闘え!文庫魂

空手を愛する熱い仲間たち
金沢文庫木元道場生におくるメッセージ

意味のあるものに・・・

2007年03月04日 | 道場日記

 今日、中上級の少年部のクラスでセンセーが言った言葉です。稽古の始まる直前、先日の審査に合格した子供達に帯の授与をしようとすると、「静粛に」と言ったのにかかわらず、ざわざわと話していた子供達がいました。「自分が帯を受け取るときにそうされたらどんな気持がするか?」「何とも思わないというのなら、それは帯をとることが、自分にとってたいしたことではないからだ。」「せっかく空手をやっているなら、自分にとって意味のあるものにすることだ。」「空手がしてくれるのではなく、自分がそうしていくことだ。」
 『意味のあるもの』・・・目的や目標は人それぞれかもしれない。初めは、ケンカに強くなりたかった人、試合で優勝したかった人、精神的に強くなりたかった人、健康になりたかった人、ストレスを発散したかった人、痩せたかった人、心広く優しくなりたかった人・・・ets。長く続けていくうちに、何にせよ自分にとって空手が必要であることが、大切になってくる。人と比べてどうとかではなく、自分が良い方向に向くためにあるということ。
 月に一度しか稽古に来れなくても空手を必要としている人はいるし、その稽古に意味があると何かを得ようと必死に頑張る人もいる。稽古に沢山来ていても力を入れず、ただ空手が強くしてくれると思う人もいる。
 試合や審査に果敢に挑戦する人は、ただ積極的だとか環境が許すとか、そうゆうことではなく、それが自分にとって、意味があり、得がたいものがあるからしている人がほとんどだと思う。きつかったり、こわかったり、痛かったりするのに・・・何も自分にとって良いことがないなら、やる人はいないだろう。
 久々に稽古に出る事だって、すごく勇気がいることだと思うし、体調が悪いときに稽古に参加するのだって、不安があるのは当然だと思う・・・でもやっぱり自分の意志で道場に来て、精一杯稽古することが一番いいことじゃないのなら、道場があること自体が、意味がなくなってしまいます。
 以前、広い海の上を沢山の船がしゃにむに進んだり、ゆっくり進んだり、止まっていたりと表現しましたが、昔しゃにむに動いていた人もその時ゆっくり進んでいたり、止まっていた仲間がいたことを忘れないで欲しいです。そしてこの海の上にいる以上、迷いながらもそれぞれに『意味あるもの』にしていって欲しいと思います。
 最近、私がコメントの中で、「いいなぁ・・」を連発しているのは、ただうらやましくて言っているのではなく、「やっぱり、いいから」です。自分でいいと本気で思えなければ、人には勧められませんから