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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サンバは練習、練習、練習・・・

2010-10-19 | サンバ
 午前4時半。サントス球場でのサンバショーを終えて、サンパウロにもどるマイクロバスの中。打楽器隊の威勢のいい兄ちゃんが、サンバチームのみんなに伝えました。
「明日の練習はありません」
「やった~!」歓声が沸きあがった。

 しかし、その5分後。アルモニア(統制係)の長が一言。
「誰が練習は休みだと言った! みんな大きな声で歌を歌えていないんだから、練習するに決まってるだろ!」
 一同シーン。つかの間の喜びだった。

 サンパウロに戻ったのは午前6時。正確に言うと、練習は同じ日の夜8時から。私にとってもこれは、悪夢の1日だった。午前8時半からは仕事。地下鉄でそのまま職場へ向かおうかと思ったほど。

 このチームで8年連続ポルタ・バンデイラ(旗持ち)をやっているダンサーはもっとすごい。この足で午前9時から大学で経済学の試験を受けるという。

 それぞれの生活をし、そして夜8時。みんな重い足を引きずって、練習場で再会。
 さすが、アルモニアの長は張り切っている。私はこのチーム歴16年で、かなり長い方だが、彼は36年。アルモニアの前は、バテリアの面倒を見ていた。
 演奏者が少なかったので、彼自らが肩から大太鼓、スルドを背負い、人8倍くらいの声量で来年のサンバを歌いながら、手を振りかざして叩く。

 沖縄サンバカーニバルまであと36日。私たちも今、練習をしなければ、もうするときがない。頑張ろう!
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沖縄サンバカーニバルは家族の歴史

2010-10-09 | 沖縄サンバ
 息子の話が続きますが、我が家の息子は、来月10周年を迎える私たちの「沖縄サンバカーニバル」と共に成長しています。
 4歳から12歳までカーニバル会場を走り回る親と共に、当然、毎年、出場しています。
 
 忘れられないのは、彼が小学2年生のときに書いた日記。
 
「きのう、サンバカーニバルに出ました。ぼくのお父さんが作った祭りです。タンボリンをずっとたたいて、とってもつかれたけど、おわりがちかづいたら、ぼくは、うれしくてうれしくて、なみだが出てきました」

 2歳のときから、ブラジルのカーニバルに出場している彼は、誰よりも大きな声で歌い張り切っています。私は、パレードの統制で、ゲート通りを走り回り、彼の涙を見ていないのですが、知り合いのお母さんによると、うちの息子は、「紅白に出た歌手みたいに、大泣きして感激していた」というのです。

 保育園のときに、親が始めたカーニバル。今年、彼は、中学1年生として、この沖縄サンバカーニバル10周年に出場します。
 我が家だけでなく、さまざまな家族の歴史が、このカーニバルにはあります。
 
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サントスFC ネイマール選手

2010-10-03 | サンバ
トルシーダ・ジョーベン 41周年の記念フェスタに、サントスFCのホープ、ネイマール選手が来ました!

 みんな大喜びで、私も頑張ってサンバをし、ネイマールに手を振ったら、振り返してくれました。

 中学1年の息子は、ちゃっかりステージまで行き、ネイマールと写真に収まり、バテリアのユニフォームにサインまでもらってきました。

 ネイマールは、今やサントスだけでなく、ブラジルの注目度ナンバー1の選手。ブラジル代表にも入っています。ネイマール、サントスFC、そして我が応援団、トルシーダ・ジョーベンと共に頑張りましょう。

 沖縄サンバカーニバルに向けて、準備で気持ちが滅入っているときに、とても勇気づけられるフェスタでした!
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