ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

7/12日 プチ・サイクリング その3:明治用水の取水口 豊田市の水源地区まで行って折り返す

2013-07-19 07:02:54 | 草花
木村拓哉
深津絵里
寺尾聰
加藤ローサ
堀内敬子
風間杜夫
西村雅彦
平泉成
中村敦夫
石黒賢
富司純子
阿部寛
上記のような超豪華メンバーによるTVドラマが、5年前、毎週月曜日の夜九時に、10回連続放送されていたのですね。

ドラマの題名は『CHANGE』(チェンジ)でした。 
ストーリーは、若き小学校の教師(木村拓哉)が、政治家になり、35歳の若さのままに内閣総理大臣に就任し、いろいろなことを経験していくストーリーでした。

このドラマを、中川秀直・石破茂・長妻昭などといった、当時の現役国会議員が見ていたそうですし、昨年亡くなった政治評論家の三宅久之氏も見ているといっていましたね。

何回目かの再放送でしたが、昨日、ドラマの最終回分が終わりました。
最終回では総理大臣役の木村拓哉が、22分30秒間、ノーカットで国民に向けて演説するシーンが出てきますが、参院選の投票日の直前にこのドラマ再放送を持ってきた意味が判るような気がしました。

彼の演説の要旨は「政治の主役は国民一人ひとりであり、国を変えるのはあなたなのだから、是非投票によって政治に参加してきて欲しい」旨のことだったと思いました。
投票前にこのドラマを持ってきたのは、なかなか洒落たことではないかと思いました。

サイクリングのレポートを続けます。
明治用水 ↓

東海地方は雨が少なかったですが、この用水路では水量豊富に滔々と流れています。




村積山 ↓

冬に一度だけ歩いたことのある村積山が見えています。




斜張橋 ↓

矢作川に架かる斜張橋が見えてきました。



巨人 ↓

近づくと何だか擬人化されてきて、大きな人間のように思えてきました。




伊勢湾岸自動車道の下 ↓

頭の上は高速道路の伊勢湾岸道路です。下に矢作川が流れていて、対岸にもう一つの斜張橋が見えてきました。



アカメガシワ ↓

アカメガシワは雌雄異株で、こちらは実のつく雌株です。



明治用水の重要ポイント ↓

家を出てから2時間半くらい経ち、やっと明治用水の一つの重要ポイントである場所に着きました。この付近は見るだけでも怖いくらいの水量があります。



矢作川の水門 ↓

このあたり一帯を「水源」と言っていて、「明治用水頭主工」のある場所です。

明治用水(めいじようすい)は、西三河南西部に農業用、工業用の水を供給する用水である。幕末・明治維新期に、全国に先駆けて測量・開削が行われた近代農業用水だったため、明治という元号を冠するエポックメイキングな命名がされた。大正時代には、農業王国として、中原に位置する安城市が「日本デンマーク」と称して教科書に掲載されるほど、画期的な成功を収めた。(wiki記述を引用)

ここから上の画の水路を使い、西三河の8市4町に灌漑しています。



水源管理所 ↓

明治用水土地改良区水源管理所とありました。ここで「水門」を監視・操作しているのではないでしょうか。



総理大臣の書 ↓

敷地内の入口にこの石碑が有り、「総理大臣中曽根康弘」とありました。
彼の任期はS57-S62年ですので、その間の揮毫でしょうね。
今回はここを最遠点として、戻ることにします。時刻は午後の4時半近くです。



奔流 ↓

もう一度、明治用水の幹線部分の基点付近を眺めます。圧倒的な水量には、やはり恐怖感すら覚えました。



糟目春日神社 ↓

来るときに通過してきた場所で、気になっていた神社に寄っていくことにしました。



その社殿 ↓

屋根の上に鰹木(屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材)が9本載っています。この数が奇数なので男の神様ではないでしょうか。


アオギリ ↓

神社を出ると目の前にアオギリの木があり、花をつけています。
小生はアオギリの木は何度でも見ていますが、花をゆっくり見るのは初めてのことでした。



愛知環状鉄道線 ↓

少し高いところを愛知環状鉄道線の電車が走っていきます。
この路線は第三セクターで、岡崎・豊田・瀬戸・高蔵寺を結びます。
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7/12日 プチ・サイクリング その2:三河八橋 在原業平ゆかりのカキツバタの無量寿寺界隈

