いながらも、私は車の通行が止まったことを幸いに、反対の道に渡り、終バスを逃しては大変、と家路へと急いだのでした。
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