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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

サントス球場でのサンバ

2008-09-23 | サンバ
 毎年、カーニバル直前になると行われるイベントがあります。サントスFCのサッカー球場でのサンバです。今年は特別な重みがありました。それというのも、サンバクィーンのカーリンが脳の神経の病気で急死してしまい、その初七日の日が、このイベントの日だったのです。

 前日の夜のテレビのニュースでは、彼女の訃報を伝える番組がサンパウロの主要テレビ局、グローボとSBTの2局であったようで、このイベントへ行くバスを待つ人たちの間では、昨日の番組の内容をボソリ、ボソリと話す人たちがいました。

 サントスFCの応援団である私たちのサンバチームにとって、この日のイベントは、サンバクィーンの初七日であっても、やめるわけにはいきませんでした。カーリンのお父さんは、バテリア(打楽器隊)のメストレ(指揮者)、お兄さんは、ヘピニケ(中太鼓)のナンバーワンの奏者です。2人共、教会の初七日のミサに出席すべきところをサントスまで、イベントをまとめるために来ていました。

 本当ならばバテリアの前で踊るのは、カーリンと私の二人です。しかし、カーリンがいなくなった今、私がしっかりとこのポジションを守らなければなりません。

 サントス球場の周りを歌手と大スピーカーを載せたトラック、トリオエレトリコの後をついて、1周するパレードなのですが、道のりが長くなかなか、厳しいコースです。しかも、サッカーの応援団、というのは、サンビスタ(サンバ人)よりずっと勢いがあり、盛り上がることにかけては、天下一です。
 
 去年は、このパレードを見ていた、上から下までサントスの服を着た女の子から、「この前来たダンスの子は、球場を半周もしないうちに、へこたれていたけど、あなたは、最後まで力尽きなかったね」とほめ言葉か見下されていたのかわからないようなコメントをもらい、応援団の目の厳しさをひしひしと感じていました。

 それだけに、このイベントは、緊張しました。しかも、カーリンの分も頑張らなければならないのです。

 最後まで力を温存しながら、この日のイベントを無事にこなしました。これで、いよいよカーニバル本番を迎えることができます。翌日、私は、このイベントが無事に終わった安堵感からか、熱を出してしまいました。

 今、カーニバルが終わって7カ月。今週、来週と再び、応援団の中でサンバをします。今週は、サントスの地元応援団、サンギ・ジョーベン(直訳すると「若い血」という、応援団魂そのものの名称です)の創立記念フェスタ、そして、来週は、本家本元、我がトルシーダ・ジョーベンの創立記念フェスタです。

 応援団の勢いに飲まれないよう、相当、覚悟をもって踊らなければならない、と今から緊張しながら、イメージ・トレーニングをしています。
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モシダージ ウチナーンチュが激戦

2008-09-16 | サンバ
  昨日のモシダージ・アレグレの選曲会決勝は、サンパウロの各サンバチームも注目する大決戦でした。会場は、入口が混乱するほど人があふれ出ていました。
  準決勝、セミ・フィナウに勝ち残るだけでも、作曲者にとっては嬉しいことで、それが決勝となれば、こんな栄誉はありせん。
  
  実は、今年の決勝は、ウチナーンチュ(沖縄人)の激戦でした。当事者でさえ、こんな見方はしていないのですが、決勝に残った作曲者グループは、出場順に下記の4チームでした。

 A シナ  おじいさんが鹿児島出身の日系3世、奥さんの苗字は上原さんで、沖縄系3世。2007年、2008年のモシダージの曲は、彼の曲です。
 B デニー 彼は作曲者ではなく、歌手として参加していたのですが、昨年の沖縄をテーマとしたサンバの編曲をしています。
 C アレックス 彼の苗字は、玉城さん。見かけは典型的なモレーノ(褐色肌)なのですが、確かによ~く見ると、ウチナーンチュの顔をしています。おじいさんが沖縄出身。Aのシナ同様、日本語は一言も話しません。2005年のモシダージは彼の曲です。
 D ビロ  モシダージの実力作曲者。ほぼ毎年、決勝には残り、2000年、2001年、2008年(シナと共同優勝)が彼の曲です。

  決勝ともなると、作曲者やその家族には、曲への思い入れがあり、歌が始まると、歓喜余って涙している人もいます。応援している人も、思い切り歌っています。サンバの歌の命は、はかないもので、精一杯歌いながらも、曲が優勝しなければ、この曲を公の場で歌うことは二度とないわけですから、この曲を歌うのは、最後かもしれない、という思いもあります。

  私はウチナーンチュや日系つながりからいくと、A、B、Cのいずれも応援していたのですが、直前の日本人ブラジル移住100周年のイベントで、デニーに世話になったので、Bの応援団として、旗を持ったり、お揃いの帽子をかぶって応援していました。