2013-07-18 06:55:57 | 草花
暑いさ中でしたが、先日拙庭で猫の親子を見ました。
居つかれたら困りますので速攻で追い払いましたがしばらく経つとまた現れます。
そこで、すぐに追い払います。  
そんなことを繰り返していたら、翌日からは親子では現れなくなりました。
しかし、今度はその内の一匹でしょうね、小さい子猫が一つ、常駐しそうな気配で盛んに鳴いてきます。
姿を見るたびにホースの水を掛けて追い払いますが、すぐに最大限に愛しげな声で「みゅぅみゅぅ」鳴きながら庭に入ってきます。
これには閉口しました。猫嫌いの小生でさえも、思わず情が移りそうなくらいの、実にいとしげな鳴き声なんですね。
心を鬼にしてホースの水で狙い撃ちして、何度も追い払います。

ところが今朝はその声が全く聞こえてきません。 餌が得られずに飢え死にしたのか、車に轢かれたか、それともどこぞの愛猫家に拾われたのか・・・・・・。

猫との熱い攻防戦に明け暮れた数日間でありました。

サイクリングで見た風景を綴って行きます。
ムクゲ ↓

今はムクゲの花が盛りになっていますね。この花は韓国では「ムグンファ(無窮花)」と呼んで、国花だそうですが、インドや中国原産のこの木が何であの国の国花になったのでしょうね。
もともとは他所の国のものを、自分のものにしたがるお国柄でしたか?



ドンゴロ ↓

今年初めてセミの抜け殻を見ました。大きさからいって、これはクマゼミでしょうね。




ホザキシモツケ ↓

歩道沿いに生垣として植えてあるこの木を見ました。花の時期は過ぎているようです。



シモツケ ↓

「ホザキ」のほかに、普通のシモツケも植えてあります。



山門? ↓

カキツバタの八橋「無量寿寺」に着きました。自転車を置いて、歩いて入ります。
「山門」らしき建物はなくて、道の両端に石門が立っています。おそらくこれが山門でしょうね。



ここにも”金言” ↓

入口に、これも良い言葉を頂きました。




無量寿寺本堂 ↓

本堂はこれもこじんまりとしています。堂宇の横から、カキツバタの植えられた裏手に回っていきます。



最近出来た業平像 ↓

裏手には池がいくつかあり、そこにカキツバタがたくさん生育しています。しかし、花の時季ではありませんので、人は誰も居ません。一番奥まで行くと、そこに新しい銅像が立っていました。


在原業平縁起 ↓

こんなものもあります。故事来歴を知らずにここに来たとしても、在原業平とカキツバタの関わりを知ることが出来るようになりました。



咲き残ったカキツバタ ↓

池の中にはまだカキツバタの花がほんの少しだけ、例外的に咲いていました。



カンナ ↓

お寺さんをあとにして、今度は一般道を漕いで行きます。時刻は午後3時15分で、このあたりが最高気温の時間帯ではないでしょうか。 カンナが思う存分に咲いています。



伊勢湾岸道路 ↓

今度は伊勢湾岸道路の下を、暫くの間付かず離れずに走ることにしました。



タラノキ ↓

畑にタラの木が植えられています。新芽の時季の頃ここを通れば壮観が得られることでしょう。



ホオズキ ↓

タラノキの脇ではホオズキが赤らんで居ます。この時季、浅草のほおずき市も済んだばかりでしたね。
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7/12日 プチ・サイクリング 強い日差しの中、サイクリングロードを漕いで来ました。 その1

2013-07-17 07:29:32 | 草花
この12日に自転車で安城・豊田サイクリングロードを走って来ました。
この日は名古屋で6日連続猛暑日を記録した最後の日で、謂わば逆療法じみて、最高に暑いときに、もっと暑くなることをしようということでした。

頭部の日差し除けをしっかりやって、首にはタオルを巻き、濃い目のサングラスを掛け、上着には長袖のトレーニングシャツを着込んで、掻いた汗は吸えるようにしておきます。
水分補給は絶対に大切な要素ですので、特に気を配りました。

出発は午後2時少し前で、暑さがピークにある付近の時間ですね。
途中で珍しいものがあれば、撮って行こうと言う魂胆もありますので、カメラも持って行きます。

名古屋鉄道の跨線橋 ↓

自宅から→安城市→知立市に来て、始めは明治用水サイクリングロードのうちの西井筋自転車道を走ることにしました。
一般道路からこの自転車道の途中区間に乗り、サイクリングロード走行が始まりました。
最初の”障害物”はこの名古屋鉄道(私鉄)の跨線橋です。



名鉄電車 ↓

跨線橋の上から下を走る名古屋鉄道の車両を見下ろします。



国道一号の跨線橋 ↓

次の”障害物”もまた跨線橋で、今度は国道1号を跨ぎます。



国道一号線 ↓

跨線橋を上り下りするのは暑い中ですので、大変、億劫な仕事になります。橋の上で休みがてら下の国道一号線を見ます。



馬の像 ↓

国道の跨線橋を降りると、そこには旧東海道が有り、この付近で馬市が立ち、この東海道筋にもたくさん待機の馬を繋いでいたと言う事でした。



旧東海道の松並木 ↓

東海道の松並木は良く聞いてきたところですが、何のために両側に松の木を植えていたのか?
そんな疑問は、この時のような酷暑に移動してみると良く判ってきます。松の樹陰が実に心地よいものでした。



池鯉鮒の宿 ↓

池鯉鮒は「ちりふ」と読みますね。 現在の知立(ちりゅう)という市名はここから出ています。京都三条41里とありますが、京都の三条大橋は東海道の西の基点になります。



珍しい立体交差 ↓

これは珍しい交差の仕方をしています。一番上は有料道路で、その下に跨線橋と旧東海道があります。 これも自転車にとっては”障害物競走”となります。



在原業平作の仏像? ↓

この石の道標には「これより五丁(町?)北 八橋 業平作観音あり」と書かれている様ですね。その場所が何処なのか未だに判りません。



浄教寺 ↓

とても大きな屋根のお寺さんがありました。そこに行ってみることにしました。



良い言葉 ↓

そのお寺の名前は浄教寺と言い、入口に良い言葉が貼られています。
誠に斯くありたいものですね。



ヤマボウシ ↓

お寺の庭では、ヤマボウシが沢山実をつけています。



クチナシ ↓

クチナシも種をこんなに大きくしています。



モクゲンジか?

お寺さんのことですのでこれはモクゲンジでしょうか、花のあとの姿ですね。



ヤブミョウガ ↓

お寺の庭で、あたりを整備して植えてあるのを見ますと、なんだか格調高く見えてさえ来ます。




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7/6日 妻沼の聖天さまの国宝歓喜院(かんぎいん)拝観。

2013-07-16 07:22:30 | 草花
この「国宝」に関する以下の誇らしげな案内文をご覧下さい。

「妻沼聖天山は・・・
日本三大聖天のうちの一つに数えられる名刹です。
埼玉日光という別名もあり、本殿外壁の彫刻は豪壮華麗です。境内には数々の美しい建築物が点在しています。
また、古来より縁結びの神様として厚い信仰を集めています。

平成24年5月18日(金曜)に国の文化審議会から文部科学大臣に対して、妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」は国宝に指定するにふさわしいとの答申が出されました。同年7月9日(月曜)の官報にて告示があり、同日付で正式に国宝として指定されました。
この度の国宝指定は、本県の建造物として初の栄誉であり、昭和25年の文化財保護法の制定以降、熊谷市においては初めての国宝指定となります。」

今回は歓喜院聖天堂を主体にしてレポートして結びと致します。
国宝の「本殿」正面 ↓

国宝の登録名称は「歓喜院聖天堂」となります。



斜め前から ↓

左の奥に絢爛豪華な彫り物を施した軒端が少しだけ見えています。



扁額 ↓

これは「歓喜天」と書かれているのだと思います。



拝殿正面の軒端 ↓

いよいよ鮮やかな彩色が現れて来ました。



いよいよ玉垣の中へ ↓

この中に入るのに拝観料700円を支払います。今回はお友達の持つ地元優待券により、支払うことなく入場できました。


ここから後は、地元ボランティアの方の説明を聞きながら、外壁に施された彫刻を見て行きます。精緻な彫刻と、鮮やかな色彩、そして故事来歴を散りばめた知識や知恵に驚嘆しながら見て行きますが、何分にも夏の暑さの真っ盛りであり、ボランティアの方の実に熱心極まる解説を聞きながら、なんとも勿体無いことですが、相当疲れを感じても居ます。
これから後は写真だけを並べますが、それでご容赦ください。
彫刻と図柄の一つひとつにどれも物語りが有り、深い含蓄が詰まっていました。
たとえば囲碁を指す図柄がありますが、この盤面は実際の名人戦か何かの棋譜を写しているそうです。