  優勝は、一番ファンが多く、メロディーラインが明るく、はっきりしていたCの曲になりました。沖縄系3世のアレックスの曲です。

  この曲が発表された直後、ステージは、写真のように、みんなが上り、決まったばかりの歌を何度も繰り返し歌い、踊りました。ステージの装飾の大道具が、ガタガタと音を立ててゆれていて、もしかしたら、崩れ落ちてくるのでは・・・と冷やっとしたほど、盛り上がっていました。

  オ・ペイシのダンス講師を務めてくれている、モシダージのハイーニャ(クィーン)ナニも妊娠8カ月の美しいお腹を出して、ステージで踊っていました。

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サンバ選曲会 決勝へ

2008-09-13 | サンバ
 この写真のエントツ、何だかおわかりでしょうか。
サンバの選曲会で、曲の盛り上がり部分になると、銀紙が風に乗って、会場中に飛び交うようになる仕掛けの機械です。電動でモーターが回り、風を起こして、銀紙の吹雪を撒き散らします。

 選曲会になると、会場には、このエントツがついた機械が何台も並びます。なぜ、同じ用途の物が何台もあるのか、というと、それぞれの作曲チームが、それぞれ機械を頼んで、会場に呼んでいるからです。

 選曲会では通常、最初の2コーラスか、3コーラスは、歌をじっくり聞かせるために、バテリア(打楽器隊)の演奏が入りません。バテリアが入り、太鼓の音が一斉に鳴り響くと同時に、この銀紙が会場中を舞うのです。サンバの選曲会ならではの華やかな光景です。

 去年、自分たちが曲を出した選曲会決勝の直前、組んでいた歌手に「紙吹雪の機械を頼もう」と言われて、一時、真剣に借りることを考えていたので、私は今年、この紙吹雪を起こす機械が気になってなりませんでした。

 曲を出している人たちは、自分の曲の出番の直前、機械のオペレーターに、「この銀紙で頼む」小さな銀紙が山ほど入った袋を渡し、オペレーターは、この紙がなくなるまで機械を回します。会場の床は、舞い落ちた銀紙で厚みを増すほど、銀紙でいっぱいになります。予想以上に早く銀紙がなくなってしまうと、近くにいる子供たちが落ちた銀紙を集めてきて、再び機械に入れていきます。

 家に帰ると、なぜかこの銀紙が服の間やカバンの中から出てきて、盛り上がった選曲会の余韻に再び浸ることになります。

 さて、モシダージ・アレグレの選曲会決勝は、この日曜日です。決勝に残った4曲分のエントツが集まり、大いに曲を盛り上げることでしょう。

 去年、私たちの作曲グループにいた歌手は、今年、モシダージの決勝に残りました。待望の銀の紙吹雪を浴びながら、是非とも優勝を手にして欲しいものです。
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沖縄ブラジル100周年 2

2008-09-11 | サンバ
 先日、サンパウロで行われた沖縄ブラジル移住100周年のイベントは、予想以上に盛大なものでした。沖縄、ハワイ、シカゴ、ペルー、ボリビアなどから1,500人もの沖縄系の人たちが集まり、会場の雰囲気は、沖縄で参加したウチナーンチュ大会そのものでした。

 その大イベントに、沖縄のサンバチームである、私たちオ・ペイシ・キ・リは、3日連続、異なる会場で出演をさせてもらったのですが、それぞれの色がありました。
 
 1日目は、名門サンバチーム「ホーザス・ジ・オウロ」と合同のパレード。相手が相手だけに、失礼がないように、と金曜日の深夜に行われるホーザスの選曲会に足しげく通い、ショーの担当者と打合せをしてきました。

幸い、バテリア(打楽器隊)の指揮者が、私が以前X-9の王室メンバーであったときの指揮者だったので、話が通りやすかったです。それでも、このイベントでは、オ・ペイシの旗を持って行ったので、かなり緊張しました。

 2日目は、今年、沖縄をテーマにカーニバルを行った、サンバチーム「プローバ・ジ・フォーゴ」とのステージでした。サンバは、沖縄とブラジルの100年間の融合を象徴する一幕でした。そこで、今年の沖縄サンバカーニバルでも披露する「集え! 100年目の記念日 ありがとうに込めて」を日本語で歌うことができました。

 最後の3日目は、リベルダージの沖縄県人会で、オ・ペイシのみの単独ステージでした。ですが、そこで陰から大きく支えてくれたのは、サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンでした。まず、夫はジョーベンからスルド(大太鼓)を借りてきました。そして、予想外にもジョーベンの男性トップダンサーである、プリメイロ・メストレ・サラ(旗持ちの守り役)が助っ人に来てくれました。
 
 私は、この日は踊るだけでなく、司会からサンバ・ステップ講座も担当して、いっぱいいっぱいだったのですが、彼の存在は、本当にジョーベンに助けられている、という気がして、ありがたかったです。

 沖縄の小さなサンバチームが、ブラジルのさまざまなサンバチームの力を借りて、沖縄ブラジル100周年を一緒に祝うことができました。
 色々な形で協力してくれた皆さん、ありがとうございました。
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