一回りした最後に古井戸がありました。中を覗くと下のほうで水が光っていました。 ↓




もう一度外から ↓

皆様は未だボランティアの方の説明に聞き入っていましたが、小生たちは夕方からの時間の制約がありますので、引き上げることにしました。



歓喜院の脇に大師堂 ↓

弘法様が祀ってありましたので、ここにもお参りしていきます。関東八十八箇所霊場の結願寺であります。



狛犬阿形 ↓




狛犬吽形 ↓

狛犬は確か神社のものでしたね、ところがここはお寺の境内です。昔からの神仏混淆の名残りでしょうね。


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7/6日 妻沼の聖天(めぬまのしょうでん)さまの国宝歓喜院(かんぎいん)を見てきました。

2013-07-15 07:13:57 | 草花
妻沼の聖天様とは、埼玉県熊谷市にある、真言宗の古刹であります。
小生が子供の頃は小学校の遠足で必ずここを訪れたものでした。
私達は小さい頃から聖天様(しょうでんさま)と呼んでいましたが、それは略称であり、本当は「大聖歓喜双身天王」といい、方便としては象さんの頭をした、首から下は人身の男女の神様が抱擁しあった姿のようですが、「秘仏」扱い(見ることが出来ない)となっています。

寺伝によると治承3年(1179年)に、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。その後、建久8年(1197年)、良応僧都(斎藤別当実盛の次男である実長)が聖天宮の別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたといわれています。(wikiより引用)

江戸時代の初期に火災で焼失したものを江戸末期に再建したそうですが、それを平成15年から8年がかりで13億5千万円かけて修復し、創建当時の姿に戻したそうです。

ここには聖天堂本殿(=拝殿+中殿+奥殿)が平成24年「国宝」に指定されています。
そのほか、「秘仏」の大聖歓喜双身天王=錫杖頭と、山門の貴惣門の二つが重要文化財に指定されています。

埼玉県内には国宝が5つありますが、その内の一つということになります。

その景色を二度に分けてレポートします。
歓喜院本坊の山門 ↓

妻沼の聖天様はとても広い境内で、車を置いた場所近くに古い堂宇があります。こちらを「本坊」と言いますが、こちらは「本坊」であって、目指す国宝の建物はは「本殿」の方です。
この「本坊」は内拝できません。



本坊と庭 ↓

この前庭でネジバナの花を見つけました。



神輿協賛の提灯 ↓

「本坊」から「本殿」まで長い道のりがあります。その中に沢山の民家や商家が有りますので、このお寺の勢力が並みでないことが偲ばれますね。
この提灯は神輿を協賛したところを提灯にて張り出すようにしているもののようです。



貴惣門 ↓

一般道から、家屋の間からこれが見えました。チラっと見たときには、五重塔かと思いましたが、さにあらずで、この貴惣門の最大の特徴である、三つ重なる破風(山型の部分)ですね。これは全国に四例しかない特殊な屋根の形だそうです。


貴惣門 (正面) ↓

正面に回って貴惣門を眺めます。安政2年(1855年)頃に完成したそうです。
扁額には「皆与願満足」とあります。願う満足は皆与えるということでしょうか。


二天王像 ↓

二天王像

仏様には誠に畏れ多いことですが、この二天王様は片方が持国天様で、もう片方は多聞天様だそうですが、ハテ?どちらだったかなというレベルです。



精巧な彫刻 ↓

ケヤキ作りだそうですがあの堅い木を良くぞ彫った物です。



寄贈者名 ↓

大金を叩いて寄付したからにはどうしても名前を入れたくなりますね。




寄贈者名 ↓

柱の土台石にも名前が刻んであります。



開祖斉藤実盛像 ↓

この斉藤実盛公はこの地方の勇猛果敢な武将で、謡曲『実盛』の主人公だそうですが、謡曲を嗜みませんので残念ながら、なんとも言及できません。



料理屋「千代枡」↓

この料理屋は田山花袋の小説「残雪」に実名で登場するようですが、「蒲団」しか読んだことがありませんのでこちらもパスです。



仁王門 ↓

大きなお寺さんですので、貴惣門で度肝を抜かれた後に、今度は仁王門です。
仁王様にひと睨みしていただき、暑気払いをしましょう。



阿形 ↓




吽形 ↓

睨んでいただき暑気と俗気を払った後にいよいよ目的の歓喜院(かんぎいん)に近付きます。
次回にその華麗極まる造形を見ていただきます。

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